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6.密やかなる弔い

******



リュクラシア王国国王から、ラーレシアに命じられた縁談。それは隣国エーレンフェストの第三王子との縁談だった。彼の王国がなぜ第八王女であるラーレシアを指名したのかーー


ラーレシアは首を振る。受け止められない現実から目を逸らしていては、いけない。


質素な木の棺桶。その蓋はすでに閉じられていて、中に横たえられた死者の姿をみることはかなわない。


ぽつりと置かれた百合の花束は一体誰が持ってきたものだったのだろうか。


ミュリエルはーーこの国の王女は、つい数日前に毒杯を仰いでこの世を去った。王の命だった。彼女の遺体は棺桶に供えられ、罪人の死体が打ち捨てられる小さな丘に捨てられていた。


彼女の死を悼むものは、その百合の花束を贈ったものだけであろう。


ラーレシアは死を悼むための黒のヴェールのせいで、白百合が薄黒く染まるのを見つめ、その横にそっと彼女の瞳と同じ、桃色の薔薇を供えた。


足元の芝が、夕日に染まった風に靡いて、ラーレシアの踝を優しくくすぐった。

木の棺桶は、ただ物言わぬままそこにあるだけだ。


墓石を作られることさえなく、ただ風化し、朽ちていくだけ。棺桶が作られるだけまだましな方だと、アレスタントが沈痛な表情で語っていた。


ミュリエルの母ーールヴェラ男爵夫人であるその人は、娘の罪の責を問われ、男爵位剥奪の上修道院へと送られた。ルヴェラ男爵家は取り潰しになったというのだ。


ラーレシアがミュリエルの墓参りに行くといったとき、アンリエッタは歓迎しなかった。榛色の瞳を不安に揺らして、『 他のご兄妹様方にあらぬ誤解を受けては大変でございます』と、そう何度も繰り返した。彼女の言葉は最もだった。誰かにーー他の兄妹に見咎められでもしたその時には、ラーレシアの命など余興程度にしか考えていない彼らは、きっとラーレシアを糾弾するだろう。罪人の死を悼むなんて、やましい何かを隠しているのではないか、と。


ラーレシアはそっと目を伏せた。


誰も彼も、酷く醜い。


夕焼けに染まりつつ、闇夜の紺碧を覗かせる空が生暖かい風を運んでくる。それは、柔らかくラーレシアの頬をなでる。


うっすらと夕闇のなかに沈んでいるのは星の輝き。控えめに柔らかい光を放つそれは、ミュリエルの淡い金髪のように美しい。



「 ミュリエル様」



その名を呼ぶ。


星の女神スティラのご加護があるように。



「 …どうか、教えて。どこにいるのかを、教えてください、ミュリエル様」



天の神ルージェスが星に宿した死者の魂は、名を呼ばれれば気まぐれに輝きを返す。

それは、星の女神の気分次第。



「 ミュリエル…」



会いたいの。


お願い。少しだけでいいから。


どんなに遠くてもいいから。



「もう一度だけでいいから…わたくしに、笑ってほしいの 」



貴女の笑顔は誰よりも素敵だった。


だから。



「 お願いよ、ミュリエル……」



こんなにも、胸が苦しくなるなんて知らなかった。


ミュリエルとそこまで深い接点があったわけではなかった。けれども、彼女は真っ直ぐに、ひたむきに、ラーレシアに微笑んでくれた。


ああ、そう。知っている。


気づけば彼女に、気を許していたのだと。


敵ばかりのこの王宮内で、ミュリエルの何の含みもない優しい笑みに、いつの間にか絆されていた。



「…っ…ミュリエル 」



もっともっと、言葉を交わしたかった。


ちゃんとありがとうと伝えられていないのに。


せめて、貴女のいる(場所)を、教えてほしいの。



「ミュリエル… 」



夜空は、無情で。女神は時に残酷だ。


いつの間にか頬を伝っていた雫が、冷たく冷えていく。



「 ーー姫」


「…もう少しだけよ 」


「 今宵は雲が出ます。星は見えません。ですから帰りましょう。アンリエッタ様も貴女を待っている。」



武骨な指先が、繊細な花弁に触れるかのよつにラーレシアの肩に触れた。



「 ーーアレス」


「 姫。そのような顔をしてもいけません。あまり遅くなっては要らぬ誤解を受けましょう。」



アレスタントは有無を言わせぬ調子で、ラーレシアをエスコートするように歩き始める。

アレスタントは国王の命令でラーレシアの護衛としてしばらくの間国王の命で貸し出されている。

ラーレシアが墓参りに行くというのを聞きつけて、こうしてついてきてくれたのである。



「…彼らはどうして、こんなことができるの…っ…… 」



ぽつり、と呟いて手を引くアレスタントの指先を握りこんだ。手のひらが小さく震える。



「 ……権力とは、それほどまでに人を狂わせるものなのでございましょう」



足を止めたラーレシアを気遣ってか、アレスタントも足を緩やかに制止する。



「 私は騎士という立場ゆえ、政には疎いものですがーー騎士になるその過程で、権力に身を堕としていく者もおります。騎士の身分は、平民であっても下手な貴族より上級の地位を得られるものです。金に糸目をつけぬ者、優秀な同僚を蹴落とす者…様々です。」



アレスタントの薄い青色の瞳が、ラーレシアを見つめて、小さく細められる。



「 …私の友人も、そうして命を落とした者がおります。非常に優秀で、気のいい男でした。ですがーー讒言によって戦地の最前線へと左遷され、数日後には亡くなったと聞いています。」



繋がった指先に、微かに力がこもる。ラーレシアは小さく息を呑んだ。彼の、友人。そのような話は一度だって聞いたことがなかった。



「 そのようなものです。世界はいつも矛盾と不平に溢れている。」



かすかに顔をのぞかせていた夕日が、息継ぎをするように強く瞬く。


アレスタントの顔が、紅の光に滲むように溶け出して、その表情を掴むことはできない。

ラーレシアは眩しさに薄く目を細めた。



「 …そのようなものです」



十分に満足したように、太陽が地平という海に潜っていく。


急激に当たりから光が消失する。闇の中で、ただアレスタントの指先だけが鮮明に形を彩っている。



「 …アレス」


「 ……暗くなってしまいましたね。私は夜目が利きますから…帰りましょう」



彼はいったい、どんな顔をしていたのだろうか。


あとはただお互いに言葉少なく、帰路につくのだった。


丘の上に置かれた野ざらしの木の棺桶が、暗闇に溶けていく。桃色の薔薇が風に吹かれて花弁を落とした。


あわやかな香りを落とす。雲間から、小さな光がぽうっと輝いて、すぐに消えた。



******


寄り添い合うように丘を下っていく二人の男女を尻目に、一人の青年が手提げランプを掲げてその場に立っていた。


深く被った外套は、質のいい絹でできたものだ。繊細な刺繍も美しく、高価な品だとすぐに分かる。



「 ーーラーレシアと……月の守護者、かな」



納得したように何度か頷いた青年は、ふわりと頭から外套のフードを下げる。


はらり、と零れ落ちたのは闇世の中で輝く白金色の美しい髪。長いまつげに縁取られた紫水晶の瞳は、ランプの明かりに揺れている。


リュクラシア王国第一王子ーーマリユス=ナーヴァルニュ=サシェ=リュクラシアーーその人である。


女神のように美しい中性的な美貌に、儚げな笑みを乗せると、静かに歩き出す。


頼りないランプの明かりを気にした風もなく、迷いなく進んでいく様子は、何度もこの場所を訪れたことがあるかのようだった。


ぴたり、とマリユスが足を止める。


決して質のいいとはいえない簡素な木の棺桶。その上には白百合と桃色の薔薇の花束が柔らかく風に身を委ねていた。



「…君には悪いことをしたね、ミュリエル」



紫色の瞳は、ただ真摯にその棺桶を見つめている。そのなかに眠る人物を、必死に探すように。



「 毒杯は、きっと苦しくなかっただろう?眠るように…逝けたはずだよ」



そういいながら、マリユスのくちびるは小さく歪んでいる。まるで自嘲を漏らすかのように。



「 もっと上手くできればよかったのにね。私が不甲斐ないせいで、ごめんね」



その声は風に掻き消えてしまうくらいにささやかで。


白く、女性のようにたおやかな指先が、棺桶の上をそっと撫でる。



「 …君がまだ小さい頃、こうして私が頭を撫でてやると、君はすごく喜んだんだ。…覚えている?」



マリユスは、そっと目を伏せた。



「…ごめんね 」



謝罪は酷く優しかった。



「 痛かっただろう。辛かっただろう。」



先程とは矛盾した言葉を、口にする。闇に縁取られた青年の表情は、影のなかに消えていく。



「ごめんね 」



そう、口にして。青年は外套を翻す。


その姿は、闇に溶け落ちてーーー消えた。



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