第四章 色付く紅葉
ここならば、もしかして、と思った。
けれど、そんなことはなかった。
やはり少女は異質でしかなくて、異質なものを人は排除する。
独りではなく、一人なだけだと、自分に言い聞かせた。
排除されているのではなく、排除しているのだと、思うことにした。
そうしているうちに、自分が何を望んでいるのかも分からなくなって。
そんな時に少女は、子供と出逢った。
* * *
「紅葉狩りに行きましょう!」
そう言い出したのは、ただの思い付きだった。色付き始めた山並みが綺麗だったから、間近で見てみたくなったのだ。
「却下」
「何よ、聞きもしないで」
しかし、スイはいつも通りにつれない。立てた人差し指をきゅっと握り込んで、アサギは頬を膨らませた。
「どこまで行くつもり?」
「この川を辿って上流、行けるところまで」
「……その格好で?」
スイの視線が、上質な袿と長い袖、引きずるほどに長い裾を順に見る。アサギは腰に手を当てて胸を張った。
「今更だわ!」
「……そう、今更だね」
「ふふ、じゃあ、決定ね? おむすび持ってきたのよ」
「……どこから?」
「え、……そ、そうね」
しまった、と視線を泳がせるアサギに、諦めたように目を伏せて、スイが立ち上がる。感情に乏しい目でアサギを見上げて、手を差し出した。
「行こう。行けるとこまで。荷物はわたしが持つ」
「失礼ね。私はそんなに貧弱ではないわよ」
「貧弱だよ、アサギは。よく倒れる」
軽口の叩き合いも、もう慣れたものだ。
つれないように見えて、スイは結構押しに弱いのだ。そんなことも、最近は分かってきた。
「そこ、足元。危ない」
「ありがとう、スイ」
伸ばされた小さい手は見た目の割に力が強く、位置が低すぎる点だけが玉に瑕だ。遠慮なく手を借りて、にこりと微笑む。その表情を見て、スイは眉根を寄せた。
「ここで休憩にしよう」
「え? 大丈夫よ、まだ行けるわ」
「だめ」
冷たい指がアサギの手をす、と撫でて、幼い眉を寄せる。これは、言い出したら聞かない時の表情だ。
「無表情なクセして、時々頑固なんだから」
「アサギに言われる筋合いはない」
はあ、と溜息を吐く。見上げた山の上の方は、赤々と色づいた楓が鮮やかで、黄や橙に染まった木々との彩り豊かな濃淡を織りなす。
「次は、もっと上まで行きましょうね」
「……うん」
表情を曇らせて俯いたスイが、色づき始めた楓の葉を、アサギの袖にそっと入れた。
しかし、『次』の機会が、来ることはなかった。
* * *
ここしばらくの間吹き荒れていた嵐が収まるも、空はまだ重苦しい鉛色で、一向に晴れる気配はない。いつもの小川も、今は流れの速い濁流となって渦を巻いている。
「さすがに、スイも来ていないわね」
声に出して確かめてみたものの諦め難くて、アサギは木の幹に身体を預けてしゃがみ込んだ。
「ここで待っていると、スイが降りて来るのよね。まるで、私がいつ来るのか知っているみたいに」
流れに手を差し入れてみると、常よりもずっと早く押し流される。凍るような冷たさが心地良くて、アサギは小さく息をついた。
瞬間、くらり、と世界が揺れた。
咄嗟に手をついて身体を支える。何度か経験したことのある感覚だから、単なる眩暈だろう。大丈夫だ。落ち着いて、少し経てば、治るはずだから。
そう思った矢先、体重をかけていた手がずるりと滑った。
「きゃあ?!」
見開いた瞳に、荒れた川面が迫る。均衡を失った身体は、そのまま水の中へ倒れ込んだ。
「ばか! 死にたいの?!」
スイの激昂した声なんて、初めて聞く。いつもの平坦口調はどうしたのよ、と揶揄おうとしたのに、声が出ない。
「聞いてるんでしょ? 起きて!」
背に強い衝撃を感じ、アサギは激しく咳き込んだ。ごぽり、という音とともに、水が吐き出される。頭が、痛い。
「何考えてるの。こんな天気で、そんな体調なのに、どうして来たの」
スイが怒っている。ずぶ濡れになって、目を真っ赤にして。背後に立つ柳までもが、スイの感情を表しているように荒れ狂う。
スイが、いる。真っ直ぐに、自分を見ている。
「スイ。お前は、いつもそんな真っ直ぐな目で、私を見てくれるわね」
冷たい頬に手を伸ばす。柔らかい頬がぐしゃぐしゃに濡れているのは、雨だろうか、別のものだろうか。
「人は皆、私を見ると怯えるわ。でなければ遠巻きにして、逃げていくの。まるで、目を合わせたら終わりとでも言わんばかりにね。けれどあなたは、私のことを見てくれる。私のところに、来てくれる」
「っ、答えてよ!」
「何で怒るのよ。スイが、来てくれたのでしょう。ずっとここにいる、私のもとに」
「違う。違う、わたしは、」
「そもそも、心配する必要なんて、ないのに。だって、」
喉がひゅーひゅーと鳴る。傾いだ身体を肘で支えて、スイを見上げる。途切れ途切れに、言葉を繋ぐ。
「私は、水の妖、だから、」
「違う!」
辛うじて守ろうとした最後の砦が、ばっさりと切って捨てられる。目を見開くアサギを見据え、スイは苦しげに唇を噛み締めた。
「あなたは、」
「姫様!」
突然、第三者の声が割り込んだ。
「姫様! やはりこちらに――何があったのですか、その格好は!」
早足ながらも楚々と近づいてきた彼女は、濡れそぼった少女の姿を見咎めた途端、転がるように走り出した。少女が纏うものには劣るものの上質な衣を靡かせ、長い袴の裾を踏みつけながらも、少女のもとまで辿り着く。
「早急に屋敷にお戻り下さいませ! ただでさえ御病状が芳しくありませんのに、更に悪化しては事ですわ。ああもう、何故お一人でこんなところにいらっしゃるのですか!」
俯いて震える少女に差し掛けられた表着は、しかしばしっという音と共に跳ね除けられた。水を吸って重く垂れた髪の陰、食い縛られた歯がギリ、と鳴る。
「うるさいわよ、三舟」
「も、申し訳ございません!」
途端に頭を下げ、弾かれたように距離を置く彼女から、少女はふい、と目を逸らす。
「どうせ、残り少ない命なのだもの。どう使おうと私の勝手だわ」
「しかし、わたくしはお父君から淡雪様を、」
「その名で呼ばないでと、いつも言っているでしょう!」
「も、申し訳……」
少女の荒げた声に、三舟は低頭したまま身を竦めて震えている。
「大嫌いよ。儚く消えゆく運命と決め付けているような名も、そんな名をつけた父上も」
――そして、その名にあまりに相応しい自分自身も。
吐き捨て、呼吸を整えてからスイの方に向き直る。
「つまらないことが、バレてしまったわね」
淡く微笑む少女を、じっと見つめるスイの顔に表情はない。
「私は人間よ。名は淡雪。一応それなりの貴族の生まれなのだけれど、病持ちの役立たず。静養を口実に田舎に追い払われたってわけ」
少女は軽く息を吸うと、濡れた髪を払って小首を傾げた。
「お前を騙して、からかっていたのよ。――ごめんね?」
スイは何も言わない。
その瞳に宿る色が変わるのを見たくなくて、少女はそっと睫毛を伏せた。
「あの、姫様」
「何よ三舟。今取り込み中なの。黙っていて」
おずおずとした声に緊張を邪魔され、少女は尖った口調で三舟に切りつける。
「ですが……」
三舟は暫し言い淀んでいたが、やがて目を伏せたまま、恐る恐るといった調子で口を開いた。
「―― 一体、どなたとお話になっているのですか」
「……え?」
体中の血が、引いたのを感じた。
「な、何を言っているのよ」
スッと、体温が下がる。水に濡れた袿が、急に重みを増した気がする。
「スイは、此処にいるじゃない」
震える指を、小さな身体に向かって突き付ける。スイは黙って首を振った。人差し指を一本、唇の前に立てる。
そういえば、と少女は思い返す。先程、三舟は何と言った。
『何故お一人でこんなところに』
あれは、女房も連れずに、と言う意味ではなくて。
「う、嘘よ」
冷たい手、軽すぎる身体、しならない柳の枝。気紛れな少女の来訪に必ず合わせて現れる都合の良さ。こうも頻繁に出かけて、村の大人は何も言わないのか。目を背けていた違和感が、次々と嵌っていく。足から力が抜けて、少女はへたり込んだ。
『騙していたのは、わたしの方』
スイの声が、頭に直接響く。
『――ごめんね』
その言葉が、聞こえたと同時に。
くるりと踵を返したスイの姿が、柳と重なって、消えた。




