第17話:英雄の使い道
証拠は、揃った。だが、それを「届ける」のが、最後の難関だった。
「正規の手順で告発を上げれば」ユイが言った。「グレーヴェが握りつぶす。彼は、告発の受理機関にも、影響力を持っている。書類は、彼の机の上で、握り潰された署名と同じ運命を辿る」
「机の上の戦いでは、勝てない」アキラは言った。「あいつは、机の王だ。なら——机の外で、戦う」
クロウが、笑った。
「世論だな」彼は言った。「政治家が、唯一、机の上で握り潰せないもの。それは、王都の人々の、声だ」
クロウの動きは、速かった。
彼は、王都中央広場に、人を集めた。かつて討伐ショーで観衆を熱狂させた、あの広場。だが今回、彼は剣を抜かなかった。
「諸君!」クロウの声が、広場に響いた。「私は、長いこと、英雄譚を語ってきた。華々しく魔物を討つ物語を。だが、半年前、私はある男に、完敗した。災害対策局の、宮野アキラ。彼は、剣を一度も抜かず、二万人を救った」
観衆が、ざわめいた。災対局の名は、知られていなかった。被害ゼロは、ニュースにならなかったから。
「諸君は、知らない」クロウは続けた。「この半年、王都で、何人が、迷宮災害で死んだか。——ゼロだ。一人も、死んでいない。なぜか。彼らが、夜も眠らず、迷宮を読み、街を逃がしてきたからだ。だが、その役所が今、潰されようとしている」
クロウは、一枚の記録を掲げた。セシルが読み解いた、グレーヴェの署名。
「三年前、一人の観測官が、迷宮の崩落を予測し、封鎖を要請した。だが、その要請は握り潰された。観測官は、住民を逃がす最中に、死んだ。握り潰したのは——筆頭顧問官、ローレンツ・グレーヴェ。そして今、その同じ男が、災害対策局を、予算で潰そうとしている。自分の罪が、暴かれるのを、恐れて」
広場が、どよめいた。
「これは、英雄譚ではない」クロウは言った。「華々しくもない。地味で、報われない、名もない人々の物語だ。だが——これこそが、本当に、諸君の命を守ってきた物語だ。私は、英雄として、最後にこれだけは言いたい。倒す英雄より、守る者たちを、信じてくれ」
その演説は、王都を駆け巡った。
クロウの発信力は、グレーヴェの政治力に、真正面から対抗する盾になった。被害ゼロという、誰も気づかなかった偉業が、初めて、人々の口に上った。「災対局を守れ」という声が、広場から、市場から、職人街から、上がり始めた。
予算審議会に、抗議の声が殺到した。クロウが派遣した「守る英雄」たちが、各区で避難訓練を続け、その姿が、人々の信頼を集めた。世論は、急速に、災対局の側に傾いた。
そして、グレーヴェが、焦り始めた。
「……まずいわ」ユイが、政務課から漏れてきた情報を分析していた。「グレーヴェが、予算審議を、前倒しにしようとしてる。世論が完全に固まる前に、災対局の解体を、強行採決するつもり。三日後の、審議会で」
「三日後」アキラは呟いた。「だが、こっちの証拠は揃ってる。審議会の場で、突きつければ——」
その時、セシルが、血相を変えて駆け込んできた。
「宮野さん、大変です。北部の、第二十九迷宮——立花式の予測で、瘴気が、急上昇しています。スタンピード型。規模は——規格外に、近い」
「なんだと」
「しかも」セシルの声が震えた。「封鎖要請が、すでに、握り潰されています。決裁印は——グレーヴェ。理由は、『審議会前の混乱を避けるため、過剰な警報を抑制せよ』」
フロアが、凍りついた。
ユイが、はっと顔を上げた。「グレーヴェは……審議会で告発されるのを、知ってる。だから、その三日間、王都で大災害を起こさせるつもりよ。災対局が止められなかった、という『失敗』を作って、解体を正当化するために。三年前と——同じ構図で」
アキラの背筋が、凍った。三年前、ハルの警報を握り潰し、崩落を起こさせた、あの構図。それを、グレーヴェは、今、もう一度、繰り返そうとしている。
「あいつは」アキラは、無線機を握りしめた。「告発を潰すために、王都の住民を、また、賭け金にする気だ」
第十七話、クロウが世論を動かします。「倒す英雄より、守る者たちを信じてくれ」——かつて討伐ショーで観衆を熱狂させた英雄が、今度はその発信力を、地味な役所を守るために使う。英雄の、新しい使い道です。被害ゼロという誰も気づかなかった偉業が、初めて人々の口に上ります。
でも追い詰められたグレーヴェは、最悪の手に出ます。審議会で告発される前に、王都で大災害を起こさせ、「災対局が止められなかった失敗」を演出して解体を正当化する。三年前、ハルの警報を握り潰したのと、同じ構図で。
物語は、第二部クライマックスへ。次話、「仕組まれた災害」。アキラが、三年前の悪夢の反復を、今度こそ止めます。




