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ロマネスクの誘い  作者: 今夜は山田
第三章:風
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9.#山下司③『タール』

 **


 ばたばたと走る音が、部屋の外から聞こえてくる。誰か、悪戯好きな生徒が走り回っているのかな――そんな想像をしながら、小早川洋美は穏やかに、目を覚ました。すぐそばに居るタールの深刻な表情を見て、すぐに状況を思い出す。

「タール、今、何時?」

「十一時だよ、校長」

 タールの答えを聞いて、小早川洋美は、自分の体がずいぶん軽くなっているのを自覚した。休んだ価値がある。全快、という訳ではないが、歩くのもままならなかった昼に比べれば、相当楽になっていた。

「皆は?」

「生徒のほとんどは、寮に避難したみたいだよ。先生達が、校長を守ってくれてる」

「そう……」

 眠っている間に、すべてが解決していたら良いのに、という小早川洋美の一番の願いは、果たされなかったらしい。そんな都合良く行くはずがないか、と口だけで笑って、小早川洋美は立ち上がった。

「私も、手伝わないといけないね」

 あの優秀な教師陣が倒しきれない相手となると、凄まじい戦力に違いない。それを放っておいて、自分だけのうのうと安全な所にいる、というのは、小早川洋美には耐え切れない事だった。

「校長、お目覚めですか。それからタール君も、ごきげんよう」

 そこへ、竹口達也がやってきた。着ているスーツはところどころすすけ、頬には切り傷もある。

「タールは女の子だよ!」

「ええ。これから、援軍に行こうと思っていたところよ」

 小早川洋美は、かつての教え子の痛々しい姿に目を背けたくなりながらも、そう応じた。

「それなら、一つ、報告を」

「何かしら?」

「敵は――小野寺(おのでら)の手の者かと。捕虜にした者から、それらしい言葉がちらほら聞かれました」

「小野寺……くん」

 小早川洋美の脳裏に、懐かしい姿が思い浮かんだ。小野寺功治(おのでらこうじ)は、小早川洋美がこれまでの人生の中で、たった一人交際した男だった。幼い頃からの知り合いで、ずっと同じ進路を辿っていたが、小早川洋美に比べて魔法の才能に恵まれなかった小野寺は、次第に小早川洋美のエリート街道に付いていけなくなり、二人の関係もそこで終わった。張り合いのない人生だ――小野寺が別れ際に言った言葉を、小早川洋美はよく覚えていた。

「こんな事する人じゃ、ないのだけど」

 小早川洋美は、そう言って、一旦腰を椅子に下ろした。

「まあ、下っ端の戯言の可能性も、なくはないですがね。一応、耳に入れておこうかと」

「ええ、ありがとう。戦況はどうかしら?」

「一進一退……と言いたい所ですが、一進三退ぐらいというのが正直なところです」

 竹口達也はそこで、ではそろそろ、と言って、部屋を出て行こうとした。

「待って」

 小早川洋美は、その背中に声を掛けた。

「何です?」

「被害は、どうなってるの?」

「ふっ。――南校舎で、こちらに死者は出ていません。なんせ、伝説の達也が付いているのだからなぁ! あーはっはっは!」

 竹口達也は口調を一変させながら、部屋を出て行った。良かった――と、小早川洋美は一つ息を吐く。

「相変わらずだね、達也くん」

「タールのお気に入り、だったっけ」

「そうそう。デリカシーはないけど、優しい人だから」

 タールの答えを聞いて、小早川洋美は、全く同感だと笑った。そこへ、また人影が駆け込んでくる。

「千客万来ねぇ……」

 だが、今度の人影は、見た事のない男だった。敵意をむき出しにして、こちらに向けて何かの魔法を唱えている。小早川洋美は、そっと指を振って、男がこちらに飛ばしていた無数の透明の針を床に叩き落した。

「う、ぐぐ」

 続けて、男を魔法の布で縛り上げる。小早川洋美は、呻く男に、

「あなたは、どこから来たのかしら?」

 と、訊ねた。

「それは、死んでも言わん」

「小野寺功治」

 小早川洋美は、男の目がわずかに開いたのを見逃さなかった。やはり、この襲撃は、小野寺によるものなのだ――。小早川洋美は、縛る力を一瞬強めて男を気絶させると、立ち上がった。だが、出入り口から、またも人影がやってくる。

「……やっと見つけた」

「あら……」

「洋美。もう、終わりにしよう」

 小早川洋美に立ち塞がる人影――それは、小野寺功治その人だった。

「あなたが、首謀者なのね?」

「ああ、そうだ」

 小野寺は、そう言ってすぐ、指を真っ直ぐ小早川洋美に向けた。魔法を使う時の、小野寺のいつもの動作だった。小早川洋美も、すぐに指先に意識を集中させて、どんな魔法にでも対応できるように身構える。だが、次に小早川洋美を襲ったのは、今まで感じた事のない感覚だった。

「くっ……」

 小早川洋美は、床に膝をついた。体の中から、魔力がどんどん奪われていく――小早川洋美は、遠ざかっていく意識の中で、タールが自分に向けて、あれだけ禁じていた何かをしようとしているのを見た。




 *


 司が、跳んだ。

「さっせねぇ! この馬鹿妖精!」

 司が、校長室の床に倒れこむ校長に触れかけた妖精を、触れる直前に床に組み伏せた。と、同時に、葵ちゃんと俺、小石、時子、それに勇、桜花のフルメンバーで、怪しい男の妨害を試みる。男は、多勢に無勢と思ったか、すぐに魔法を使うのをやめて部屋を出て行った。

「な、何するの!」

「何するの、じゃねぇ! 自分の命を大切にしねぇ妖精は、僕がお仕置きしてやんだよ!」

 妖精の相手をしていた司も、未然に悲劇は防げたようで、笑って妖精を捕まえていた。――何とか、間に合った。俺は、時子の戦略の正確性と、無数に居た南校舎突入部隊の中で、たまたま一番に俺達が校長室に辿り着いた運の良さに、ほうっ、と溜め息を吐いた。あれからすぐに、一ノ瀬先生の指示の下、寮にこもっていた全員で中庭に打って出た。時子の予想通り、敵はかなり数を減らしており、中庭を制圧するのはそう難しくなかった。それから、まだ元気のある生徒で数十の部隊を作り、南校舎へと入った。決まった人数で固まって動く作戦は功を奏し、何とか離脱者を出さない内に、俺達は校長室へと辿り着けたのだった。

「いやぁ、四方丸く収まりましたなぁ」

「むしろこれからが大変なのですよ。敵はまとまってここを目指してきますし、味方は散り散りですし」

「げげげ。まさか桜花ちゃん、大ピンチ!?」

 我が軍の二大参謀こと、桜花と時子に今後の動きの作戦立案は任せるとして、俺と小石は小早川校長に歩み寄った。息はしているようだが、意識がない。一ノ瀬先生をして、私よりも強い、と言わしめた小早川校長がこんなになるとは――。

「少し、場所を空けて貰えますか?」

 そこへ、葵ちゃんがやってきた。俺と小石は、左右にずれて、真ん中に葵ちゃんのしゃがめるスペースを作り出した。

「……ようし」

 葵ちゃんは、そこに腰を下ろすと、小早川校長の胸に手を当てて目を閉じた。と同時に、俺は、葵ちゃんの手のひらから小早川校長へ、エネルギーが流れ込んでいくのを感じた。しばらく葵ちゃんがそれを続けると、小早川校長はぱちりと目を覚ました。

「あらー……?」

 小早川校長は、目を覚ましてすぐに俺達の顔が見えて、少し困惑しているようだった。ただ、少しずつ意識が戻るに連れて、表情は深刻な物へと変わっていく。

「タール、タールは――」

「校長の妖精なら、今、あっちで司が相手してますよ」

 俺はそう言って、妖精と取っ組み合いの喧嘩――傍目にはじゃれ付き合っているようにしか見えないが――をしている司の方を指差した。

「タール!」

 司の上に乗っかって、ぽこぽことその胸を叩いていた妖精は、小早川校長の声に手を止めた。

「こ、校長」

「良かった。本当に良かった……」

 小早川校長は、タールに這って近付くと、その小さな体を抱きしめた。司がにっと笑う。小早川校長の喜びと安心に満ちた表情は、それだけで価値のあるもののように思えた。




 時子と桜花は、五分ほどの話し合いの後、校長室にこもって防戦する方が良いだろうという結論に達した。現状、戦力はゼロに近いが、今後生徒達は校長室に集まってくるのだから、その方が無理に出て行くよりも安全だ、という判断だった。

「困ったわねー……」

 ただ、臨戦態勢を整える俺達の中で、小早川校長が唯一暗い顔をしていた。

「どうしたんですか?」

 あまりに暗い顔だったので、俺は椅子に座る小早川校長にそう声を掛けた。

「私の魔法の能力がねー、半分ぐらいなくなっちゃってるのよー。……はっきり言えば、私にはもう、妨害魔法を解除できないわー」

 その言葉に、校長室の全員が小早川校長の方を見た。妨害魔法が解除できない……?

「……詳しい事を訊かれても、私には分からないわー。分かるのは、困った事になったという事だけよー」

 明日の三時まで耐えれば、増援がやってくる。それが、俺達の希望であり、勝算だった。小早川校長が言ったのは、その希望は潰えてもうないのだ、というのと同義だった。時子も、桜花も、苦々しい顔をしている。ここに留まり続けても、出て行っても、どちらにしても勝利は遠い。

「ねぇ、清介くん、小石ちゃん。来週に、あの時が迫っているのは知っているでしょう?」

 小早川校長の言葉を、俺は少しの間理解できなかった。そう――あの時と言うのは、ループの終端。辿り着けば、また五年前に戻される、その瞬間の事だった。

「このまま、またその瞬間を迎えれば――」

 そこで、小早川校長は言葉を止めた。それでも、言いたい事は、すぐに伝わった。この、悲劇的な状況でも、もう一度ループすればやり直すことができる。五年前から、全てを始められる。

「そうは行きませんよ」

 校長室の扉を開いて、二つの人影が部屋に入ってくる。俺達は咄嗟に身構えた。眩い廊下の光に慣れたとき、そこに見えたのは、二人の男だった。

「お兄ちゃん……お兄ちゃん!」

「父さん!」

 俺と葵ちゃんの声が、同時に、校長室に響いた。現れたのは、若い男と、何度見ても見まがう事のないだろう父親の姿だった。

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