10.エーレンフェストの王子と花嫁
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隣国エーレンフェスト。大国リュクラシアの西に位置する王国であり、近年勢力を伸ばしてきた大国だ。騎馬兵を主力とする部隊は戦場で凄まじい活躍ぶりを見せ、エーレンフェストの騎馬と恐れられていた。
首都アラド=ルグに到着したのは、出発から三日後の昼のことだった。
「 ーー凄まじい活気ね」
硝子窓はカーテンを開けてしまっているが、
街道の端には隣国から嫁いできた姫を一目見ようと民衆が押しかけている。エーレンフェストの軍旗とリュクラシアの国旗を両手に持ち、笑顔で手を振っている。
それにラーレシアも手を振り返しながら、馬車はゆっくりと進んでいく。
「 まさかこれ程とは」
アレスタントも頷く。その横ではアンリエッタが緊張も顕にそわそわと肩を揺らしている。
「 リュクラシアではマリユス殿下のお見送りだけだったというのに」
静かに視線を外へと滑らせた。
別にそれが不満というわけではなかった。ただ虚しくなる。リュクラシアでラーレシアの存在などその程度のものでしかなく。興味も関心も持たれなかった。でもいいと思っていた。そうでないと、生きてゆけないから。
手を振れば、歓声がわく。
馴染みのない感覚に、不思議な心地がする。
こんな風に誰かに望まれたことなんて、あまりになかった。
そのせいで。
「…なんだか、夢を見ているみたいだわ 」
ぽつりと落ちた言葉は、きっと誰にも拾えていないはずだった。
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長い長い回廊を進む。大理石で作られた白い床は、天井に煌めく光を受けて7色の光を帯びた。
自分の靴音が反響する。
ラーレシアは胸の前に手を当てると、一度だけ深く息を吸った。
顔を伏せて、腰を落とす。アンリエッタが丁寧に整えてくれた髪が、頬の横から零れ落ちた。
「 ーーお初にお目にかかります。リュクラシア王国第八王女、ラーレシアでございます。」
「…顔を上げて 」
上から振ってきた声は、予想したものよりもいささか柔らかく、高かった。
言葉に従って、緩やかに顔を上げる。
抜けるような色白の手足。頬のあたりで切り揃えられた生糸のような髪は、頬と同じ白色で、光を受けて銀色に輝いた。こちらに向けて柔らかく細められた瞳は、青みがかった銀色。空に瞬く銀河のような色をしていた。
美しい青年ーーいや、少年だった。
姿絵で見た姿より、はるかに華奢で幼く見えた。
「姿見と全然違うせいで、驚かせてしまったかな?兄上たちにこれくらい盛ってもよいと言われてしまったから 」
王子が小首を傾げた拍子に、白髪がふわりと舞った。
「 …いいえ、あまりにお美しい方でしたので、見惚れておりました」
「 そう?……僕も自己紹介を。エーレンフェスト王国が第三王子、アデルナハト。良き隣人、リュクラシアの姫君を歓迎いたします。遥々嫁いできてくれて、どうもありがとう。」
片膝をついた王子ーーアデルナハトは、ラーレシアの指先を掬うと、ちゅっと口づけた。
「…! 」
「 美しい姫君に出会えてよかった」
「 …勿体ないお言葉でございます。アデルナハト殿下」
「 夫婦になるんだし、アデルでいいよ」
「…はい、アデル殿下 」
勧められるまま、長椅子に腰掛ける。にこやかな笑みを浮かべたアデルナハトは、ラーレシアの目の前に座ったまま、楽しげに小首を傾げた。
「僕と違って、君は姿絵の通りとても綺麗だ」
「 …勿体ないお言葉でございます」
「 そんなに緊張しなくていいのに」
アデルナハトは小首を傾げてまた笑う。
この王子はどうやら小首を傾げる癖でもあるらしい。
「君はもうすでにエーレンフェストのお姫様だ。僕たちの家族だよ 」
「 …かぞく?」
そんな言葉は聞いたことがなかった。家族だなんて、そんな言葉を。
「うん、そう。家族だよ 」
淡い青を散りばめた銀色の瞳が、ゆっくりと細められた。白く長い睫毛の隙間からのぞく銀河に吸い込まれそうになる。
調子が狂いそうだった。ただの政略結婚だと思っていたのに。リュクラシアの国王が命じた縁談だなんて、人質のようなものだと思っていた。
家族なんて。簡単に吐けるその笑みを浮かべたくちびるが、どうしようもなく不思議だった。
「…… 」
「…? そうだ、リュクラシアのことを聞かせて。とっても興味があるんだ。君の国のこと」
「…リュクラシアのことでございますか? 」
「 うん。君の家族のことを教えて?」
「…わたくしの、家族? 」
家族と呼べるひとは、きっともう既に亡かった。
ラーレシアが1歳の時に亡くなった母の記憶は朧げで、王たる父のことなど、ほとんど他人に等しかった。
兄も姉も、親しみとは縁がなかったし、誰も彼もラーレシアのことなんて何とも思っていなかった。
「 ……」
「…ラーレシア? 」
アデルナハトが不思議げに小首を傾げる。それだけで、彼とは住む世界が違うのだと明確にわかった。
彼には正しい意味での家族があって、彼はそれを当たり前に享受しているのだと。
「 ……」
「ラーレシア? 」
「 ーー母は美しくて、優しい人でした」
記憶という記憶は殆どなかった。夢を見ているみたいに、幻みたいに掴みどころのない欠片みたいな記憶ばかりだった。
この王子は何も知らないだけだ。ラーレシアが本当のことを言ってしまえば、きっと傷つけるだろうから。
「 ぬばたまのような黒髪で、わたくしと同じような藍色の瞳を持っていました。」
それは何度も何度も姿絵を見て脳裏に焼き付けた、母の姿だった。
腰掛けた膝のうえに、赤ん坊を抱いていた。
繋いだ手のひらの先には小さな男の子が口を引き結んで、姿絵の前のラーレシアを見つめていた。
絵の中の母は、優しい笑みを浮かべていた。
「 …わたくしの侍女と騎士は母が育てたのです。それくらい、誰にでも分け隔てなく優しい人でした。」
記憶をたどる。細い糸を手繰るように、慎重に。けれども糸の先はぷつりと途切れていて、それ以上の思い出なんて何も出てこない。
「 ……それから」
「… 」
「 ……」
言葉が出てこなくなる。母の記憶はお伽噺のようなものだった。
家族と呼べるひとの記憶は。
「…ラーレシア 」
「…申し訳ありません。 あまり、思い出せなくて」
「 …」
アデルナハトが気がつけば、ラーレシアの前に跪いていた。
下から見上げるように、ラーレシアを見つめている。
「 ごめん。気が付かなくてごめんね。君が不快な気持ちになるのなら、僕に遠慮なんてせずにすぐに言っていいから。」
握られた手のひらは、思いの外大きく、温かかった。
「僕が君の家族になるよ」
アデルナハトがラーレシアの手のひらを戴くように額に押し付けた。綺麗な白髪が手のひらに触れる。
「 …だから、そんなに悲しい顔をしないで」
「アデル、でんか 」
その横顔が酷く優しいせいで。
何も言えなくなる。
気づいてしまったのだと、分かった。
アデルナハトはきっと、とても優しい人なのだろうから。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
素敵な物語を届けられるよう、これからも頑張りますので、応援いただけると嬉しいです。




