10.右往・左往
「今度はGFか」
電報用紙を受け取った武田は顔をしかめた。武田だけではない。用紙を差し出す土屋も傍らの小幡も似たような表情を浮かべている。
発 GF司令長官
宛 先遣部隊指揮官 珊瑚海方面潜水部隊
通信諜報ニヨル南東方面敵情
1 敵機動部隊ハ『バナチナイ島』ヨリノ方位175度方向二在ルト認ム
2 各潜水艦ハ敵機動部隊ノ捕捉攻撃ニ努ムベシ
「戦隊、先遣部隊ときていよいよGF司令部まで出張ってきましたか」
電文を受け取った小幡は溜息をついた。
2日前、伊23はアメリカ機動部隊の捜索に従事するため交通破壊戦を打ち切り、珊瑚海に向けて針路をとった。
出撃以来立て続けに2隻の商船を血祭りに上げて士気が上がっているところにきて今度は空母機動部隊が相手だ。ハワイ沖の栄光よもう一度と乗員の士気は天を衝かんばかりに高まった。
髭だらけ垢だらけの薄汚い男たちが目をぎらつかせて興奮している姿には一般の国民が抱く「スマートな海軍さん」らしさは微塵もない。それどころかこんな連中が道端で気勢を上げていたら普通の人は全速力で逃げ出すに違いない。
しかし薄汚くなってスマートさが失われても(潜水艦乗りには端からそんなものはないのだが)、「目先が利いて几帳面」で「負けじ魂」だけは売るほどあるのが潜水艦乗りだ。
動きののろいドン亀だけに常に周りに注意を払っていないといざという時に遅れをとる。また艦内のわずかな不具合や些細な確認漏れが艦の安全に関わる重大な事態に直結する。だから乗員一人一人があちこちに目配り気配りを欠かさず、何か動作を行うときには必ず確認、異常を発見したら迅速な報告を行うよう叩き込まれているのだ。
そして乞食稼業と自他共に認める駆逐艦乗りですら裸足で逃げ出すほどの環境に鍛えられた乗員の負けじ魂に不足があろうはずがない。
武田の命を待つことなく艦内のあちこちで点検と整備が始まった。水雷科員は掌水雷長の指揮の下で魚雷の手入れを始め、電気長は電池の電解液の点検と補充に余念がない。気の早い者はもう鉢巻を巻いて気合を入れている。
伊23は第1潜戦所属の潜水艦中最も東の海域で行動していたので、一分一秒でも早く配置に就くべく昼夜を問わず水上進撃を強行した。
この海域はフィジーやエスピリツサント等からの航空機の哨戒圏内であるのに加えて敵艦の存在も予想されたが、見張を厳重に行って対応することとして一気に突破した。幸い、航空機にも敵艦にも遭遇することはなく、伊23は珊瑚海に入ることができた。
ここまでの航海は順調そのものだったが、珊瑚海に入った直後から次々に問題が降りかかってきた。
珊瑚海に潜水艦を集めるにあたり、第1潜水戦隊司令官を指揮官とする甲潜水部隊が急遽編制されて、この海域の潜水艦を統一的に指揮することとされた。
ちなみに1潜戦は旗艦を伊9に置き、伊23に4日遅れてトラックを出撃して南太平洋での交通破壊戦の指揮にあたることになっていた。
すでに珊瑚海には味方の哨戒網が張り巡らされており、敵艦隊の動向についてはほどなく判明するものと思われた。元々潜水艦は索敵能力が極めて貧弱な艦種のため、味方の索敵機が敵艦隊の位置を通報してくれれば会敵できる可能性はぐっと上がる。
その敵の動向に関する情報を旗艦で集約して、麾下潜水艦に通報することは、理にかなっていると考えられた。
だが戦隊旗艦の通信能力のことは誰も考えなかったらしい。
潜水艦の空中線はかなり低い位置にあることから、無線の送受信能力は水上艦に比べて格段に低い。そして潜水艦は潜航中等の理由で常に電波を送受信できる状況にあるわけではない。
さらに多数の潜水艦を指揮するにもかかわらず、戦隊司令部の電信員は1、2名に過ぎない。当然これだけでは足りないが、旗艦固有の電信員は自艦の通信の処理で手一杯なので、戦隊司令部の通信処理が滞るのは当然だ。
さらに悪いことに索敵報告や各艦に対する移動命令が甲潜水部隊司令部からだけでなく、先遣部隊司令部からも発せられて指揮が二元化した。
そのため各潜水艦は指示がある度に水上進撃で配置場所に向かうのだが、配置場所に到達する前に別の配置点に就くように命令されて水上での高速移動を強いられる。
そしてこの有様を見かねたのかGF司令部から参考情報の提供の形をとった介入が始まる始末だ。
そのため甲潜水部隊の各艦は頻繁な移動を強いられて、散開線を展開するどころか珊瑚海にバラバラに散らばってしまった。
そんな中、伊23は甲潜水部隊司令部から指示された海域に向かって水上進撃を続けていた。
昨日、珊瑚海北部で空母祥鳳がアメリカ空母機に沈められた。その際に米機動部隊の位置が判明したことから、伊23をはじめとする各艦に対して発見位置の東方30浬の位置に南北方向に散開線を設定し、西方に向けて掃航するよう命令が下ったのだ。
ようやくこれであちこち転々とさせられるのも終わりかと配置点に急行したが、敵の無線の発信状況から考えられる位置を知らせてきたのが先のGF司令部からの電文だった。
「あまり良くないな」
武田がぽつりと漏らした。
「これだけ配置が乱れると散開線の意味がなくなってしまいます」
小幡が海図を睨みながら応じた。
「ちょっと司令部はバタバタし過ぎだな。いや、ヤマセン(船頭多くして船山に登る)にもほどがあるぞ」
あちこちから報告される敵情に完全に司令部が振り回されている。しかも命令系統は乱れに乱れて潜水艦は右往左往するばかりだ。
「慌てる乞食は貰いが少ないって言うからな。少し速度を落として様子を見よう」




