第14話:現行犯
ハルのノートは、すべてを変えた。
アキラの観測眼は、もはや「勘」ではなかった。ユイがノートの数理を手順書に組み込み、観測フロアは「立花式予測法」で動き始めた。匂いも、曲線も、すべてが数式と相関係数に翻訳された。読みは、証明になった。
だが、グレーヴェを告発するには、三年前の署名だけでは足りなかった。焼かれた名前は、依然として読めない。物的証拠が、一枚足りない。
「過去だけじゃ、潰される」アキラは言った。「あいつが、『今も』警報を握り潰している。その現行犯を、押さえる」
機会は、すぐに来た。
王都北の鉱山区。第二十二迷宮に、瘴気漏れの報告。立花式で読むと、等級はB——スタンピードまでは行かないが、放置すれば鉱山労働者三百人に被害が及ぶ規模。アキラは、正規の手順で封鎖要請を上げた。
却下された。
「等級査定はC。封鎖不要」——決裁印は、政務課。だが、その上の方針指示に、筆頭顧問官グレーヴェの名があった。「鉱山区の操業は国家収入の要。過剰封鎖を抑制せよ」と。
「来た」ユイが決裁記録を睨んだ。「グレーヴェ本人の名前で、握り潰しの指示が出てる。これが、現行犯の証拠よ」
「だが、これだけじゃまだ弱い」セシルが言った。「『過剰封鎖の抑制』は、行政判断として正当化できます。ザイデルの時と同じです。実際に被害が出なければ、『適正な判断だった』と言い張れる」
アキラは、ノートを閉じた。
「なら、こうする」彼は言った。「封鎖はしない。グレーヴェの指示通り、Cのまま放置する——記録の上では。だが、現場には、俺たちが行く。被害が出る寸前まで引きつけて、立花式の予測が寸分違わず的中することを、第三者の前で証明する。グレーヴェの『C判定』が、人を殺しかけた瞬間を、記録に残す」
「危険すぎる」ガイが唸った。「読みが少しでも外れたら、三百人が死ぬ」
「外さない」アキラは言った。「ハルのノートがある。それに——今回は、第三者の立会人を呼ぶ」
立会人は、二人だった。
一人は、冒険者ギルド総帥クロウ。守る英雄に転じた彼の発信力は、王都で無視できない。
「英雄が、握り潰しの現場を見届ける」クロウは笑った。「面白い使い道だ。乗ろう」
もう一人は、意外な男だった。地方へ転出した、元政務統括官ザイデル。
「なぜ、私を呼ぶ」ザイデルは、痩せた顔で言った。「私は、君たちが告発した男だぞ」
「あんたは、握り潰しの仕組みを、一番よく知ってる」アキラは言った。「あんたは言ったな。『被害ゼロは感謝されない。死者がいなければ罪も問えない』と。だから今回は、死者を出さずに、罪を証明する。あんたの論法を、あんたに、覆させたい」
ザイデルは、長いこと黙っていた。やがて、薄く笑った。
「……グレーヴェに、私は捨て駒にされた」彼は言った。「等級操作の罪を、私一人に被せて、自分は筆頭顧問官のまま。私は、あの男に、貸しがある」彼は立ち上がった。「いいだろう。立会人になる。私が証言すれば、握り潰しの仕組みは、誰にも否定できなくなる」
——鉱山区、第二十二迷宮。
瘴気濃度が、立花式の予測曲線を、寸分違わずなぞって上昇していく。アキラが時刻を読み上げ、ユイが指揮を組み、ガイが隔壁に手をかけ、セシルが一部始終を記録する。クロウとザイデルが、その正確さを、息を呑んで見守る。
「来る」アキラが言った。「グレーヴェがCと判定した迷宮が——今、Bの規模で、噴く」
瘴気が、噴き上がった。予測の、一分後。アキラの読み通り。
ガイが隔壁を下ろし、鉱山労働者三百人が、間一髪で退避した。死者ゼロ。負傷者ゼロ。
そして、すべてが記録された。グレーヴェの「C判定」が、三百人を殺しかけた瞬間が。立会人二人の署名つきで。
濁流が引いたあと、クロウが静かに言った。
「……これは、英雄譚にならない。だが、王都中に、伝える価値がある」
ザイデルが、記録に署名しながら、呟いた。
「被害ゼロでも、罪は問える。君が、証明したよ、宮野アキラ。私の論法は——間違っていた」
第十四話、グレーヴェの「今の」握り潰しを現行犯で押さえる回でした。立花ハルのノートで、アキラの読みが「証明」になったからこそ可能になった作戦です。
被害を出さずに、罪を証明する。第七話でザイデルが突きつけた最も冷たい論法——「死者がいなければ罪も問えない」を、今度はザイデル自身に覆させる。捨て駒にされた彼が、立会人として戻ってくる展開を入れました。クロウとザイデル、かつての敵が二人とも告発の側に。
証拠は揃いつつあります。だが、相手は予算を握る筆頭顧問官。次話、グレーヴェの反撃——「予算という人質」が、災対局に突きつけられます。




