13.始動
曳船が後進を掛けて伊23をゆっくりと桟橋から引き離した。
「出航用意」
信号手が出航ラッパを吹く。
「舫い解け」
桟橋と伊23を繋いでいた舫綱が放され、水兵たちが掌帆長の監督の下、綱の収納作業に勤しんでいる。
修理を終えた伊23は修理状況の確認と各種試験を行うために出航することになった。
損傷の修理と合わせて数ヶ所に若干の改良を施したため、1ヶ月半ぶりの出航である。これから伊予灘の訓練海域で試験を行い、同時に休んだ間に衰えた練度を取り戻すための訓練を実施する予定になっている。
「両舷前進微速」
ディーゼルの唸りが徐々に大きくなっていく。
「行き足ついた」
「曳船離れた」
ここまでフネを曳いてきた曳船が離れていく。
「曳船に信号『助力二感謝ス』」
艦長たちの中には全く曳船を使わずに出入港をやってのける凄腕もいるが、見栄を張ってフネを傷つけでもしたら元も子もないので武田は迷うことなく曳船を使うことを選んだ。
「左舷後進一杯」
左舷側の海面が泡立ってフネはゆっくりと左に艦首を向けていく。
「艦長、曳船より信号『ゴ安全ヲ祈ル』です」
艦長と呼ばれるのにはまだ慣れないな
武田は内心で苦笑した。
山本が言った通り、あの会食から間もなく『海軍大尉 武田信成 右ノ者 伊号第23潜水艦長心得ヲ命ズ』という辞令が出て、武田は正式に伊23の指揮を執ることになった。
海軍とは前例や内規、序列を殊更に尊重する役所なのだが、これらを一切無視してここまで盛大な横紙破りを可能にするGF長官の威光に彼は改めて恐れ入った。そして同時に必ずや山本の期待に応えなければと固く誓った。
心得とはいえ艦長であることに違いはない。同期の中には旧型駆逐艦の艦長ならいるが、最新鋭艦の艦長は武田が初めてだった。そのため同期たち、特に潜水艦乗りたちは当の本人よりも喜び、幹事役が呉周辺にいる同期に声を掛けて盛大な祝宴を開いてくれた。
入渠中の主な仕事は工廠との折衝や作業の立会ばかりだった。あとは工廠の技術士官たちから艦や装備に関する不備や要望がないか聞きに来たのでその相手をしたこともあった。
彼のもとに現れた技術士官たちはとにかく熱心だった。その熱意にほだされて改善点等の実際的な話から、理想の潜水艦像についてまで語り合うことができ、実に有益な時間を過ごすことができた。
その話の中で電池の破損防止と艦の騒音の軽減について改善を求めてみたところ、彼らは早速対策を約束してくれて、その一週間後には工事が始まっていた。
具体的な作業としては、電池の方は下に柔らかいゴム板を敷いて衝撃を和らげるようにし、騒音の方は機械類の取り付け部にやはりゴム板を挟むようにするとのことだった。
この工事は2週間程で出来上がったので、その効果はこれから確認することになる。
「左舷停止、前進」
それから人事異動も行われた。
まず武田の後任の先任将校に小柄ですばしっこそうな小幡大尉が着任した。機関長は転出して後任に仁科機関大尉が着任した。こちらは眼鏡をかけた穏やかそうな人物だ。
航海長、通信長、砲術長、軍医長は留任した。
その一方、下士官兵は21人が転出。一度に乗組員の4分の1近くが入れ替わるのも痛いが、電気長が転任になったのは特に痛かった。
彼は本艦の艤装以来電気系の一切を切り盛りしていたベテランで、先に爆雷を食らったときも手早く冷静に電池の修理をやり遂げた逸材だった。
他の下士官兵も十分に潜水艦に慣れていて、頼りになる者たちばかりだった。
しかも悪いことに転入した下士官兵の大半は潜水学校を出たばかりのため、ものになるには相当の時間がかかるものと考えられた。
だが今は戦時だ。無駄を省いた効率的な訓練を行って一日も早く力を付けてもらわなくてはならない。やるしかない。
「前進原速」
武田は力強く命じた。




