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4.舞踏のあとの悪夢

*****


その日は、不吉なほどに薄暗い昼だった。燃えかけの炭のような雲が、美しい神話の硝子窓から覗いていた。


高い場所に位置する玉座で、つまらなそうな表情で王が見下ろしている。ーーひとりの、ひとりの少女を。



「ーー嫌です、やめてくださいませ!わたくしは、わたくしは、そんなことーー 」



ラーレシアは兄妹たちに並ぶように、広間の隅に並んでいた。小さく握った拳が、自分の意志に逆らってか細く震える。


現実味がない。こんなこと、起こってほしいだなんて望んでいなかった。



「陛下!陛下、どうかお願いでございます…!わたくしは、ミュリエルは、誓ってそのような反逆の思いを抱いていたつもりはございませんの!お願い、お願いいたします…、っ」



ミュリエルが傍らにたった兵士に押さえつけられるように、跪かさせられていた。

その手は、麻紐できつく結ばれている。


色白の頬は涙に濡れ、薄紅色の瞳からはぐずぐずと雫が溺れるように零れていった。



「 陛下、陛下……おとう、さま……っ」



玉座に座す、王の表情は変わらない。

代弁するように、歩き出した第一王子ーーマリユスが、儚げな美貌にいつもと変わらぬ微笑を乗せたまま王の方をちらと見た。



「ーー父上、私から説明しても? 」


「 ああ、任せる」



マリユスは柔らかく微笑む。女神のように、美しく、優しく。



「 ミュリエルーー第十三王女ミュリエルの自室から毒物が発見された。それは陛下のグラスに注がれたものと同じでね。……君を、反逆罪で死刑に処すことにした」



よく言う、とラーレシアは燻る胸の火を消せずに内心で吐く。どうしてそんな慈愛深い微笑みで、弟妹の名前を覚えていると優しく言ったそのくちびるで、そんなことが言えるのだ。


ミュリエルがそんなことを考えるわけがない。ミュリエルは無実だ。そもそも、なぜミュリエルが国王その人を殺す必要があるのだ。この聡明な王子ならそれくらい分かっている。女神のような顔で、いくらの人間を貶めてきたのか。


悍ましさに吐き気がした。そんなわけがないと否定したかった。けれども、それができない臆病者の自分が嫌になるくらい嫌いだった。ラーレシアが違うと叫んだところで結果は変わらないだろう。けれども、それだけできっとミュリエルは救われるのだ。でも、ラーレシアはそれができない。


保身ばかりで、最低だ。


マリユスが手を広げ、朗々と説く。



「それに、わが妹テティリーヌによれば君は陛下の許可を得ずに平民と婚姻を結ぼうとしたーーなんと不敬なことだろう 」



テティリーヌがばさり、と扇を広げーーその裏で気分良さげに微笑んだのが見えた。


絶望的な表情でミュリエルが青白い顔をマリユスに向けた。涙が頬を伝い、赤い絨毯を濡らしてゆく。



「 そんな……!わたくしは、陛下の許可を取ろうとーー」


「 尊き陛下の、王の血をなんだと思っているのかしら」



言いかけたミュリエルの言葉に被せるように、良く通るテティリーヌの声が響く。


彼女たちにとってミュリエルを王位継承から遠ざけることに、きっと特段の意味はない。けれどーー


ラーレシアはそっと周囲の兄妹を見回した。誰も彼も、うっすらと美しい顔に笑みを乗せている。


愉しんでいるのだ。おとなしい鼠が、強者に甚振られる様子を。



「 陛下、どうぞ処刑の許可を」



マリユスが笑みを浮かべ、胸に手を当てて王へと腰を折った。白銀色の髪がさらりと零れ落ちる。


退屈そうにそれを見下ろしていた王は、一度足を組み替える。緩慢と、けれども不遜に。



「 ーー許す」


「っ!ーー陛下!そんな……!陛下…!わたくしは、わたくしはしておりません!そんなこと…!お願いです、分かってくださいませ…、わたくしはそのようなことやっておりません 」


「 黙らせろ、煩い」



王は心底面倒臭そうにミュリエルを指差すと、立ち上がる。



「このようなくだらない児戯のために俺を呼び出したのだとしたらーーお前たちにはほとほと呆れる 」



そうして、冷たく広間の王子王女たちを睥睨し。



「 マリユスーー後で話がある」



振り返った王は、どういうわけかそこで足を止めた。



「ああ、そうだ 」



獅子のように獰猛な表情が、ラーレシアを捕らえた。



「ラーレシア」


「 …!?」



心臓が跳ね上がる。王が、ラーレシアに呼びかけた。テティリーヌも、マリユスも怪訝そうにラーレシアを振り返る。


猛き王はそこで初めて笑う。



「 お前に縁談がある。隣国エーレンフェストに嫁げ」



誰も彼もが、息を呑みーーーそして、小さく吐いた。


弟妹の誰にも縁談を用意しなかった王が、ラーレシアに用意した。それだけ、衝撃的なことで。



「 ……光栄なことでございます。我が身は陛下の思うままに」



けれどもラーレシアには、その答えしか残されていない。静かに頭を垂れ、沈黙する。


ミュリエルの潤んだ瞳が、ラーレシアを捕らえる。


苦しい。その瞳は、何を意味しているのだろうか。なぜ助けてくれないのかと、恨んでいるのだろうか。ラーレシアを呪っているのだろうか。お前ばかり、どうして、どうしてと。



「… っ!」



息を呑む。


ミュリエルは、ただ静かに、柔らかく微笑んだ。その拍子に、どんな宝石よりも綺麗な薄紅の瞳から幾つも雫が零れていった。


血の気の失せたくちびるが、優しく動く。


ーーよ、か、っ、た


ただそれだけを。


衛兵が強くミュリエルを引っ張った。華奢な体がふらりと揺れて、抵抗する気も失せたようにミュリエルは立ち上がった。


どうしてこの子は、こんなにも優しいのだろうか。


涙がこぼれ落ちてゆきそうだった。溢れて、零れて、壊れそう。


痛い。


お願い、神よ。あの子を連れて行かないで。

優しい、優しい子なの。少しだけ幼い仕草をする、可愛らしい、ただ普通の女の子なの。


お願い。


縁談を受けたラーレシアを恨むことすらなく。死にゆく身と比べて妬むこともなく。

ただありのままにこちらを好いてくれる、澄んだ瞳を持つ子なの。


ほんとうは、大好きだった。


貴女のことが。


誰よりも優しい、貴女が。ラーレシアより少しだけ早くに産まれた姉で、素直な妹のような貴女が。


お願い。逝かないで。


ああ、失敗したと思った。


頬から涙が伝ってゆく。こんなこと、ミュリエルと懇意だったと勘違いされても仕方がないのに。それはこの身を破滅に向かわせるかもしれないのに。


堰き止めようとしても、それはきっと無駄な努力だった。

溢れるものが伝って、伝っては落ちてゆく。


ミュリエルは困ったような顔をした。衛兵に引きずられるように歩かされながら、なお。こちらを心配するような顔で。初めて、姉のような顔をした。


それを見て、また目尻が熱くなる。


王も、誰もが驚いているのを感じる。


どうしようもなかった。不敬だと罰せられるかもしれなかった。けれど、自分では止めようもなくて。



「 ーー陛下、姫君はよほど縁談が嬉しかったのでございましょう。」



誰かが優しく肩に触れる。見慣れた武骨な指先。剣だこのできた、少しだけ厚い掌。


庇われたのだと、すぐに分かる。



「アレス、タント… 」


「 ほお」



王が愉快そうに笑う。



「 成る程な。それほどまでに喜ばれるとは

思わなんだ」


「 …っ、申し訳、ございません」


「構わん。アレスタント、姫を送ってやれ。マリユス、後でな 」



優雅に赤の上衣を翻す。その赤が、目にまぶしいくらい鮮烈で。


ふと見たミュリエルの、静かで優しい笑みがなぜだか強烈に頭に残った。





そこからの記憶はどこか曖昧だ。アレスタントに手を引かれて広間を出た。乳母であり侍女のアンリエッタが驚いた顔でラーレシアを迎え入れて、そしてーー



「 ーー姫さま。窓を開けていては寒いですから。お体に障りますよ」



いつの間にか自室に入ってきていたアンリエッタが、星を見つめていたラーレシアの肩にそっとショールを掛ける。



「 …ミュリエルは、優しい子だったの」



アンリエッタが困ったような顔をしたのがわかった。意思とは裏腹に、ラーレシアの頬に熱いものが伝ってゆく。



「 どうして優しい人ばかりが死んでしまうの」


「 姫さま…」


「 わたくしが、あの子を助けてあげられるくらい強かったら」



そうしたら、と掠れた声で続ける。



「あの子は…幸せに暮らしていた? 」



なぜ、どうして、ばかりが浮かんでは掠れるように消えて。


星の輝きが、目尻の雫のせいで朧な月のように霞んで見えた。



「大丈夫でございますよ 」



アンリエッタの優しい声。暖かい、ぬくもり。抱きしめられたのだと、気がつく。


母親が赤子を抱くように、背中を優しく叩かれる。大丈夫、大丈夫ですよ、と守るように。



「 大丈夫、アンリエッタがおります。」


「 …どうして」



零れた言葉は、自分でも驚くくらいに震えていた。



「どうして」


「 …大丈夫ですよ」



柔らかい調子で、アンリエッタはただそう繰り返す。


ミュリエルは何の罪も犯してはいないのに。ただ幸福を、願っただけ。


ーーラーレシアさま


モルガナイトのように美しい、甘く澄んだ桃色の瞳の少女。


ひとりでいるラーレシアにそっと声をかけるのはいつもミュリエルだった。


月光のような、優しい光を紡いだ淡い金髪が揺れて。くるくるとよく変わる表情で、ラーレシアを見つめていた。


どうして。


あんなに優しいあの子が死ななければならないのだろうか。


どうして


反芻する問いかけの言葉は、夜空に溶けていくように飽和して、滲んで、溶けてゆく。


この世界は、どうしてこんなにも無情なのだろうか。

 

どうして



わからない。頬を伝う熱いものだけが、ラーレシアと現実とを結びつけているみたいだった。


夜が更けてゆく。紺碧が、漆黒へと塗り替えられる。にじむ視界に、ただそれだけが朦朧と理解できた。




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