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第五章 降り積もる雪

綺麗な人だと、思った。

外見だけではない。清涼な雰囲気に、凛とした声。

澄んだ瞳はしかし鋭く、切りつけるような視線に、思わず俯いた。

 その人が、口を開く。真っ直ぐな言葉が、突き刺さる。

あの時彼女は、確かに一度諦めた。


* * *


 もともと良くなかった病状は、あの日を境に急激に悪化した。

「姫様、起きられたのでしたら、お薬を……」

 少女が掛け布から頭を出すと、三舟はビク、と身を震わせて目を伏せる。そこまで怖い顔をしていただろうか、と考えて、少女は溜息をつく。していたかもしれない。

 屋敷にこもりきりの日々は、息が詰まる。


「お前も災難ね。私に付いた所為で、こんな田舎に左遷されて」

「そんなこと、」

「もういいわ。下がっていて」

 軽く手を振る。言いかけた言葉を呑み込み、頭を垂れたままいざり出ていく三舟の姿を見送って、少女はもう一度嘆息した。

(怖がるくらいなら、近寄らなければ良いのに)

 もっとも、仕事である以上、それはできないのだろうけれど。

 薬を飲み下し、その苦さに顔を顰める。

 真っ直ぐに見つめてくる瞳が、懐かしかった。



「なんだ、女子(おなご)か」

 生まれた彼女にかけられた第一声は、そんな言葉だったらしい。

 女房達の口さがない噂話を漏れ聞いただけなので、真偽の程は分からないけれど。それでも、仮に口に出してはいなかったのだとしても、そう思われてはいたのだと思う。

 女ばかりの家に、またも生まれた女。これが優れた美貌や歌の才でもあるならともかく、病弱で手はかかるくせに政略結婚の役には立ちそうにもない。父には数えるほどしか会ったことはなく、裳着の際に付けられた名前は「淡雪(あわゆき)」。これはもう、さっさと消えろと言われているしか思えない。

 そんな扱いだったから、家でも他の貴族の間でも腫れもの扱いされて、いざ療養を口実に田舎に厄介払いされたと思ったら、そちらでも奇異の目で見られる。悪意がないだけ、マシではあるけれど。

 それでも、寂しくて。人の中にいるのに独りなのが寂しいなら、いっそのこと誰もいない場所にいけば良いのではないかと思った。

 女房達も、面倒だったのだろう。容態が安定しているときは、余程危ないことをしない限り、見て見ぬふりをしてくれた。幸い、空気が良かったのか、こちらに来てから比較的調子は良かった。

 そんな中で、彼女に出逢った。



「アサギ」

 少女のことをそう呼ぶのは、ただ一人しかいない。

 しかしその一人はここにいるはずのない者だったから、きっとこれは夢なのだと安心して、少女は微笑んだ。

「相変わらず、音を立てないのね」

「気付いてた?」

「気付いたわ」

 少女は緩やかに半身を起こす。御簾越しに差し込む光はさほど強くないはずなのに、ふわふわとした髪は柔らかな緑色に透けている。

 その色彩に、最後にスイを見た時の姿を思い出して、少女は短く息を吸った。

「お前は、あの柳の化身なの?」

「……そうとも言えるし、そうでないとも言える」

 スイは短い着物の裾を払うと、少女の枕元に膝をついた。

「あの柳は、長く生きている。長く生きているものは、力がある。だから、あの木の周りには、水辺に集う小さきモノたちが、寄り付いていた」

 やはり、という思いが胸を占める。

 少女の嘘にも最初から気付いていたのだろう。自らの滑稽さに嫌気が差し、自嘲の笑みに唇が歪む。

「けど、それだけ。形も、意志も、持ってはいなかった」

「え? どういう……」

 強い瞳に射竦められ、少女は言葉を詰まらせた。半端に途切れた問い掛けが、宙に浮く。

「それに命を与えたのは、あなた」

 凛とした声は脳に染み渡るのに、その意味を理解することができない。

 おかしい。これが夢なら、スイが少女の知らない、思いもよらないことを言い出すわけがない。

「あなたでしょう? わたしが揺らした枝に、村の子供の姿を思い描いたのは。――その瞬間、柳を中心に集まった力が、一つの塊になった。『わたし』はこの姿を取って、あなたの目に映った」

 混乱する少女に向かって、スイは小さく微笑む。その表情があまりに儚げで、心臓がドクリと音を立てた。

「寂しそうなあなたを見て、そばにいたいと思った。助けたいと、思った。それがわたしに生まれた、初めての意志」

「何を、言っているの」

 思わず掛け布を跳ねのけ、スイに詰め寄ろうとする。だが、急激なその動きは、ここ最近寝てばかりいた身体には過度な負担だったらしい。再び布団に舞い戻りかける少女の身体を、細い腕が優しく支えた。

「無理してるのは知ってた。けど、こんなに悪いとは思わなかった」

「寝たきりで三年生きるより、好きなように一年生きた方が余程良いというものだわ」

 強気に言い切りつつも、繕いきれずに咳き込む。つやをなくした黒髪が揺れ、スイの顔に陰を落とした。

「――でも、いい加減に限界のようね」

「そう」

 スイは顔を伏せる。そのまま少女を寝かせると、小さな手で少女の目元を覆った。

「目を瞑ってて」

「え?」

 小さな気配が近付く。切り揃えられた髪の端が頬を擽って、柔らかな感触が唇に当たる。何かが吹き込まれるような感覚がして、肩が跳ねた。

 急激に、身体がスッと楽になる。目元を覆う手のひらが外れて、見えたのは、ゆっくりと薄れるスイの姿。

「何なの。何をしているの、スイ!」

「わたしはただ、わたしを形作った最初の感情に従う。それだけ」

 儚く微笑むスイの身体を透かして、向こう側の景色が見える。

「待って――」

「わたしに命をくれたのは、あなた。わたしはそれを、あなたに還そう」

 伸ばした指の先で、スイの姿が一瞬、青く煌めいて。

 空気に溶け去るように、消えた。


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