第15話:予算という人質
グレーヴェの反撃は、剣ではなく、数字で来た。
鉱山区の現行犯記録が本部に提出された翌週、国の予算審議会が、緊急動議を可決した。
「災害対策局・予算凍結。並びに、組織再編の検討」
地下二層に、その通達が届いた時、フロアは凍りついた。
「凍結……」セシルが通達を読み上げた。「観測端末の更新停止。封鎖資材の調達停止。新規採用の凍結。そして——現場観測班の、解体検討」
ガイが、図面を握りしめた。「あの野郎、自分への告発が来た途端、役所ごと潰しにきやがった」
ユイは、冷静に通達を分析していた。「動議の提案者は、筆頭顧問官グレーヴェ。理由は『災対局の予算肥大化と、現場の独断専行』。……鉱山区の作戦を、『三百人を危険に晒した無責任な実験』と書き換えてる」
アキラは、通達を見つめた。グレーヴェは、賢かった。告発の証拠を否定するのではなく、告発する側の足場——災対局そのものを、崩しにきた。役所が消えれば、告発する主体も消える。
「これが、机の上の戦い方か」アキラは呟いた。
その日、本部長ヴェルナーが、地下二層に降りてきた。彼の顔には、疲労が刻まれていた。
「上層部は、揺れている」ヴェルナーは言った。「グレーヴェは、災対局の幹部に、こう囁いて回っている。『宮野班の告発に加担すれば、予算凍結で全員が職を失う。だが、告発を取り下げれば、予算は元に戻す』と」
「取引、ですか」
「飴と鞭だ」ヴェルナーは頷いた。「すでに、何人かの幹部が、告発の取り下げに傾いている。『一観測官の私怨のために、役所全体を犠牲にできない』と。……宮野。これは、君個人の、相棒の仇討ちだと、見られ始めている」
フロアが、重く沈んだ。
それは、グレーヴェの最も巧妙な一手だった。アキラの告発を「私怨」に矮小化し、災対局の存続と対立させる。組織を守りたい者たちを、告発の反対側に立たせる。
「……取り下げれば」アキラは静かに言った。「災対局は、生き残るんですね」
「宮野!」ガイが声を荒げた。
「アキラ」ユイが、初めて彼の名を呼んだ。
アキラは、右手の包帯に触れた。長いこと、黙っていた。それから、顔を上げた。その目に、迷いはなかった。
「——断ります」彼は言った。「取り下げない」
「アキラ、聞いてくれ」ヴェルナーが言った。「君の気持ちは分かる。だが、現実的に——」
「本部長」アキラは遮った。「あなたは、半年前、言いましたよね。『災対局を潰さないことだけ考えて生きてきた。組織のために、人を後回しにしてきた。ザイデルと、何も変わらなかった』と。そして、規格外迷宮で、人の側に全部賭けた」
ヴェルナーが、息を呑んだ。
「グレーヴェの取引は、これと同じです」アキラは続けた。「『組織を守るために、告発を後回しにしろ』。それを飲んだ瞬間、災対局は、ザイデルと同じになる。被害ゼロを目指す役所が、人災の握り潰しを、見逃す。そんな役所なら——生き残る価値が、ない」
フロアが、静まり返った。
「ハルの死は、私怨じゃない」アキラは言った。「あれは、握り潰しの仕組みが生んだ、最初の犠牲です。三年前、ハル一人。半年前、規格外迷宮で二万人。鉱山区で三百人。グレーヴェの『線引き』が、これまでに何人を、瓦礫の下に置いたのか。それを暴くのは、私怨じゃない。災対局の、存在理由そのものです」
ヴェルナーは、長いこと、アキラを見つめていた。やがて、深く、息を吐いた。
「……君は、私より、よほど災対局という役所を、分かっているな」彼は微かに笑った。「いいだろう。本部長として、私も告発に加わる。予算凍結も、組織再編も——受けて立つ。役所が消えても、人を守るという仕事は、消えない」
「本部長」
「ただし」ヴェルナーは表情を引き締めた。「グレーヴェは、世論と政治を握っている。物的証拠だけでは、潰される。私たちには——王都の人々を、味方につける力が、要る」
その時、フロアの扉が開いた。
冒険者ギルド総帥クロウが、立っていた。
「世論を動かす力なら」彼は笑った。「英雄の、得意分野だ」
第十五話、グレーヴェの反撃「予算という人質」。剣でなく数字で、告発する足場ごと崩しにくる。しかもアキラの告発を「相棒の仇討ち=私怨」に矮小化し、組織の存続と対立させる——巧妙な政治の手です。
ここでアキラが、半年前のヴェルナー自身の言葉を返します。「組織を守るために告発を後回しにした瞬間、災対局はザイデルと同じになる」。被害ゼロを目指す役所が、握り潰しを見逃すなら、生き残る価値がない。ヴェルナーが再び、人の側に立ちます。
物的証拠だけでは政治に勝てない。必要なのは、王都の人々を味方につける力。次話、セシルが署名解析を完成させ、クロウが世論を動かし始めます。




