4.#尾田桜花④『しだれ桜』
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兄さんのした話は、多分、兄さんが話してくれなければ、私が容易に受け止められるものではなかったと思う。完璧に納得した、という訳ではなかったけれど、それをぐっと呑み込んで、私は勇くんの部屋を探す事にした。
十五分ほど、時間を要して――やっとの事で分かった勇くんの部屋の場所は、兄さんの部屋の隣だった。冷静に考えたら、同じクラスの男子生徒で、出席番号が並んでいるのだから、当たり前の事だ。そんな事にも気付けないぐらい動揺しているんだな、と笑いながら、私は扉を叩いた。応じる声はなかったが、静かな足音がかすかに聞こえて、扉一枚隔ててすぐの所で止まった。
「私です、小石です」
そう呼びかけると、鍵の外れる音があって、扉が開いた。
「…………」
現れたのは、正真正銘勇くんだった。普段と変わらず、勇くんは無表情だ。
「ええと……話をしたいんです」
私って、そう言えば口下手なんだったっけ。兄さんに、私が勇くんの話を聞くと言った時から、どうもその事が頭から零れ落ちていたような気がする。私には兄さんと違って、お父さん……大原啓太郎の血は流れていないし、話を聞いてまとめる能力には欠ける。だからこそ人一倍、注意深く、色んな事に目を向けなければ。勇くんの様子はその注意深い目で見て、いつもと変わらないようだった。
「良いよ」
「ありがとうございます」
私は、閉まろうとする扉を勇くんから受け取って、体を部屋の中へと滑り込ませた。勇くんの背中を追って、部屋の中へと入っていく。部屋の構造は兄さんの部屋と同じだ。案内された奥のベッドのある部屋の床には、いくらかの紙が乱雑に散らばっていた。男の子らしいな、とは思ったけれど、勇くんは中性的な雰囲気の人だから、イメージとは合わない。
「ここに座って」
「はい」
勇くんの言葉に従って、椅子に座る。椅子のすぐ前にある勉強机にも、床に散らばったものと同じような紙が置いてあった。凝視しない程度にちらっとその内容を見ると、それは学級委員会議の資料のようだった。なるほど、そう言えば、勇くんは二組の学級委員長だったっけ。
「…………」
ベッドに腰掛けた勇くんは、一つ納得した私を無言で見つめた。その目は雄弁ではないけれど、用件は何なんだ、と問うているように思える。……当たり前だけど。
「私、あまり話をするのが得意じゃないので、単刀直入にお話ししますね」
私は、そこでごくっと唾を飲んだ。それだけでは緊張は解れないが、仕方がない。
「勇くん、お姉さんが居るんですよね?」
「…………」
勇くんが、目を伏せる。しばらくすると、勇くんはうん、と頷いた。
「小石と清介も、兄妹だよね」
「あ、はい。兄妹ですね」
つい、答えてしまう。話が本題から遠ざかっていくのは、あまり望ましくない。
「お姉さんの事、聞かせて貰えますか?」
だから私は、勇くんが次に何かを言うより先にと、すぐにそう言葉を継いだ。
「…………」
「駄目ですか?」
「良いよ」
勇くんが頷く。思いの外あっさりと頷いてくれたのは、兄さんの言う通り、勇くんが弟と妹、という点で私にシンパシーを感じているからなのかも知れない。勇くんはすぅっと息を吸って、話を始めた。
「ボク、姉さんと会ったのは、子供の頃に会ったのが最後。姉さんは、死んでしまったから」
「ご、ごめんなさい。そうとは知らないで」
私は、勇くんの言葉に驚いて、そう頭を下げた。
「ううん。……ボクが――」
勇くんは首を振ったけれど、続く言葉を途中で遮って、鼻をすすった。見れば、勇くんの目に溜まった水が、つつと頬を伝って落ちるところだった。
「ボクが、悪かったから。姉さんにわがままをして、姉さんの話を何にも聞かないでいたから、だから姉さんは、死んでしまったんだ」
いつになく、勇くんの言葉には感情がこもっていた。私の瞳にも、それにつられて、涙が潤んでくる。子供の頃、一番辛かった時期に、兄さんが居てくれなかったら、私はどうなっていただろう。兄さんが居なくなっていたら――。
「なら、どうして、桜花さんを襲ったりしたんですか?」
気が付くと、私もまた、感情に任せてそう訊ねていた。
「……ボク、やっぱり」
勇くんは初めて、感情を露にした表情を浮かべていた。涙だけじゃない。そこには、驚きと後悔と、悲しみが詰まっていた。
「桜花とボク、手紙を見せ合ったんだ。そうしたら、気付いたら、桜花が倒れていて……うなされてた。だから、ボクは、保健室まで桜花を運んだんだ。だけど、どうしても、桜花の手紙の内容が思い出せなくて、だから――」
勇くんは青ざめていた。私はそんな勇くんの姿を、じっと見守った。
「ボク、桜花に謝らないと」
「……そうですね」
私は頷いた。だけど同時に、このまま勇くんが桜花さんに謝るだけで全ては解決するのだろうか、という疑問が、私の頭をよぎった。勇くんの、お姉さんに対する心の病は、何も治っていない。端的に言えば、勇くんが再び桜花さんへの手紙を読めば、また同じように桜花さんを傷付けてしまうんじゃないだろうか。私にはそれを、どうすれば解決できるのか分からなかった。だから、
「でも、それだけじゃ、駄目です」
と、思った事をそのまま伝えた。
「……うん」
勇くんはそう、深く頷いた。
――勇へ。明青学園はどうでしょうか。色々と良くない噂を聞くけれど、変な事に巻き込まれないようにして下さいね。さて、本日連絡したのは、あなたが心配だからだけではありません。あなたは私達をよく慕って、信じ、尊び、重んじ、困難に挫けずに歩いてきました。誇ってくれて構いません。私達としても、あなたは誇れる息子です。ですからこそ、私達はあなたに、この言葉を渡さなければなりません。私達が幹なら、あなたはその苗字の通り、枝でした。あなたは幹が真っ直ぐだと信じて疑わず、そこから、ひたすら伸びれば上を目指せると思っているでしょう。だけれど、幹は腐ります。あなたはずっと枝でいるのではなくて、幹にならないといけない。幹となって、新たに伸びる枝を支え、枝に咲く花を支えなければならない。枝や幹は、花が咲かないと意味のないものかも知れません。だけれど、枝や幹が花に頼っていてはいけないのです。だから、私は告白します。私達は、無垢なあなたを裏切り、騙し、軽んじてきました。それは、何も悪意からではありません。私達は私達で、私達がずっと枯れない幹で居られると信じていたのです。だけれど、それは間違いでした。枝として育ててきたあなたに、幹になって欲しいと願わないとならない時が来たのです。私達を恨んでくれて構わない。様々な困難が訪れるでしょう。だけれど、いつか立派な幹になれるように、努力して欲しいのです。それでは。また、手紙を送ります。
「……難しい手紙ですね」
私は、勇くんに手紙を返しながら、素直な感想を言った。
「うん」
勇くんは小さく頷いて、手紙を受け取った。何度か読めば、手紙を書いた人の意図は分かるかも知れないけれど、だからと言って勇くんの問題の解決にはならない。
「お姉さんは、どんな人だったんですか? 名前、とか」
「覚えてない。……ボク、姉さんの事、忘れるようにしてたから」
まだ子供だった勇くんにとって、お姉さんの死は大きな衝撃だったんだろう。忘れてしまおう、と考える気持ちは、私にも分かった。だけれど、何も覚えてないなんて事が、あるんだろうか。
「桜花さんに届いた手紙を読めば、思い出せるでしょうか?」
思い出せば、勇くんはまた暴れるかも知れない。だけれど、思い出さない事には、何も解決しないだろう。
「…………」
勇くんは、ぐっと何かを飲み込むようにして、そう頷いた。私は、勇くんを連れて、桜花さんの部屋を目指して出立した。
*
……。核心、と呼ぶのが相応しいだろう事が、手紙には書かれていた。勇が、どうしてか忘れている桜花の事を思い出すのに十分なだけの情報が、そこには詰まっていた。まるで、勇に宛てられたような――恐らく、勇が読む事も、その勇が桜花を忘れている可能性も理解した上で書かれたのだろう、そんな手紙だった。
「面白い手紙でしょ。何だか、私の為に書かれたものじゃないみたい」
桜花は、そう言いながらも、その事はあまり気にしていないようだった。口調も、さっきより幾分か明るい。
「そうだな。これを読んで、勇は平静を失くした訳か」
「うん」
勇がこの手紙を読んだとき、勇の中で一体何が起こったのか。答えは簡単だ。桜花の事を、思い出したんだ。問題は、桜花の事を思い出した勇が、どうして桜花に襲い掛かったのかだった。
「二人の仲は、良かったんだよな」
「もちろん。って、自分で言うのは恥ずかしいんだけどね」
桜花がそう照れたとき、とんとん、という音が室内に響いた。桜花がベッドから立ち上がって、扉の方へと駆けていく。その後姿は、扉に付いた覗き穴を見たところで、小さくびくんと跳ねた。そのまま、ゆっくりな動きで鍵を解除して、扉を開く。
「……こんにちは」
扉の向こうから現れたのは、小石と――勇だった。部屋にあがった小石は、じっと俺の目を見た。それが桜花の状態を確認するアイサインだろうと気付いた俺は、少し照れながら、ウインクで答えた。俺と小石は、部屋の端へと移動して、部屋の真ん中に桜花と勇が立った。
「えーっと、いさちゃん?」
「ごめん、桜花。ボク、ボクが桜花を襲ったって聞いて。ごめん」
突然の謝罪だった。小石と勇の間で、どんな会話があったのか分からないが、とにかく勇が自分のした事を分かるまでには至ったらしい。桜花は、勇の言葉に少し驚いたようだったが、すぐに微笑んで、
「あはは。そんなの、気にしなくて良いよ」
と、応じた。
「……もう一度」
桜花の微笑みを受けた勇は、少しうつむきながら、言った。
「もう一度、桜花への手紙を読みたい。そうじゃないと、ボク、ずっと弱みを持ったままだから」
それは、はっきりとした意志を伴った声だった。困惑して、言葉をなくしたのは、桜花だ。桜花は迷っているようだった。思い出して欲しいという気持ちと、思い出して勇や自分が再び傷付くのを恐れる気持ちが、桜花の中でぶつかっているのが分かる。――でも、多分、桜花の中での答えも、もう出ていた。
「清介くん。それ、渡してあげて」
「ああ。分かった」
俺は、手に持っていた桜花への手紙を、勇に手渡した。勇はそれを受け取って、じっと、読み始めた。
……勇は、ある程度手紙を読んだところで、はっと表情を変えた。多分そこが、勇が桜花を姉と思い出す契機となる部分なのだろう。勇は更に手紙を読もうとしたが、腕が震えて手紙を落とした。
「桜花……姉さん」
「うん」
勇は、ゆっくりと、桜花へと近付いていく。桜花は、それを待ち受ける。――瞬間、勇の腕がしなって、拳が桜花の左腕を強打した。
「桜花!」
「ダメ、清介くん」
俺は慌てて、桜花をかばおうとした。だが、桜花は、ひどく落ち着いた声でそれを制止した。尚も、勇の拳が桜花を襲う。拳には何かの魔法が宿っているようで、小柄な勇がただ殴るだけではない衝撃が、桜花に容赦なくぶつけられていた。
「大丈夫だから、いさちゃん……」
桜花は、だけど、怯まずに勇の首の後ろに腕を回した。勇の拳が、何も塞ぐもののない桜花の腹部に飛ぶ。俺達が、さすがに手を出そうとしかけたその瞬間、勇の拳はぴたりと動きを止めた。
「……姉さん」
一言、勇はそう呟いて、だらんと力をなくした。桜花が、その体をゆっくり、床に横たわらせる。
「二人とも、ちょっと協力してくれるかな?」
桜花はごく落ち着いた声で、そう依頼した。
三人で、数度、眠る勇に解除魔法を掛ける。高度なテクニックで掛けられた魔法は、それでも何度目かのトライで、完全に消え去った。
「ごめんね、いさちゃん。気付いてあげられなくて」
桜花は、勇の頬を撫でながら、その耳を勇の胸にくっ付けている。桜花によれば――勇には心的に何かの作用をする魔法が掛けられていて、それが勇の桜花に関する記憶を封じていたらしい。尾田家の仕業だろう、と桜花は言った。それが悪意だったのか、それとも愛だったのか、誰も知る由はない。ただ桜花は、確かにそうでもしなければ、あの頃の勇が桜花と離れ離れになるのに耐える事はできなかっただろう、と言った。
「…………」
勇が、ふっと目を開いた。そして自分の胸の上に、姉の顔があるのに気付いて、小さく口元に笑みを浮かべた。
「姉さん」
呼びかける声に、桜花は耳を外して、目を開けたばかりの勇を愛しそうに見つめた。
「姉さん、ごめん。ボク、忘れてた」
「良いんだよ、いさちゃん。もう、今は、私達は一緒だから」
桜花はそう言って、勇の体を抱きしめた。勇も、起き上がりながら、抱きしめ返す。
「うん。……ボク、強くなったから。だから、姉さんだけが姉さんじゃなくて、良いんだ」
「……うん、知ってるよ。ありがとね、いさちゃん」
俺と小石は、目配せしあって、くすっと笑った。そうして、二人の邪魔にならないようにと、桜花の部屋を後にした。
――桜花と勇は、仲の良い姉弟だった。勇は桜花にべったりだったから、桜花が尾田家に行く事になって、勇はひどくうろたえた。それを見かねた大人が、桜花を死んだ事にして、桜花に関する勇の記憶を封じた。思い出したとき暴れたのは、その副作用である。かくして二人は別々に育てられたのだが、ついに明青学園で、再会を果たしてしまった。
……と、いうのが、俺の部屋へ戻って、俺と小石が情報交換した末に導き出した事件の顛末である。間違いがあるかも知れないが、とにかくこれが最も納得のいく話だった。
「身につまされる事件だったなぁ」
桜花の、弟への愛情ほどのものを、俺は小石に与えられているだろうか。同じような葛藤は小石にもあるらしく、小石はそうですね、と頷いた。
「兄さん、明日は暇でしょう?」
「ん? まあ、何の予定もないけど」
「じゃあ、ショッピングにでも行きましょう。ね、可愛い妹に、服の一着や二着や三着、買ってくれても良いんですよ?」
小石が悪戯っぽく笑う。俺はその頭をくしゃくしゃと撫でて、同じように笑った。




