8.炎
「あそこです!」
艦橋に駆け上がった武田は哨戒長の秋山が指差す方向に双眼鏡を向けた。
一見すると水平線には何もないよう見える。しかし目を凝らして水平線を見つめているうちにようやく一筋の淡い煙が立ち上っているのが確認できた。こうまでしないと見逃してしまいかねないほどの薄い煙。よほど気合いを入れて見張らなければ発見できなかっただろう。
「よくあれを見つけたな」
最初に煙を発見した見張員を褒めると、その兵曹は双眼鏡を覗いたまま嬉しそうに頬を緩めた。
あの獲物をどうやって襲撃するか。
髭だらけの下顎を撫でながら武田は考えた。
薄暮あるいは宵闇時なら最高なのだが、空を見上げれば太陽はまだまだ高い。
しかもマンハッタン・ローズがSOSを発信した以上、この辺りを潜水艦がうろついていることは敵にバレているはずだ。獲物に気を取られて哨戒機に横っ面を張られたら堪らない。
警戒しながら素早く前程に進出して待ち伏せるのがいいだろう。
「対空見張りを厳となせ!」
武田の気合いに見張員たちの背中が一斉に緊張感を帯びた。
「第二戦速。面舵一杯、100度のところ宜候」
伝令が復唱するとほどなく主機のディーゼルが唸り声を上げた。しかし出力を急に上げ過ぎたのか排気口から真っ黒な煙の塊が噴き出した。
「煙が濃いぞ!注意しろ!」
こちらがそうであったように煙で存在に気づかれたら奇襲の利が失われてしまう。さらに無電で通報されでもしたら面倒なことになる。
「敵の無電に注意しろ!」
電信員に敵信の傍受を命じると武田は双眼鏡を目に当てた。
目標に接近するにつれて水平線からマストの先端が現れた。どうやら独航船らしい。今のところ変針する等こちらに気づいた様子はない。
一人歩きする商船など潜水艦にしてみたらただのカモだ。
「魚雷戦用意!発射雷数2」
目標の針路は南南西方向だ。彼我の位置関係はこちらがやや落ち気味なので目標と並航する針路に変針した。
目標は之字運動をしていないので概ねの針路と速度ははすぐにわかった。あとは気づかれずに全力で前程に回り込むだけだ。
「第三戦速。出力に気をつけろ」
今度は煙を出さないようにゆっくりと機関の出力を上げさせる。
ディーゼルの音が大きくなるにつれて艦橋に吹きつける風の強さが増していく。
30分ほどで艦は目標の前程に進出した。
「両舷停止、潜航急げ!」
警急ベルがけたたましく鳴り響く中、見張員たちは次々に艦内に突入していき、信号長がハッチを閉鎖するや艦は潜航を開始した。
「深さ18」
艦が潜望鏡深度に達すると武田は潜望鏡にとりついた。そして把手をわずかに動かして目標の姿を視界に捉えた。まだ船の種類まではわからないが、針路を変えることなくこちらに向かってくる。
「潜望鏡下ろせ。前進微速」
長い時間潜望鏡を上げたままにしておくと、白波を曳いて発見される可能性が高くなる。そのためこれから先は潜望鏡をこまめに上げ下げしながらの射点を目指して移動することになる。
水面から潜望鏡が頭を出したら素早く観測して下ろす。これを繰り返しながら目標の様子を観測し、針路を変更して射点への移動を続ける。口の悪い古株の潜水艦長の中にはこの運動を「ナメクジ運動」だの「匍匐前進」などと言う者がいるが、これなくして魚雷を発射することはできない。
その間に目標の特徴が判明した。船型は三島型。船橋は船体のほぼ中央に設けられ、煙突は後部の船尾楼に立っている。油槽船の典型的な特徴だ。喫水はだいぶ下がっているので満載かそれに近いくらいの積載量だろう。またもや大物だ。
「目標は油槽船。大きい。1万5000トン以上ありそうだ」
艦内がどよめいた。
「方位角右70度、敵速12ノット、距離1100」
武田が告げる諸元を水雷科の兵曹が方位盤に入力していく。
「方位盤よし!」
打てば響くような兵曹の声。
「攻撃する。潜望鏡上げ」
油槽船はこちらにまったく気づかないまま、潜望鏡の十字線に滑り込んできた。
「用意」
目標が十字線の中心に重なった。
「テーッ!」
ズシンズシンと鈍い音と共に魚雷が発射された。2本とも異状なく目標に向かって疾走している。
そして発射から20秒後、油槽船の後部に魚雷命中の水柱が立ち上り、直後に海中を爆発音が伝わってきた。1発命中だ。
「1発命中」
艦内がどっと沸いた。
「目標はSOSを発信中。船名はナイオ…、ナイオブララです」
敵信の傍受に当たっていた電信員が報告した。
魚雷の爆発で積荷の油に引火したのか船体後部からは炎が立ち上がった。炎はたちまち手の施しようのない大火災に成長し、船員たちはもはやこれまでと消火を諦めてボートを下ろし始めた。
「目標は大火災。船を放棄するようだ」
武田が目標の様子を伝えると艦内は歓声に包まれた
しかしナイオブララは激しく燃えているが、わずかに後部の喫水が下がっただけですぐに沈む様子はない。
このまま燃えるに任せるか、はたまた止めを刺すか。止めを刺すなら魚雷の節約のために浮上して砲撃するべきか。
武田がしばし考え込んだ時だった。
突然、ナイオブララの中央から後部にかけての甲板が弾けて巨大な火の玉が沸き上がった。火の玉は一瞬にして船体中央部を飲み込むと天に向かって噴き上がった。
爆発の衝撃でできた船体の裂け目からは火のついた油が滝のように流れ出して周囲の海面を火炎地獄に変えている。これでは生き残った乗組員の脱出は不可能だろう。ボートを下ろせたとしても助かるまい。
武田は船員たちのためにしばし瞑目した。




