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わたつみの魔王  作者: 山谷 宗
第2章 緒戦
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4.祭

トラックを出航して3日が過ぎ、伊23は赤道を越えて南半球に入った。


好天に恵まれてここまでの航海は順調そのもので、潜航訓練時を除いて水上航行が続いている。そのため非直の乗組員は交代で艦橋に上がっては日差しを浴びたり煙草を吸うことができた。

新鮮な空気と日光に飢えている潜水艦乗りにとってはまさに夢のような航海である。


しかしそんな空気を吹き飛ばす情報が飛び込んできた。


4月18日、突如米軍機が東京や横浜、名古屋、大阪等の大都市と横須賀を襲ったのだ。

艦隊司令部からの情報では、少数機による空襲のため被害は極めて軽微だったとのことで皆は胸を撫で下ろした。

しかし情報統制のためなのかこの件に関する続報が一切ないため、乗組員の中には徐々に落ち着かない様子の者が見られるようになった。


伊23は横須賀鎮守府所属なので下士官兵には東京や神奈川出身者が多い。そして母港がある横須賀で所帯を構えている者もいる。

軽微な被害とはいえ、自分の住む街が空襲の被害に遭ったら気にならないはずがない。

彼らは平静を保ってはいるが、内心では家族や家のことが心配になっているはずだ。


潜水艦のように乗組員同士の距離が物理的にも精神的にも近いフネは、不安な気分も伝染しやすいので、武田は何らかの手を打つ必要があると考えた。



なおこの空襲を行った爆撃機は日本近海まで近づいてきた空母から発艦したそうだ。そのため本土に在泊する艦に対して一斉に追撃命令が下った。

だが米軍が虎の子の空母をいつまでも日本近海でうろちょろさせるとは考えられず、とっくに安全圏に離脱したころだろう。


開戦以来の勝ち戦に沸く日本人にとってはまさに冷水をぶっかけられたような事態で、逆にアメリカ国民の士気は大いに上がったはずだ。


日本とアメリカの間には海しかなく、ほんの数ヶ月前に南雲中将の機動部隊はその海を渡って真珠湾を攻撃した。日本にできたことがアメリカにできない道理はないのだが、論理と感情は別の話だ。



「よし」


士官室での食事中、いつものように大盛り飯を掻き込んでいた武田が突然口を開いた。


「赤道祭をやるぞ」



赤道祭とは帆船が赤道を通過する時に順風と安全を祈願した習慣が起源とされている。それがいつしか長期間にわたる航海に従事する乗組員の娯楽や気分転換のための行事に変化し、明治の建軍と共にイギリスから移入された。

憂さ晴らしのためにある程度の無茶や無礼が許されるから、乗組員の気分を変えるにはまさにぴったりの行事である。



早速今までに赤道を通過したことがない者は名乗り出るようお触れを出したところ、砲術長の秋山と軍医長の内藤以下21名がこれに該当した。


本来なら赤道祭は赤道通過の瞬間をもって始まるのだが、既に通過してしまっている。それに何より戦時のため簡素にせざるを得ない。

それが残念ではあるが、大乗り気な原の指揮の下で早速準備が整えられた。


赤道祭と言えば洗礼の儀式が付き物で、ある程度の無茶が許されている。そのため人望がない者は部下から日頃の恨みを込めた手荒い洗礼を受けることもある。


古参の下士官や水兵たちはそんな自分たちの体験をかなり大袈裟に語って、まだ赤道を通過したことがない者を怖がらせて楽しんでいた。



そして翌日。好天に恵まれ波は穏やかで絶好の祭日和になった。


艦橋見張りが油断なく周囲を警戒する中、武田と秋山以下21名が前甲板に集合して海神の来艦を待つ。

すると前部ハッチから腰布一丁の鬼が現れた。


「諸君らは現在、海神の領域を侵している。しかも海神が臣ではない者が多数乗艦しているようだがそのようなフネを通すわけにはいかない。直ちに立ち去るように」


大声で口上を述べる鬼に対して武田が答えた。


「無断侵入については心よりお詫び申し上げ、海神様のご寛恕を願うしかありません。しかしここに居ります帝国海軍中尉秋山康彦以下21名は海神様が臣の末席に加えていただくことを望んでおります。ですから海神様にお取り次ぎを願えないでしょうか」


この答えに鬼はしばし考え込む素振りをすると頷いて艦内に戻っていった。



続いて掌帆長の吹く号笛を合図に、白い髪と髭を長く伸ばし、古代ギリシアのヒマティオンのような衣を纏った海神が鬼たちを引き連れて前部ハッチから登場した。

ちなみに海神に扮するのは小幡であり、手に持つ三叉槍は機関科員の力作だ。


武田は海神の前に進み出ると敬礼の後、官職姓名を申告して無断で赤道を通過したことを詫びた。そして改めて海神の国への入国許可を求めると共に背後に控える21名が海神の臣に加わることの許しを請うた。


海神は赤道の無断通過について鷹揚に許し、21名が海神の臣になるための洗礼を受けることを条件に入国を許可した。

そして鬼に扮した信号兵が吹くラッパの音と共に儀式が始まった。


まず鬼たちが奇声を上げながら秋山に飛びかかると、靴墨と食用油、その他よくわからない物を混ぜ合わせたひどい臭いの液体を彼の顔に塗りたくってもみくちゃにした。そして彼を神輿のように担ぎ上げると三度胴上げしてから海に放り込んだ。


続いて内藤も同じ運命を辿り、下士官兵も次々に手荒い洗礼を受けることになった。


海で体を清めた者には鬼から猪口に注がれたお神酒が与えられ、これを飲み干してようやく海神の臣に加わることが許された。


海神の記憶違いか鬼たちがうっかりしたのか、武田にも洗礼を施してしまうという予想外の出来事があったものの、皆多いに笑って騒いで祭は大成功に終わった。



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