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ロマネスクの誘い  作者: 今夜は山田
第二章:春風、急を告げ
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5.四月五日(水)②

 安価そうな定食屋で、六人で食事をした後、俺は外でやる事もなくなって自分の部屋に戻っていた。ちょうど、二通目の父への手紙を書かねばならなかったので、机に向かっていくらかかりかりと書いた。これまでの『神隠し』と毛色の少し違った事件が起きたこと、校内調査員になったこと、それから小石との合同魔法のこと――書きたい事を書き連ねると、多めに出した便箋三枚はすぐに埋まって、四枚目の中頃でようやく終わりの挨拶を迎えた。特に、新たに起こった事件については、分かった事件の要素をこれでもかというほどに詰め込んだので、相当詳細な資料になったと思う。

 手紙を封筒にしまって、前に書いたものとあわせて引き出しにまとめておく。一休みしよう、と思ってベッドを見た時、昼食前に見た少女の姿がベッドの上に、ちょうど光を収束させて姿を現していた。

「…………」

 俺は、飛び退くのも忘れて、じっとその姿を見た。指を胸の前で組んで、何かを祈っている少女の姿は、単に美しいだけではなくて、神秘的な雰囲気を放っていた。髪は灰色――というのは、さっきは気付かなかった事だ。俺はどうして、そんな事も気付いていなかったのに、この少女をさっきの少女と一緒だと分かったのだろう。

「……けて」

「え……?」

 少女が、目を開きながら、微かな声で何かを言った。俺は上手く聞き取れなくて、もう一度その声を聞こうと、椅子から立ち上がって少女に近付いた。少女は、怯みも恐れもせず、今度ははっきりとした声で言った。

「助けて」

 たった一つの、少女の言葉。それが、俺を金縛りに掛けた。鮮明な意味を伴わない、ただ四つの文字で形成された言葉。どうして、こんなにも重いのだろう。

「助けて。……助けて」

 少女は、繰り返した。一回ごとに、ずしんと心に重石が乗せられるのが分かる。少女の瞳は、深く冷たく、そして――悲しみを帯びていた。一体、何をそんなに悲しんでいるのか。そう訊ねようと、俺が手を差し出したとき、少女は一瞬の輝きに包まれて消えてしまった。同時に、金縛りから解放されて、息が口から音を立てて出て行くのを俺の耳は聞いた。

 さっきまで少女が立っていた、ベッドの上に腰掛ける。なぜか俺の心は、さっきまで目の前にあった衝撃的な光景にも関わらず、ずっと冷静を保っていた。少女に親しみを覚えた訳ではないが、恐怖も感じなかった。それは何故だろう――そんな事を考えても、どこかぼんやりして、頭は実働していないようだった。ただ、唯一、少女の「助けて」という言葉が、俺の頭を支配していた。




 夜、夕食を食べようと寮を出て、みなとみちに行くために南校舎のエントランスを通ったとき、所在無く佇む葵ちゃんを見かけた。何かを考えているというより、単にぼうっとしているようだったので、俺は近付いていってその肩を揺すった。

「わ、わ……清介さんじゃないですか。どうしたんですか?」

 葵ちゃんは、割と早くに意識を取り戻して、そう首を傾げた。

「いや、何かぼーっとしてたから、大丈夫かなと思って」

「わわ、そうでしたか。ご心配お掛けしてしまいましたね。でも、私はこのように、元気元気ですよー!」

 葵ちゃんが、腕を高く振り上げる。その動作は、きびきびして確かに元気そうだった。

「何か、考え事?」

「んー、近いです。実は最近不眠でして、眠っていてもどうも、悪い夢を見ているみたいなんですよねぇ。それで、どんな夢を見ていたのか思い出そうとしていたのと、眠気でうとうとしていたのとが半々です」

 暮らす環境が急変すると、睡眠に障害が出るとどこかで聞いた事がある。葵ちゃんの場合、部屋が狭い狭いと嘆いていたのだから、心的圧迫も強くて、それが悪夢に影響しているのだろう。そう言えば、こちらに来てからというもの、俺は不眠に悩まされた事はない。

「どんな夢か、思い出せそう?」

「いえ、全くですね。……清介さん、これから夕食ですか?」

 葵ちゃんは顔を左右に振り振りすると、表情をいつもの笑顔に切り替えて、そう訊ねた。

「ああ。みなとみちの方に、食べに出ようかと思ってな」

「私も同じです。良かったら、一緒に食べませんか?」

「ん……」

 俺は少し、答えに詰まった。深い意味はないのだろうけれど、女の子から食事に誘われるのは珍しい経験で、ついうろたえてしまう。

「あ、他にお約束があるなら、もちろんそっちを優先して下さいよー」

「いや、ないよ。一緒に食べよう」

「ありがとうございます! ……実は、あのハンバーガー屋さんにもう一度入りたいのですが、私一人では中々恥ずかしくってですね」

 なるほど、と俺は頷いた。確かに、女の子一人でハンバーガーはちょっと悲しい。

「じゃあ、行こうか」

「はい!」

 葵ちゃんが元気よく返事をする。葵ちゃんがハンバーガーを気に入ったというのは、田村家の一人娘という事を踏まえると、少し不思議な感じではあるが、接してみると葵ちゃんは普通の女の子と変わらない……か、それよりずっと純真だ。だからこそ、田村葵、という名前を聞いても、すぐに田村家の娘だと気付かなかったのである。それは間違いなく、葵ちゃんの長所だった。

 二人でみなとみちに出て、ハンバーガーショップを目掛けて歩く。時間は夕食時だったが、道にはあまり人が居なかった。どちらかと言えば、みなとみちの食事は値の張る傾向にあるから、多くの生徒は寮の十二階にある食事店の方に行っているのだろう。俺も、父の職業柄、小遣いはかなり多い方だが、あまりこちらにばかり来ているとうっかり金欠に陥りかねない。気をつけねば。

「そう言えば、今日はどのバーガーを頼むか、もう決めてるのか?」

「もちろんです。前回、迷いに迷って惜しみつつやめた『トマト好きのあなたの為にバーガー』ですよー!」

 前回は、チーズと海老のバーガーとの二択で苦しんでいたのだっけ。葵ちゃんの表情が思い出される。ど、同時に、俺の食べた『春のサクラバーガー』の何とも言えない味も思い出されてくる。あれはもう食べたくないな……。そんな事を考えている内に、目的のバーガー店に到着した。

 店に入って、店員の指示に従って小さな二人席に座る。高いレストラン……という訳でなくても、小さなテーブルに向かい合わせで座っていると、かなり照れる。照れ隠しに、メニューをざっと開いた俺は、しばらくして『納得のレギュラーバーガー』に心を決めた。店員を呼んで、二人の注文を告げる。

「大盛りで、よろしくお願いしますねー!」

「かしこまりました」

 葵ちゃんの言葉に、店員は微笑んでいたが、バーガーに大盛りという概念があるのかどうかは怪しいところである。

 バーガーが来るのを待つ間、葵ちゃんは最初はにこにこして楽しげに話をしていたが、ある時急に真剣な眼差しになった。

「清介さん」

「どうしたんだ?」

 改まった雰囲気の葵ちゃんに、俺も背筋を伸ばして、そう訊き返す。

「明青学園で、何かが――何かが起ころうとしています。何となく分かるんです。私が悪い夢を見る時は、昔から決まってそうでしたから。気をつけて下さいね。きっといつか、その何かも去りますから……その時までは、気を緩めないで下さい」

「何かって……何だ?」

「謎の犯行予告。犯人の突然の失踪。もしこれが『神隠し』なら、もう五年になります。その謎は、誰にも解けていない……。そういうものが、この学園には確かにあるんです」

 葵ちゃんの声は深刻だった。何かを恐れている――自分が『神隠し』に遭う事ではない何かを――ように、俺には聞こえた。俺は、その頭を、ぽんぽんと軽く撫でてやった。

「分かった、気をつけるよ」

「……あのう、とーっても恥ずかしいです」

「おっと、ごめん」

 慌てて手を引っ込める。葵ちゃんの顔にあった恐怖の色は、少し薄れたようだった。

「お待たせ致しました」

 そこへ、バーガーを持った店員が現れて、俺達はたちまちその良い香りに誘われて、涎を口にほとばしらせた。

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