8.真意を読めないひとⅡ
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マリユスは見慣れた赤の絨毯の上を歩いていた。リュクラシア王国の王都ミルディアに聳え立つ、白亜の王宮。国色である深紅があちらこちらに見られるその廊下を進みながら、ある一室へと急ぐ。
くちびるに乗せるのは柔らかな微笑。衛兵たちに頭を下げられれば手を挙げて応える。
絶対的な信頼と、その血に流れる身分。それがマリユスの強みであった。
母であるロズリーヌは貴族の頂点に立つスヴェルト公爵家の長女。国の多くの要職を占める、重要な家門である。
そんな母を持ち、第一王子であるという身分からして、マリユスが次期王筆頭として目されるのは当然のことだった。
白木を用いた、高価な扉の前で足を止め、何度かノックする。
「 ーーマリユスでございます、お呼びでしょうか」
あの王の頭の中だけが、読めなかった。本来であればマリユスが継ぐべき王位。けれどもあの男は、マリユスにもーーどの兄弟にも帝王学を施さなかった。教育は一貫して兄妹たちの母親に委ねられ、王子たちの派閥ができていくことにも無頓着だった。あたかも、誰が王になっても構わない、とでも言いたげに。
「ーーー入りなさい 」
艷やかな声がマリユスの耳に届く。
静かに入室すれば、花弁が綻んだ瞬間に密やかに香る薔薇の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
「 待っていましたよ、マリユス」
美しい白銀色の髪は、複雑に結い上げられている。薔薇をかたどった飾りが幾つも耳朶や首筋から覗く。
マリユスとほとんど瓜二つの儚げな美貌は、けれども彼女のものの方が少しだけ妖艶だ。
潤んだ紫水晶と同じ色の瞳が、重たげに持ち上がった長い睫毛の隙間からマリユスを捕らえた。
「お久しぶりでございます、母上 」
この国の第一側妃にして、マリユスの母。ロズリーヌである。
深紅を基調に作られた鮮やかなドレスは、薔薇を意匠に取り入れている。自身の名に持つからだろうか、ロズリーヌは薔薇を好んでいた。
すでに人払いは済ませてあるようで、侍女の一人も見当たらない。
ゆらりゆらりと優雅に扇をはためかせていたロズリーヌは、ぱたり、とそれを閉じてしまう。
「調子はどうかしら?最近は顔を出さないから心配していました」
「 変わらず元気ですよ。なかなか忙しかったものですから。尋ねられなくて申し訳ありません」
「 …陛下はお前を何だと思っておられるのかしら。最近は星の館の娘の婚姻の世話を押しつけられているのでしょう。あの男にも困ったものです」
「 陛下も何かお考えがあるのでございましょう。それに、能力を見せるよい機会でもありますから」
マリユスがそう言えば、ロズリーヌは美しい眉を少しだけ潜め、ややあって息をついた。
「 …まあいいわ。マリユス、お掛けなさいな」
「ええ、では。失礼します 」
「 ーーエーレンフェストから取り寄せた茶葉よ。貴方の言った通り、なかなかいい品だと思うわ」
母に誘われるままに、茶器を手に取る。赤みがかった液体が白いティーカップに映える。
ひと口だけ口にしてマリユスは微笑んだ。
「 確かに。とても美味しいですね」
「 そうでしょう?わたくしも気に入ったわ。公爵家でも取り寄せようかしら」
「 今日は、なにかお話が?」
「話というわけではないけれど。少しばかり貴方の顔が見たかっただけよ。 可愛い息子ですもの」
紫水晶の瞳がマリユスを映して、優雅に微笑む。
「 そういえば、〈月の守護者〉様は星の館の娘にご執心なのかしら?陛下にエーレンフェストへの同行を嘆願したと聞いたけれど」
「 彼はリュディーリア妃殿下の庇護下で育ちましたから。恩を感じているのでしょう」
マリユスが答えれば、ロズリーヌはくすりと笑う。長い睫毛に縁取られた紫水晶が輝いた。
「 そう、素敵ね。忠誠の強い騎士様なんて。でもーー本当にそれだけなのかしらね?男と女なんて…そんなものですよ」
「… 仰っしゃりたいことがよく分かりません、母上」
「 そう?本当は分かっているくせに、可愛らしいのね、マリユス」
笑みを浮かべたままのロズリーヌは、手を伸ばす。すっとテーブル越しに差し出されたのは、桃色の液体が入った美しい硝子瓶。
それが意味するところを察して、マリユスは笑みを深める。
「…まさか私にこれを使えと?」
「 うふふ、安心しなさいな。貴方は星の館の娘と、それから伯爵家の娘のことだけ考えていればいいの。あとはお母さまが全て上手くやりますから」
「…テティリーヌのことはまだ伝えていなかった筈ですが 」
「 母親とは案外なんでも知っているものですよ、マリユス」
ロズリーヌの薄紅のくちびるが、艶やかな笑みの形を描く。マリユスは、机の上にぽつりと置かれた小瓶を見やる。
「…伯爵家のお嬢さんは大分世間知らずでいらっしゃるようですから。これを使えば少しは大人しくなるのではなくて?」
「……不要です。やり過ぎては陛下に見咎められる」
「ふふ…あらそう?大丈夫、貴方が心配しているようなことは起きませんよ。幸せに生きれるようになるだけ。すぐに女の本分を思い出せるようになるわ。」
「…」
ロズリーヌはただやはり妖艶な微笑を浮かべているだけだ。
「あの子が暴れて困るのは貴方もでしょう、マリユス」
「…毒性はないのですね?」
「ふふ、誓ってもよろしくてよ?必要になったらーー必ず必要になるでしょうけれど、お使いなさいな」
「 ……感謝いたします、母上」
マリユスはそれだけ言うと小瓶を手にして立ち上がる。
ロズリーヌから顔を背けるように扉に手を掛けて。
「 ーーわたくしは貴方が王になりさえすればそれで構わないの」
背中に声が掛かる。何度も聞いたことのある言葉だった。幼少から何度も聞いてきた言葉。
「安心して頂戴、貴方の邪魔はしないから。………でも、害虫はちゃあんと駆除していただかないといけないでしょう? 」
「 ………」
その声を無視して、マリユスは扉を閉める。手に握った小瓶をを胸元へと突っ込むと、また微笑を浮かべて歩き始めた。




