3.閑話②『小早川洋美』
**
小早川洋美は、目を細めて、たくさんの情報の詰まった書類を一枚一枚精査していた。『神隠し』は、小早川洋美にとって、人生で初めてぶつかった壁と言っても良い難事件だった。小早川洋美は、子供の頃から、並々ならぬ魔法の才覚を存分に発揮して、親の離婚や姉の急逝にも挫ける事なく、着々とキャリアを積み重ねてきた。その中には、普通の魔法使いなら躓くだろう障害がいくつもあったが、それも小早川洋美にとってはノブ付きの扉に過ぎなかった。くぐれば、褒めて貰えた。気分を良くして過ごしている内に、教員になり、名誉教員になり、校長にまで上り詰めていた。張り合いのない人生だ――と、かつての彼女のパートナーは嗤ったが、彼女はそうは思わなかった。神様が、私にくれた幸せ。あまりに大きいプレゼント。ただただ、ありがたいとしか思わなかった。
しかし――校長になって二年目に始まった、『神隠し』事件だけは、ノブのない扉だった。押しても、引いても、叩いても、開かない。今年も、また起こってしまった。これで五年目、七人目になる。犯人の方が、捜査する自分達よりもずっと大物らしい事を、賢い洋美は当然感じていた。だが、外から捜査を受け入れる事も――また、問題がある。結局、手の打ちようのないのが現実だった。
「校長、顔色が悪いよ」
校長室の椅子に腰掛けている小早川洋美は、テーブルの上の妖精が自分を心配して見上げているのに気付いた。妖精の名前は、タールと言う。見た目は女の子なのだけど、背中に甲羅のような盾を背負っていて、それが亀みたいで可愛かったので、タートルにちなんでタールと名付けられた。それが、健康に害を及ぼすらしい物質の名前と一緒だと知った時、小早川洋美は激しく後悔して名前を付け直そうとしたが、タールが、自分の名前は誇らしいから、と言って聞かなかったので、ずっとタールと言う名前だ。小早川洋美がタールを生み出してから、もう、十年余りになる。小早川洋美の一番の友人は、このタールだった。
「タールにも、分かっちゃう?」
小早川洋美は、だから、タールにだけは素の、自分らしい言葉遣いをする事にしていた。あんまりに威厳も何もないので、校長として喋る時には、少しイントネーションを伸ばす事にしている。それが幸いしているのか、“小早川校長”の評判は、校内でそう悪くない。
「顔見なくても分かるよ。また、事件が起こったばかりだから」
「そうね……」
小早川洋美は、手元の資料を、一旦机の上に置いた。彼女にとって、『神隠し』は難事件というよりも怪事件だった。この事件の解決の為に、小早川洋美は自らが持てる全ての人脈を駆使して、信頼の置ける実力者を多く、教員として学園に迎えた。外部からの調査の受け入れに対する賛否で少し揉めてはいるが、基本的には足並みを揃えて、彼らと捜査を進めてきた。それにも関わらず、犯人のはの字にさえ至らない。何の痕跡も見つけられない。最高のセキリュティの中で、事件は続いていく。どんな巨大で優秀な犯人達だったとしても、このオールスターと呼んでも差し支えないような最高の教員らの目を、ここまで潜り抜けられるものだろうか。
「いつになく、資料が多いでしょ? 今回はいつもとは違う気がする」
「そうだね。わたしもそう思う」
今日起きた、五年目の『神隠し』――は、これまでのものとはずいぶん毛色が違う。新入生を誘拐するというメールが、神隠しに遭った生徒のメール端末から生徒会の役員へと送られている。実際、新入生の大原清介の部屋の前で、小規模な爆発が起こったという報告もあがっている。どれも、これまでの『神隠し』にはなかった、『神隠し』前後の異変である。
「この、大原清介っていう子って、校長のお気に入りの子?」
タールが、机の資料を読んで、そう訊ねる。
「うん。啓太郎さんの息子さんでね。良い子だし、素質も感じるし。でも、瑞穂ちゃんは、あんまり高い評価をしてないみたい」
一ノ瀬瑞穂は、小早川洋美にとっての一番の頼りだった。いざと言う時の戦闘魔法能力は高いし、実直で、自分の事を信頼してくれているのも分かる。毎年、新入生ひとりひとり――自分の受け持ちでない生徒も含めて――の評価をまとめた資料を送ってくれるのだが、その精度はいつでもかなり高かった。
「でも、一ノ瀬瑞穂のクラスに入ったなら、どんな子でも中級魔法使いにはなる――って、校長いつも言ってるよね」
「そうそう。そこが瑞穂ちゃんの凄いところよね。でも、清介くんに関しては、中級魔法使いじゃ物足りない――」
実のところ、小早川洋美は、自分がどうして大原清介をそこまで評価しているのか分かっていなかった。素質も、確かに今の彼の実力からすると、存外大きなものではあるが、中級魔法使いになるのが限界程度の素質だと思っている。なのに、どうしてか、大原清介の姿を見る度に、大物の気配を感じずには居られないのだ。
「それより、事件の話をしよう。ね、タール」
その辺りの感覚を上手く説明できそうにないと悟った小早川洋美は、そう言って話題を元の『神隠し』の件に戻した。
「失踪した子は、誰だったっけ?」
「伊藤悠馬くんよ。私はよく知らないけど、衣ちゃんと仲良しだったみたい。瑞穂ちゃんによるプロファイルでは、学年の中でも一つ頭の抜けた実力者で、性格も温和。ただ、伊藤家と警察との因縁が濃くて、悠馬くんも警察に強い恨みを抱いていた、とか」
「警察に強い恨みか。だったら、大原清介を襲撃してもおかしくないね」
タールの言葉に、小早川洋美は頷く。
「ただ、その犯行声明文がちょっと噛み合わないの。『今日、新入生を頂く。』という文章だったんだけど……これ、悠馬くんが書いた風には思えない。警察への恨みという感じがないし、そもそもこんなメールを送る必要がないもの」
「確かに、そうだね」
タールは、むむむ、と唸った。タールは小早川洋美にとって、他にない最高の相談相手ではあったが、彼女自身が作った妖精だから、一人で彼女以上のアイデアを生み出すことはあまりない。二人で話している間に、ヒントを提供したり、または小早川洋美からヒントを得る事で答えに辿りついたり、というのがタールの仕事だった。
「はあ。この資料も、見飽きちゃった。今考えると、最初に見た時から飽きてたような気がするよ」
小早川洋美はそう冗談を飛ばして、体を後ろにぐぐっと反らした。そろそろ鵜川衣が、彼女が新たに発足させた校内調査団の報告をしにくる頃だった。鵜川衣は、生徒会長として事件の解決に尽力してくれているありがたい存在ではあったが、今のところ空回り感が強い。どちらかと言えば、彼女と妹の光が外部調査への反対派筆頭で居てくれる事の方が、学校中の様々な議論を、会長派と副会長派という単純な図式に変換してくれているという点でありがたかった。
「校長、私です」
ノックの音が響いて、その鵜川衣の声がする。
「おっとと、じゃあ私は、ちょっとの間隠れてるね」
タールはそう言って、机の引き出しを自力で開いてその中に入った。
「衣ちゃん、可愛いのになぁ」
「私、やっぱり苦手なんだよね……」
「いつかは、仲良くしてあげてね」
小早川洋美は笑いながら、引き出しを閉めてやった。続いて、鵜川衣が再度声を掛けてくるのに、小早川洋美はどうぞ、と返事をする。
「失礼します」
鵜川衣は、いつもの険しい表情を崩さないまま、部屋に入ってお辞儀をした。
「あらあらー、お茶でもしに来たのー?」
「いえ、例の校内調査の件です。……分かってて言ってますね?」
鵜川衣の表情が、少し緩む。正式な場でない、日常風景に紛れた彼女の方がずっと可愛らしいと、小早川洋美は感じていた。特に今は、彼女の想い人が失踪したばかりだから、少しでも落ち着かせないと、真面目な彼女は過労で倒れるまで働きかねない。
「……今日が初めての会合でしたが、これと言って大きな不満は出ませんでした。数人の反応は、かなりやる気があるようでしたから、期待したいと思います。ただ――」
「ただー?」
「報酬は出るのか、という質問がありまして。何か、学園側から、成績に加味するなどはできないでしょうか?」
む、と小早川洋美は一旦言葉に詰まった。成績は各担任が個人で付けるものだから、校長の権力があってもそこに理由なく関与はできない。そして、成績をいじるのに協力的でない教員にも、何人か思い当たる。
「少し難しそうねー。でも、成功報酬としてなら、十分出せると思うわよー」
「成功報酬ですか……」
今度は、鵜川衣が言葉に詰まる番だった。徒労に終わる可能性が低くない調査だから、成功報酬というのは期待値が小さい。少し意地悪過ぎるかな――と、小早川洋美は首を傾げた。
「分かりました、それで構いません。それと、週に一度、火曜日の八時に会合を行うつもりなので、時間があれば顔を出して下さい」
「火曜日の八時ね、分かったわー」
「それでは」
鵜川衣が、背中を向けて去っていく。小早川洋美は、その背中に何か声を掛けようかと迷ったが、言葉を思いつく前に扉が開いて、閉まった。
「校内調査団が上手く行けば、何もかも綺麗に収まるんだけど……」
小早川洋美はそう言って、ふうと溜め息を吐いた。




