2.四月四日(火)②「……校内調査員?」
魔法倫理、とは、魔法を扱う上で身に付けておかねばならない倫理観の事である。魔法を犯罪に使ってはならない、魔法で人を陥れてはいけない、というようなものは魔法法学の領分で、魔法倫理では、魔法を使わなくてもできる事は魔法を使わずにやる、とか、そういう日常生活に馴染んだ内容の事をつらつらと学んでいく。なるほど、これは詰まらない……椅子の心地良さは、むしろ俺の眠気を誘っているようで、俺は目をこすりながら、テンポの速い一ノ瀬先生の説明をノートに写していった。
続いて、魔法哲学の時間が始まる。魔法哲学とは、魔法とはどんなものであろうか、という事を考える学問である。そう言えば、ここへ来る船の中で読んだ初等魔法学の教科書に、それらしい質問が載っていた気がする。――魔法とは、一体何でしょうか。その答えは、魔法はあなたのものではありません、だった。魔法倫理の教科書では、わざわざ“自分の魔法に”責任を持て、なんて言い方がされているから、この二つの文言は矛盾しているように思える。そんな事で、魔法哲学の教科書にはかなり期待していたのだが、魔法哲学の教科書は魔法が一体何なのか、という命題への明言を避けて、かなり遠回しに何かを伝えようとしているようだった。座学の苦手な俺には、その何かを感じ取る事ができない。結局、魔法倫理の時と同じ様に、目をこすってノートを取るだけだった。
魔法法学の授業は、これまでの二つに比べればかなり実務的な内容だった。いわく、公共交通機関での魔法の使用は罰金刑に処せられるとか、魔法による公文書偽造はそうでないものに比べて罪が重いとか、そういうものだ。どれも、中学校までに散々教えられてきた事ではあるが、復習としては悪くない。やはり眠たいのに変わりはなかったが、俺は休まずノートを書き続けた。
初等魔法学の時間になって、以前、巻頭の質問の解説が巻末にあるのではないか、と推測していた事を思い出して確認してみたが、出版年と筆者の名前があるだけで、それらしい記述は全くなかった。肝心の授業内容はと言えば――。
「魔法を使うにあたって、指を振る奴がいたり目を閉じて念じる奴がいたり、はたまたロッドをかざす奴が居たりと様々だが、これらには殆ど意味はない。気分の問題だな」
教科書を殆ど無視した、一ノ瀬先生の講演会と化していた。
「とは言え、気分が乗れば、魔法自体の質が上がるというのも間違った説ではない。まあ、もう皆、独自の動きを見つけてはいるだろうが……私の世代は指を振るのがブームでな。指を振る奴ばっかりだった。そうでなくても指を振る奴は多い。校長もそうだし、生徒会長も指を振って魔法を使う。かくいう私も、よく指を振るな。こういう風に……」
一ノ瀬先生がそう言って軽く指を振ると、愛らしい黒猫が一匹、一ノ瀬先生の肩に現れた。再び振ると、その姿が消える。
「まあ、自分なりの型を見つけてくれ。――後はそうだな。魔法の対象を自分に取ると、著しく効果が落ちる、という事は皆知っているな? では、なぜ、自分を対象に取ると、魔法の効果は減衰してしまうのか――」
俺は、小さく頷いた。同じ魔法を使うのでも、対象によってそのやり易さが変わる。一番やり易いのは、コップや紙のような無機物だ。意志を持たないので、こちらの魔法がすんなり入り込むのである。次にやり易いのが、魔法を使えない動植物だ。相手の魔力による阻害がなくて、これもかなりやり易い。その次が魔法使いで、これは魔力による阻害がある為である。そして最も難しい相手、というのが自分だった。絵本の中の空飛ぶ魔女が、いつも箒にまたがっているのはその為である。箒に対して魔法を使う方が、自分に使うよりずっと効率が良い。魔法で浮かせた箒の上に自分が乗れば、間接的に自分を浮かしているのと変わらない。……という事は習ってきたし、俺もその事はよく理解していたが、なぜ自分への魔法はやり難いのか、と訊かれると、その理由は知らなかった。
「そう、ここが現代魔法の課題だ。自分と同程度の力を持つ相手に魔法で働きかけるのと、自分に働きかけるのとでは、必要とされる魔法のセンスが数倍変わってくる。かなり特殊な事なのに、その原因は未だに明らかにされていない」
なるほど。まだ誰も知らないのか――などと、一ノ瀬先生の講義には新たな発見が多くて、俺のノートも心地良い黒色で埋まっていった。
十二時から一時までの昼休みには、昨日のメンバーから葵ちゃんを除いた六人で、購買のパンを山盛り買って食べた。その中で、毒々しいキノコパンを食べた司の笑いが止まらなくなった事は、どうでも良い事である。
昼休みが終わって、四時頃まで授業が続いたあと、一ノ瀬先生は授業の終了を告げた。
「明日の朝は体育館に集まるように。『魔法訓練』の予定だから、その目的も見つけておけよ。では、解散」
一ノ瀬先生の号令で、生徒は一斉に、はあぁ、と緊張の解けた溜め息を吐いた。
寮に戻った頃になって、ようやく朝の事件が意識の表層に浮き上がってきた。さすが一ノ瀬先生は、生徒の不安を紛らわすのもとても上手だったなぁ、と思う。だが、いくら紛らわしても、消せない限りは何度でも戻ってきてしまう。
「こんばんは、清介くん」
午後五時ごろ、晩ご飯をどうしようかと思っていたところへ、光先輩が訊ねてきた。話もそこそこにずかずかと部屋に入ってきて、衣先輩と同じ様に椅子に腰掛けた光先輩は、じいっと真っ直ぐ俺を見つめた。
「朝、衣ちゃんの話は聞いた?」
「衣先輩の知り合いが失踪した、という話ですか?」
「そうそう。それと、これまでの『神隠し』とは毛色が違っていたってところだよ」
確かに衣先輩は、昨年までクリスマス前後に起こっていた、と言っていた。……それから、別の事件の存在もほのめかしていたっけ。
「別の事件かも……知れないと?」
「まあ、別の事件だと思うよ」
俺の問い掛けに、光先輩は気軽に頷いた。
「この事件、時期もおかしいし、何より犯人の姿が見えすぎてるんだよ。これまでの神隠しに、あんな犯行声明文はなかったからね。衣ちゃんも気付いているとは思うけど……私、実は、自信のある仮説を持ってるよ」
光先輩は、椅子ごとぐっとこちらの方に体を動かしてきて、俺の目を見てぷう、と頬を膨らませた。
「その目、さては私の事を信頼してないなー? 銃口を向けた衣ちゃんの方が、助けた私よりも信頼されるなんて……さてはそういう性癖なのかなぁ?」
「ち、違いますよ! ただ、何となく怪しい感じがしまして」
今の所、光先輩の目的が全く見えない。あの衣先輩と双子だと言うのだから、胸に一物を持ってやって来た可能性は高い。父の内密の調査命令を持っている以上、最も味方に近そうな光先輩相手でも、油断してはいけない。
「ふうん、疑り深いんだなぁ。まあ良いけど」
「すいません、助けて貰ったのに」
「うんうん、畏まる姿勢はよろしい。それで、その仮説っていうのは――失踪した伊藤悠馬くんが、君を襲ったんじゃないかな、っていうものなんだよね」
光先輩はそう言って、椅子と体を元の位置に戻した。
「俺を襲う……って、面識もないですし、恨みを買った覚えもないですよ」
「君になくても、向こうにはあるんだよ。伊藤家は、警察権力に押し潰されて、衰退した家柄だから……悠馬君、普段から恨みつらみを話してたよ。君を警察の手先だと思った悠馬くんが、犯行声明文を送りつけて清介くんを襲った可能性は、決して無視できない。それに――その犯行声明文、悠馬くんの端末から送られていたんだよね」
……要するに、その伊藤悠馬という生徒が、警察への恨みを俺にぶつけようと襲いにきて、失敗したので『神隠し』に見せかけて身を隠した、という事だろうか。なるほど、筋は通っている気がする。だが、衣先輩は一言も、その仮説については話をしなかった。なぜなのだろう。
「『衣先輩は一言も言ってなかったぞ……』みたいな顔してるなぁ。まあ、まだ仮説だし、いくつか変なところもあるんだよ。悠馬くんが、私の張った魔法防壁ぐらいを破れないはずがない、とか、これだけ捜して見つからないのは不自然だ、とか。それに――衣ちゃん、悠馬くんにぞっこんだったから」
「は、はい?」
俺は、ついそう訊き返した。
「だから、衣ちゃんは悠馬くんにメロメロだったんだよ。それはもう、骨抜きになってたなぁ」
「は、はぁ……」
衣先輩が、ぞっこん。メロメロ。骨抜き。……想像が全くできない。
「あはは、あんまり喋ると衣ちゃんに怒られちゃうかな。清介くん。今日、私が来たのはね」
そこで光先輩は、一度息を吸った。ああ、大変な事を言われるんだろうな、と俺は直感した。
「――あなたを、校内調査員に任命するためなの」
「……校内調査員?」
俺は、オウム返しに訊ねる。光先輩は、そう、と頷いた。
「『神隠し』の捜査をする校内組織の一員、の事だよ。生徒会公認のね。生徒会は、君が独自に事件の調査をする危険性を考慮して、君が暴走しないように管理下に置く事にした――ね、良い話でしょ」
光先輩は、悪戯っぽく笑った。
「そうですか?」
「そうだよ。これで、清介くんも大手を振って、生徒会の下で安全に調査ができるんだし、監視されてるのは元々だしね」
「別に、調査したくないかも知れないじゃないですか」
あまりに勝手な話である。学校に来たばかりの新入生を、危ない事件の調査に当たらせようとは。
「うーん、言っちゃって良いのか分からないけど……」
訝しがる俺を、光先輩は指差した。
「清介くん、素直なタイプでしょ? こう、考えてる事が顔に出やすいって言うか……分かる人には分かっちゃうと思うよ。清介くんが調査する気満々なの」
「いやいや……」
まだ、そこまで調査への熱意を燃やしているつもりはない。仮に燃やしていたとしても、絶対に顔に出さないように心がけているつもりで……。
「あはは。どちらにせよ、清介くんは調査員に内定済みなんだよ」
笑う光先輩は、悪魔のように見えた。――とは言え、確かに悪い話ではない。上級生と俺との魔法の能力の差は歴然としているし、多分今のままでは、俺が父ほどの捜査能力を持っていても、何ら事件に関する情報を手に入れる事はできないと思う。生徒会、特に外部からの捜査に反対している会長派にはきっちり目を付けられているし、その意味でも「生徒会公認」の印を背負って調査をする方が、ずっと効率が良い。
「……お、乗り気になって、って顔をしてるね」
「表情を読まないで下さい」
「あはは。じゃあ、今日の夜、八時に南校舎のエントランスに来てね」
光先輩はそう言って、椅子から立ち上がった。
夜、小石に誘われて、二人で寮の十二階にあるカフェレストランで夕飯を食べた。値段も安いし、味も庶民的で親しみやすい。小石はマカロニグラタンに、俺はハンバーグ定食に舌を巻きながら、やれ授業が大変だとか、明日が楽しみだとかいう話を楽しんだ。朝の事件について何も話さなかったのは、お互いがお互いを思いやった結果と言って良い。光先輩との約束の時間が迫ってきて、会計を済ませて店を出た時、小石は俺に、
「気をつけて下さいね」
と、小さな声で囁いた。それが、どれほどの意味を持って生まれた言葉なのか分からなかったが、俺はただ、ああ、と頷いた。小石はそれで満足したらしく、俺から逃げるようにして部屋へと帰っていった。小石も、鋭くなったなぁ――俺はしみじみと、そう思った。
午後八時ぴったりに南校舎のエントランスにやってくると、先に着いていたらしい光先輩が、手を振って俺を出迎えた。
「女の子と約束した時は、十五分前に来るのが紳士の嗜みだと思うんだけどなぁ」
「すいません。妹と晩飯していまして」
「ふうん……。それって、秋野小石って子の事かな?」
光先輩が首を傾げる。
「そうです。……けど、どうして知っているんですか?」
「小石ちゃんも、義は付くけど警察の娘には違いないからね。衣ちゃんも私も気に掛けてたんだよ」
う、と俺は小さく呻いた。小石を巻き込まないように、と思っていたが、どうやらここに来た時から、小石は目を付けられていたらしい。となると、学園の外部調査嫌いは、やはりかなりのもののようだ。
「あはは。警戒してる警戒してる」
「妹は、俺の宝物ですから」
「わ、言うなぁ」
何だか、ことごとく光先輩の世話になっているのに、話をするほどに光先輩が敵のような気がしてくる。衣先輩の方がむすっとしているのに、光先輩の方が話をし辛いというか……。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「……はい」
だが、今は光先輩に付いていくほかない。俺は、歩き出した光先輩の背中を追った。階段を上って四階へ、廊下を西の突き当たりへ……と歩いていって辿り着いたのは、いつか来た生徒会室だった。
「あら……」
生徒会室には、衣先輩をはじめ、いくつかの人の影があった。ロ型に並んだ机を囲っているのは、全部で十の影だ。その中には――。
「清介さんじゃないですかー!」
「ご機嫌よう、お昼ぶりです」
葵ちゃんと、時子の姿もあった。
「あれ、知り合いだったんだね。清介くん、女の子に人気あるんだ?」
「いや、たまたまですよ……」
「無駄話はそれまでだ。席についてくれ」
事情が飲み込めないまま、俺は衣先輩に従って、空いていた葵ちゃんの隣に座った。光先輩は、指定席らしい衣先輩の隣の椅子へと腰掛ける。
「よし。――皆、自分がここに居る理由は分かっているな? ここに居る十二人が、校内調査のメンバー全員だ。私と副会長が、『神隠し』の犯人一味でないと確信できる者から、初等の各学年に四人ずつ、調査向きの能力を持っている者を選出した。この校内調査団は生徒会公認だが、位置づけとしては秘密組織だから、まずは必ず秘密を守るようにしてくれ」
「質問、よろしいですか?」
穏やかな声で、机を挟んで俺の反対側に座っている時子が手を挙げる。
「ああ。構わん」
「皆さんがどうかは存じませんが、私は、晩ご飯の途中でここに連れてこられただけで、調査員になりたいと思っている訳ではありません。ですが、話を聞けば秘密組織とのこと。これはつまり――」
「君が想像している通り、拒否権はない。事態は切羽詰まっているのでな」
時子は、ふぅ、と溜め息を吐いたあと、分かりました、と言った。
「校内調査員の仕事は三つだ。一つが、日頃から『神隠し』についての調査を行い、何か分かったら逐一私に連絡を行うこと。一つが、毎週火曜日の夜、つまりは今だな。この時間に、生徒会室に集まって会合に参加すること。一つが、有事の際の生徒の安全を守ること。以上だ。質問はあるか?」
衣先輩の話を聞いて、生徒会室は一旦しんと静まった。それぞれ、今の言葉を一つずつ咀嚼しているのだろう。俺も、一つずつ話を整理していく。……調査団と称してはいるが、基本的にはバラバラの行動を取る事になるらしい。生徒会の公認があるから、調査をする上での障害は多少緩和されるが、安全が担保される訳ではなさそうだ。
「具体的に何を調査すれば良いんだ?」
初等三年生の生徒が、衣先輩にそう尋ねた。
「『神隠し』は単独犯でない――というのは、学園側の調査でかなり確実性のある事実だ。複数犯が、この島の中で完全に姿を隠すのは不可能に近い……つまり、生徒や教員に紛れ込んでいるか、または何らかの方法で結界を突破し、外部とワープで行き来しているか、という事になる。前者の可能性は学園側で潰すから、我々は後者の可能性に絞って調査を進める。仮に、この島に掛けられている大型の妨害魔法を突破しようと思うと、巨大な術式――魔方陣のような依代が必要になる。この依代を見つけるのが、君達の仕事だ。個人のプライバシーを侵害しない限りなら、どのフロアに入っても基本的には構わん」
結界というのは、船の上で小早川校長が言っていた、瞬間移動を封じる魔法の事だろう。話が具体的になってきて、生徒会室は少しざわついた。
「――おっと、今日は別件が立て込んでいるんだった。すぐに質問がなければ、今日は連絡先の交換だけ行って解散にしようと思うが」
その言葉からしばらく沈黙が続いて、新たな質問が出てこないと判断した衣先輩は、アドレスの交換を指示した。俺達十二人はメール端末を操作して、全員分のアドレスを登録した。そこで会は、解散になった。
衣先輩と光先輩の移動魔法で、俺は一歩も歩く事無く、自分の部屋へと帰ってきた。……これ、部屋のロックなんて、移動魔法があれば簡単に通過できるのではないだろうか。そうも思ったが、そこは二人の実力ならではなのだろう、と納得しておく。
疲れた体を駆ってシャワーを浴びた後、ベッドに寝転がる。メール端末を確認すると、葵ちゃんと時子から一件ずつメールが来ていた。
『清介さんが居て、びっくりしました。調査、お互いに頑張りましょう!』
葵ちゃんのメールは、簡単な一行書きの内容だった。こっちはこっちで、葵ちゃんが居た事に驚いているので、お互い様という奴だろうか。俺は、改めてよろしく、という旨の文を書いて、葵ちゃんのアドレスに送信した。
『清介様とご一緒できるなら、安心です。』
一方、時子からのメールは、お世辞なのか皮肉なのか分からない一文から始まっていた。
『……私はあまり乗り気ではありませんが。さっき、会長様に、「報酬はあるんですか」とメールを送ったのですが、「ない」と即答されてしまいました。はあ、と溜め息も忙しいです。』
時子の、まぶたを伏せて落胆した顔が目に浮かぶ。
『清介様も、あまりのめりこまれないように。この学園、思っているよりずうっと危険そうですから。では、また。』
時子のメールは、そんな警句で閉じられていた。聡い時子は、俺よりもずっと敏感に、学園の異常を感じているのかも知れない。俺はぐっと言葉を頭にしまって、ありがとう、という意味の言葉だけ書いて返信した。
ふう、と溜め息を吐く。父への手紙を書きたいが、どうも頭がちゃんと回らない。どうせ出すのは木曜日になるのだから、と思って、俺は手紙を書くのを明日に延期して、ベッドに潜り込んだ。そして、昨日同様かなり早い時間に、眠りについた。




