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わたつみの魔王  作者: 山谷 宗
第1章 初陣
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11.大漁旗

旭日と宝船を背景に海面から飛び上がる真鯛をあしらった大漁旗。旗の下部には防諜上の理由から伏字にした「伊○○潜」の文字が刺繍されている。いくさ船に不似合いな派手派手しい大漁旗は、短波無線檣に結びつけられた軍艦旗の下で力強くはためいていた。



「いい旗ですね。他のフネの連中が羨ましがりますよ」


大漁旗を仰いで原が笑った。


この旗は武田が伊23に着任した際、乗組員の団結と戦意高揚のために自腹を切って作ったものだ。その頃はすでに物資不足のご時世だったため、需品部の知り合いに色々と融通を効かせて貰ったのは内緒だ。しかしそのおかげで辛うじて出撃に間に合った。



「もう戦果も知れわたっているでしょうから上陸したらきっともてもてですよ」


原は上陸後のことを考えて早くもうきうきしている。


「横須賀でないのが残念ですが、たまには浮気もいいでしょう」


「そんなことを言っていいのか?航海長のお気に入りの…誰だっけ。とにかく言いつけるぞ」


武田の指摘に皆が笑った。


「そんなことを言ってるから罰が当たるんですよ。まったく先任こそ御愁傷様ですね」


痛いところを突かれた武田は顔をしかめた。



爆雷攻撃による損傷は意外に大きく、伊23は呉での修理を命じられた。


本来であれば伊23は横須賀所属のため修理と補給は横須賀で受けるはずだったが、連合艦隊司令部からの直々の命令で呉に向かうことになったのだ。呉到着後は、連合艦隊旗艦で長官を始めとしたお偉方に直接報告をしなければならない。その後は東京に飛んで今度は軍令部と海軍省だ。原が言う「罰」とはこのことだった。


その事を考えて武田はますますげんなりした表情を浮かべた。


「まあ昼間は面倒でも夜は旨い酒を飲ませてもらえますよ。本当に羨ましいです」


まったく心にもないことを言われて武田は一つ溜め息をついた。


「お偉いさんと飲む酒が旨いものかよ」



なお本土への回航については、武田の指揮で行うこととなった。現在の日本軍は各地で優勢に戦いを進めており、本土までの航海なら艦長を欠いても問題はないというのが第6艦隊司令部の考えだった。これについては武田も異存はない。



伊23はクェゼリンを出航した後、大平洋を北上して日本本土を目指した。本土に近づくにつれて乗組員の着衣は徐々に布面積が増えていき、今では皆、長袖長ズボンの通常軍装を着ている。



フネは豊後水道を抜けていよいよ瀬戸内海に入った。豊後水道に入った時点で艦橋の両側面には日の丸と「イ23」の艦名標識が取り付けられた。艦名標識は出航すると取り外される。だからこれを取り付けることは帰港と同義なので作業をする兵の顔は明るい。



ここまで来ればもう我が家の庭先のようなものだ。見張員たちもどこか余裕のある様子で受け持ち範囲を見張っている。


1月の瀬戸内は南洋の気候に慣れた者にはいくらか肌寒い。しかし降り注ぐ日差しはどこか柔らかく、春の訪れが間もないことを感じさせる。そして陸から吹く風が微かな土の香りを運んでくるように感じられ、乗組員の胸中には文字通り母国に帰ってきた安心感が湧き上がっていた。



時折すれ違う漁船や商船は汽笛を鳴らして帰還を祝う信号を送ってくる。その度に返信しなければならないので、武田と信号手はなかなかの忙しさだ。


今もまた宇品を出港したばかりらしい商船が発光信号を送ってきた。


「無事ノゴ帰還ヲ祝ス。大漁ナリヤ」


甲板上では戦地に向かうと思われる陸兵たちが鈴なりになって帽子を振っている


「返信『カタジケナシ。大物ヲ釣リ上ゲ乗組員一同意気軒昂ナリ。貴隊ノゴ武運ヲ祈念ス』だ。おい」


武田の意を察して艦橋にいた全員がすれ違いつつある商船に敬礼を送った。



江田島と本土の間を抜けて、フネはいよいよ軍港区域に入った。鎮守府港務部からの指示で、伊23の繋留先は通称ドン亀溜まりと呼ばれる潜水艦桟橋ではなく、鎮守府直近の桟橋が指定された。多分何らかの式典があるのだろう。



そのまま碇泊中の艦の間を抜けて桟橋を目指す。各艦は帽振れで出迎えてくれたので、こちらも手空きの乗組員を上甲板に上げて返礼をするが、港の最奥に巨大なフネが碇泊しているのが見えて艦橋は騒然となった。


「なんだあのでかいフネは」


前任地が呉だった武田はあのフネの正体を知っていた。


「あれは一号艦だよ。正式な名前は知らないが、あれのせいで随分防諜がやかましかったな」


すると戦艦の信号灯が点滅を始めた。


「前方の戦艦、や、ま、とから信号『無事ノ帰還ト武勲ヲ祝ス。1430ニらんちヲ送ルノデ艦長ハ来艦サレタシ』以上です」


「このフネに艦長はいないから行かなくていいのか」


武田はまた不貞腐れたように言った。


「この時間に来られちゃ風呂に入る暇もないぞ」



桟橋には鎮守府長官らがすでに整列していた。そして曳船の助けを借りて接岸すると同時に舫い綱と道板が渡され、軍楽隊が軍艦マーチの演奏を始めた。


約束通り戦果を挙げて無事に帰って来られた。


流石の武田の胸にも込み上げてくるものがあったが、奥歯を噛み締めてぐっと堪えた。



「合戦用具納め。皆ご苦労だった」



伊23はおよそ2ヶ月ぶりに日本に帰還した。



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