第2話:現場観測班
アキラは、配属辞令の方に判を押した。
「意外だな」本部長ヴェルナーは温厚な笑みを崩さなかった。だが目の奥は読めない。「処分されて辞めると啖呵を切った男が、残るとは」
「辞めたら、次に握り潰される警報を止める奴がいなくなる」アキラは判子を置いた。「俺は、もう瓦礫の下に人を置かないと決めたんで」
「立派だ。だが覚えておけ」ヴェルナーは辞令を引き寄せ、ゆっくりと折り目を伸ばした。「災対局は、潰されかけている役所だ。君の独断は、死者ゼロという実績があったから処分を免れた。次に同じことをして外せば——局ごと消える。君一人の問題じゃない」
それは脅しであり、同時に事実だった。アキラは黙って一礼し、部屋を出た。
翌朝、彼が案内されたのは、本部の地下二層だった。
陽の当たらないフロアに、壁一面の巨大な王都迷宮地図。二十数基の観測端末。封鎖資材の図面。そして、損害査定の書類が山と積まれた机。気象庁と消防と自衛隊を一つの部屋に押し込んだような、雑然とした、しかし機能的な空間。
「ここが現場観測班だ」
声の主は、岩のような巨体の男だった。油まみれの作業着。手には鉄扉の図面。
「ガイ・ドルマン。封鎖技師長をやってる」男は無精髭のアキラを上から下まで眺めた。「あんたが第三区を逃がした観測官か。……扉を、よく信じてくれた」
「扉?」
「俺が下ろした鉄扉だ。誘導経路の第七隔壁。あれが一秒遅れてたら、北側の三千人は濁流に呑まれてた」ガイは無骨な指で図面を叩いた。「あんたの読みが、俺の扉に間に合わせてくれた。礼を言う」
アキラは、少しだけ言葉に詰まった。死者ゼロという結果の裏に、扉を下ろした男がいた。当たり前のことなのに、誰もそれを英雄とは呼ばない。
「観測だけじゃ、人は助からない」ガイは続けた。「読む奴、計画する奴、止める奴、後で勘定を合わせる奴。四つが噛み合って、はじめて被害ゼロだ」
その時、フロアの奥から、几帳面なスーツ姿の女が顔を出した。眼鏡の奥の目が、神経質に書類を追っている。
「ドルマン技師長、第三区の損害査定、概算が出ました。金貨三万八千枚。封鎖していれば四万枚。つまり——避難の方が、二千枚安かったんです」
「セシル・アーレン。査定官だ」ガイが紹介した。「災害のあとの勘定を合わせる係。こいつの数字が、後で効いてくる」
「二千枚安い、ってのは」アキラが訊いた。
「封鎖は商業を三日止めますが、避難は一日で住民が戻れます」セシルは早口で言った。「つまり、宮野さんの判断は、人命を救った上に、経済的にも正しかった。なのに——上層部の記録では『独断による過剰避難』として処理されています。数字が、嘘をつかれているんです」
セシルが差し出した査定書を、アキラは受け取った。彼の判断を「過剰」と記した一文。署名欄には、見覚えのない役職名があった。
「政務統括官……ザイデル」
「上の人です」セシルが声を落とした。「ギルドとの調整窓口。封鎖要請を、いつも『却下』にする人」
フロアの空気が、また少し冷えた。
そこへ、計算尺を手にした花村ユイが入ってきた。彼女もまた、この地下二層に配属されたのだ。
「自己紹介は済んだ?」ユイは事務的に言った。「なら、仕事の話を。第十一迷宮で瘴気漏れの報告。等級は低い。だけど——」彼女はアキラの方を見た。「あなたの読みが必要よ。低い等級が、本当に低いのか」
アキラは無線機を腰に差した。手は、震えていなかった。
「行こう。それが、現場観測班の仕事なんだろ」
現場観測班の全貌でした。読む人、計画する人、止める人、勘定を合わせる人。四つが噛み合って、はじめて被害ゼロ。地味な役所の、地味な仲間たちです。
そして早くも顔を出した「政務統括官ザイデル」。封鎖要請を握り潰す側の人間。この男の数字の嘘が、後の大きな告発に繋がっていきます。
次話は、災対局の心臓「災害等級判定」の運用編。低い等級は、本当に低いのか——。ブックマーク、励みになります。




