12.旗艦
本日2話目です。
鎮守府勤務の同期生のおかげでなんとか風呂に入って身綺麗になることができた。しかし軍服は行李に仕舞い込んだ一着のみ。なけなしの一張羅だったが油紙に包んでおくのを怠ったため、久々に広げてみると艦内の臭気とカビの臭いが染み込んでいた。誰かに借りようにも似た背格好の者がいなかったため、カビ臭い軍服に袖を通すことになった。
制帽の徽章には緑青が浮きかけていたが、これは土屋の物を借りることができた。しかしここぞとばかりにKA(妻)を娶ることの重要性と、いかに生活が文明的になるか、そして若いKAの惚気話を得々と語る土屋に閉口する羽目になったのだが。
早くもくたびれた武田は敬礼で見送る土屋たちにぞんざいに答礼すると迎えの内火艇に飛び乗った。
伊23の甲板から眺める大和も十分に巨大だったが、内火艇が近づくにつれてその巨大さをひしひしと感じるようになった。舷側はまるで城壁のようで、どんな攻撃もはね返しそうに見えた。灰色の城壁に掛けられた舷梯を登ればその先は磨き上げられた広大な木甲板だった。
狭苦しい潜水艦に慣れているせいで、広々としたフネはどうも落ち着かない。そのフネが連合艦隊旗艦となればなおさらだ。
半ば負け惜しみのように思っていた武田だったが、甲板上に連なる巨大な主砲塔とその背後に聳え立つ艦橋の圧倒的な存在感には言葉を失った。
しばし偉容に目を奪われていると、飾緒を吊った参謀たちを引き連れて坊主頭の小柄な将官が近づいて来るのに気がついた。襟元の階級章はベタ金に桜が3つの海軍大将のもの。つまり山本連合艦隊(GF)司令長官自ら参謀たちを引き連れて出迎えに来たのだ。
武田が緊張で顔を引き攣らせながら敬礼すると、山本は海軍礼式に則った完璧な挙手で答礼してみせた。
山本が下級の士官はおろか下士官兵にすら綺麗な答礼をするのは半ば伝説となっており、図らずも武田は自分の目で伝説を確認できたわけだ。
敬礼を終えると、山本は上機嫌で武田の肩をぽんぽんと叩いた。
「やあ、ご苦労だったね。板垣君は残念だったが本当に良く帰ってきた。そしてよくやってくれた。真珠湾では空母を討ちもらしたから、本当に助かったよ」
「どうしても直接礼が言いたくてね、それで清水君(光美、第6艦隊司令長官)に無理を言って呉に来てもらったのさ。今日は報告と言っても内々の食事会みたいなものだから楽にしてくれよ」
そう言うと山本は武田を艦内へと誘った。
内々と聞いて多少気を緩めた武田だったが、列席者が全員佐官以上だったことに気がついた。しかも席は並み居る上級者を差し置いて山本の右脇、宇垣参謀長の真向かいだ。
もはや俎の上の鯉。我も人なら彼も人。同じ人間何が違う。
武田がもはや何が何やらわからない腹の括り方をしていると、名前のわからない中佐が乾杯の音頭を取って食事会が始まった。
武田の立場上、自分から口を開くことが出来ないのは皆が承知しているので、山本やさっきの中佐が盛んに話しかけて場を持たせようとしてくれた。彼らの気遣いが分かると緊張感も徐々に薄れていき、やがて求められるままに、自分の経歴や今回の航海について語ることになった。
山本は話し上手だが聞き上手でもあった。武田が上海で陸戦隊を指揮した時の話に感嘆し、板垣艦長が息を引き取った状況を聞けば目を潤ませ、空母襲撃のくだりでは感心したようにしきりに頷き、大漁旗を作った時の苦労話で愉快そうに笑った。
おかげで食事が終わるころには武田の気分もすっかりほぐれて、コーヒーの香りを楽しむ余裕さえ出てきた。
そんなゆったりとした空気の中で山本が口を開いた。
「君にはこれからも伊23を任せるつもりでいるからね」
ぎょっとした武田が周りを見回したが、誰も驚いた様子はない。どうやらGF司令部ではこの件は決定事項らしい。
「人事はハンモックナンバーだのとうるさいことを言ってくるだろうが、それは僕が黙らせておく」
先程までの人好きのする表情が一変して、紛れもない武人の顔になった。
「大体、空母を沈めてくるような先任将校を部下に持つなんて新しい艦長はやりにくくて仕方ないだろう。だからこれで押し通せると思う」
そう言うと山本は人の悪そうな笑みを浮かべた。
「それでもダメなら軍令部に手を回してそちらからも攻めさせる。海軍省はトップが同期だからこっちからも押す。まあ大丈夫だろうな。あとは」
山本はコーヒーを一口飲んだ。
「同じ理由で潜水学校もなしだから。前線じゃ1人でも多くの元気のいい艦長が欲しいからね。少しの間は伊号第23潜水艦長心得って形でやってもらって機を見て心得を外すような感じかな。もちろん君の後任も手配する。そんなわけでこれからも頑張ってくれ。また大漁を期待してるよ」
「ご期待に応えられるよう努めます」
武田は目を白黒させながら答えた。
それを見た山本は悪戯っぽい表情で付け加えた。
「もう立場があるんだから喧嘩はやめてくれよ」




