6.ロバート・ジャクソン
「メインタンク・ブロー」
高圧空気がメインタンクに送られて排水が始まり、ほどなく伊23は海面に姿を現した。
商船の姿はすでになく沈没地点には積荷らしい木箱が数個漂っていれ。そしてその近くには船員を乗せたボートが5艘浮かんでいた。どうやら左舷からだけではなく右舷側からも3艘下ろせたようだ。ボートは互いに近づいて一塊になろうとしている。
「ボートに寄せるぞ。前進微速」
ボート上の船員は合計90人ほどいる。だが水上艦ならいざ知らず、潜水艦にはこれほど大勢の人員を収容する余裕はない。
「こんなに大勢を収容できませんよ」
生存者を救助するとでも思ったのか、秋山が困惑した表情で言った。
「もちろん拾うつもりはない。ただ相手の目的地と積荷を聞いておきたいんだ」
そう言うと武田はボートの群れを見据えた。
数分後、伊23はボートの群れのそばに停止した。ボート上の船員たちは不安そうにこちらを見上げている。
「船長はいるか」
武田が英語で呼び掛けると1艘のボートから50歳くらいの大男が立ち上がった。
他の者たちと同じ半袖半ズボンの防暑服を着ていて服には特に目立つ記章の類は付いていない。だがその立居振舞と周りの乗組員たちの表情から彼が船長だとわかった。
「そちらの船名と積荷、それに目的地が知りたい」
「そんなこと教えるわけがないだろう!俺の船を沈めやがって!」
武田の呼びかけに怒声が返ってきた。
彼の顔は怒りで赤く染まり、歯を剥き出しにして怒鳴る様子はまるで赤鬼だ。
「私もフネを預かる立場だから同情申し上げるがなにぶん戦争なのでね」
「くそったれが!」
何か物を持っていたら投げつけてきそうな剣幕だった。英語がわからなくても険悪な雰囲気を察したのか若い見張員の顔が強張る。
その後も武田はいくつか質問を投げかけたが、船長は罵倒を繰り返すばかりでまともに答えようとしない。
「沈む前に無線は使ったか」
「言うわけないだろう!さっさと失せろ!」
もはや処置なし、と言わんばかりに秋山が天を仰いだ。
「ならせめて船名だけでも教えてくれ」
「ふざけるな!まだ竣工したばかりの新造船だったんだぞ!」
船長は再び武田に噛みついた。しかし彼の表情はどこか悲しげだ。
「今回が2回目の航海だったんだ。本当にいい船だったんだぞ」
震える声で言うと船長はがっくりと肩を落とした。
「水や食料は足りているか」
武田が静かに尋ねると船長は驚いたような表情を浮かべた。
「水や食料は足りているかと聞いている。足りないならいくらか融通できるが」
「へっ、ブシドーってやつか?憐れみなら要らないぞ」
「別に憐れむつもりはない。海に落ちれば敵も味方もない、では駄目かな」
「フン。気取りやがって」
毒づいてはいるが、さっきまでと違って会話が成り立つようになった。
「折角沈む船から逃げられたんだ。生きて救助されるための努力をするべきだと思わないか」
船長は黙り込んだ。周りの乗組員たちも先行きに不安を感じているのかすがるように船長を見つめている。
「不足しているものがないなら我々はこれで失礼するよ」
武田はそう告げると前進の号令をかけるべく息を吸い込んだ。
「救援要請をしたらフィジーの無線局から応答があった。だから2、3日中には救助が来るはずだ」
船長が声を張り上げた。
「ありがとう船長。これで少しは安心できるよ」
「あと水と食料は十分にある。天測の道具も問題ない。ただ、日除けになりそうなものがあれば分けてほしい」
武田は頷くと掌帆長に防水用のケンバスを持ってくるよう命じた。
「お前らが沈めた船の名はマンハッタン・ローズだ。積荷は航空機部品と小麦で目的地はケアンズだった」
船長は続けた。
「排水量9800トン、最大速度は17ノット。船艙の構造がよくできているのと最新式のデリックのおかげで荷揚げの早さは同じクラスの中じゃトップだった。おまけに全員が脱出するまで持ちこたえてくれた。本当に気立てのいい自慢の娘だった」
一息に喋りきると、気持ちが吹っ切れたのか穏やかな表情を浮かべた。
「全員無事だったのか」
「海に飛び込んで濡れた奴はいるが、死人はいない。怪我人も大したことはない」
「運のいいことだ」
ケンバスを持って戻ってきた掌帆長の監督の下、伊23とボートの間にロープが渡された。掌帆長が手際よく綱渡しの要領でケンバスをボートに送ると船員たちはあっと言う間に天幕のような日除けを作り上げた。
「さあそろそろ我々はお暇するよ。あなた方の航海の安全を祈るよ」
「ジャクソン、ロバート・ジャクソンだ。お前さんの名前を聞いておこう」
「ジャクソン船長、私は大日本帝国海軍大尉ノブナリ・タケダだ。もう二度と会うことはないだろう」
「いいや、お前さんとはまた会いそうな気がするぜ」
「ならまた沈めることになっても怒らないでほしいな」
「その時は仕方ない。戦争だろ?」
ジャクソンは男臭い笑みを浮かべた。
「だが俺の勘はよく当たるんだ。次に会った時には今回の礼に一杯奢ってやろう」
「楽しみにしているよ。さあボートをひっくり返すといけないから離れてくれ」
ボートが十分に離れたのを確認すると、伊23はゆっくりと前進を始めた。
ジャクソンは離れゆく武田に向かってぴしりと敬礼した。
「じゃあな!」
大声を張り上げたジャクソンに対して、武田も教範通りの敬礼で答礼すると前方を見据えた。




