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ロマネスクの誘い  作者: 今夜は山田
第一章:入学式と顔合わせ
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10.四月三日(月)①「……エリンさんは、ここには居ないんですか?」

 *


 目が覚めたのは、アラームを設定した五分ほど前の事だった。

 ベッドを早々に離れて、洗顔を済ませると、俺はかばんから制服を取り出した。明青学園の制服は、中学校の頃の制服と比べて、上下どちらもデザイン性には富んでいなかった。上は、落ち着いた白地にところどころ青のラインが走っているだけで、下はスーツのそれと一緒だ。小石が着る予定の女子生徒の制服も、上は胸元の小さな飾りが付いたぐらいで派手さはない。下は、チェック模様のスカートだから、その分少し、男子生徒の制服よりも華やかではあるが……やはり地味だ。

 朝食を買いに行く心の余裕はない。ベッドの上で跳ねたり、枕に顔を埋めたりしてみては、時々白の掛け時計を見上げる。全く落ち着かない。教室の位置を、持ってきた資料で確認する。南校舎の二階。東端から二番目の部屋だ。穴が空くほど見つめたけれど、心のざわめきは全く落ち着かない。教科書は要るのだろうか、と思って、とりあえず授業用かばんに全部詰めてみる。そこから、今日は使わないだろうなぁと思える教科書を抜いてみては、もしかしたら使うかも知れないと思い直してまた詰める。鉛筆を完璧に尖らせる。消しゴムを真っ白にする。全部、昨夜にもやった事なのに、俺は朝になってもまた繰り返していた。

 始業は八時五十分だ。まだ八時過ぎだが、もう教室の方に出向いてしまおうか――なんて考えが俺の頭を支配し始めた頃、不意に扉がノックされた。

「兄さん? 私です」

「ああ、今開けるよ」

 わざわざ迎えに来てくれたのか。慌ててベッドを飛び降り、扉を開けると、そこには制服姿の小石と司の姿があった。

「おっと、小石ちゃん一人じゃなくて残念そうだな?」

「ああ、そうだな」

「認めんなよ! 泣くぞ!?」

 司が叫ぶ。あまり大声を出されて、周りの部屋に迷惑を掛けられても困るので、一旦二人を部屋に通す事にした。俺と小石がベッドに腰掛けて、勉強机の前の椅子に司が座る。中学校の時行った修学旅行でも、同じ様な景色があったような気がする。

「ついに授業だな。僕、昨日からウキウキして眠れなくってさぁ。ずっとベッドでじたばたしてたぜ」

「……マスターはぐっすりでしたから、ご心配なさらないで下さいね」

 エリンが俺の耳元で囁いた。まあ、言われなくてもきっとそうだろうとは思っていたが。エリンが居る限り、司はほとんど何の嘘も吐けそうにない。

「あはは……。私も、さすがに緊張しています」

 小石がそうはにかむ。その首には、昨日買った勾玉が掛かっている。地味な制服だから、ただの勾玉でも小さなアクセントとして十分に役立っていた。小石はそんな俺の視線に気付いて、言葉なしに目で俺の勾玉を褒めてくれた。

「むむ? ……なあエリン、もしかして僕達、邪魔者って奴?」

「変な気を遣うなよ。俺と小石は兄妹ってだけだから」

「へえ。となると、まだ僕にもチャンスが……ふぐぁ!?」

 司が仰け反る。

「目はやめろって言ってるだろうがぁ!」

「あはは……」

 どうも、本当に緊張しているのは俺と小石だけらしい。嘘は吐けない、緊張もしない――司はもしかすると、意図せず理想的な人間像に近付いているのではないだろうか。

「んじゃ、司の朝の叫びも聞いたところで、そろそろ行くか」

「あのさ……」

 あはは、と部屋に笑い声が響いた。そうして、何でもない朝が幕を開けた。




 授業が始まるまでまだずっと時間があるのに、南校舎は生徒で溢れていた。どの足元も覚束ないでいるのは、恐らく校舎を埋める生徒のほとんどが新入生だからだ。そわそわして落ち着かなかったのは、どうやら俺達だけではなかったらしい。人垣を掻き分けて、豪華な階段を上る――これが校舎の階段を上る初めてであればもっと良かったのだが――と、一階と同じような装飾をされた二階の廊下に出た。階段や二階の廊下には、まだ人が少ない。皆、一階で足踏みしているようだった。俺達が彼らに先んじて二階に来れたのは、一度階段を経験している俺と、能天気な司の存在の為だろう。廊下を東へとしばらく歩くと、待ちに待った、一年二組の表札に辿り着いた。

「やけに綺麗だよな。今年建てたばっかみたいだ」

 司は、そう言いながら教室の扉をじいっと見つめた。

「掃除魔法……も、あるんでしょうか」

「代々、執事の家系とかになってくると、そういう伝家の魔法があるかも知れないな」

 俺はそう、腕を組んだ。夢の溢れる教室を前にして何だが、司の言う通り、この校舎は妙に綺麗で使用感がなく、何となく不自然さがある。ただ綺麗に保全しているだけではなくて、建材や壁に傷が全くない。

「僕、ここに来るまでに教員リストは読んできたけど、掃除魔法が得意なんてのは居なかったぞ」

「いや、清掃員じゃなくても、用務員ぐらいは居るんだろうけど……」

 掃除だけなら理解はできるのだが、それ以上の問題が別にあるのだ。

「魔法による建物の補修と拡大は、禁止されている――という所ですよね、兄さん」

「そうそう。にしては、柱も傷一つないし、不思議だなぁ」

「ちなみに、禁止になった理由ですけれど、これは今から二十年ほど前に起きた事件がきっかけなんです。確か、北の地域に住む家族が、家の防寒力を上げようと魔法で手を加えたんですが、この魔法に、ふとした小火が燃え移って、大火事になったんです。つまり、防火の意識から、魔法による建物補修は禁止された訳ですね。一方、建物拡大の方ですが、これは――って、ちゃんと聞いてますか?」

 小石のうんちくを背景音楽に、俺は少し、真剣な思索を始めていた。確か、あの便利なメールシステムについても、島外へは一切情報が出ていない。これは仮説だが、もしかするとあのメールシステムは、正式に許可を得て設置されたものでないのではないだろうか。この校舎の補修保全にも魔法を使っているのだとすれば、これは立派な不正である。無論、どちらもさしたる罪にはならないような事ではあるが、学園の行っている不正がこの二つ限りとは言い切れない。ともすれば、もっと大きな不正に手を出している可能性だってある。学園が警察による調査を頑なに拒否するのは、もしかするとそれが原因なのではないか?

「――という事ですから、建物関係に魔法を使うのは危険なんです」

「あ……あがが……」

 一つの結論に至ったところで、改めて意識を目の前に向けると、ちょうど小石のうんちくが終わったところだった。今日は短めで良かった。免疫のない司は、それでもダメージを受けたようだが。

「まあ、校舎中が綺麗な理由も、その内訊く機会があるだろ」

「そうですね。――そ、それでは」

 小石がごくん、と唾を飲んだ。小石は、一歩踏み出して扉のノブをそっと握ると、ゆっくりと回転させ、扉を押し開けた。

「わあ……」

 と同時に、感嘆の声を上げる。――広い。一番前に黒板と教壇があって、弧を描く三人分の机が横に三つ、ずっと教室の後ろまで並んでいる。新入生が全部で二百十五人、クラスは四つだから、一クラスあたりは五十人を超える。冷静にその事を踏まえてみれば、目の前の教室もごく当たり前の広さなのかも知れないが、初めて見る整然かつ凄然とした光景に、俺も小石も衝撃を受けないはずがなかった。

「おっ、僕達が一番乗りみたいだな」

 そんな訳で、そういうものとは無縁の司が、一番に教室の中へと入っていった。

「……ここに来てから、ずっと何かに驚いてる気がします」

「そうだな」

 俺と小石はくすりと笑い合って、司に続いて教室に入った。

 教室の席は、名簿の順に決まっているようだった。「秋野小石」は一列目、「大原清介」は二列目、「山下司」は最後列だ。小石と俺とは運よく前後の席だったので、授業で困った時にはお互いに助け合おうと内心で依頼した。

「思ったより座り心地良いな、この椅子」

「そうですね。……これで兄さんも、『俺が勉強できないのは椅子が悪いからだー!』とか、言えなくなります」

「次は机のせいにするかな」

 椅子は、長椅子ではなくて、席ごとに中学校の頃と見た目が一緒のものが用意されている。ただ、一緒なのは見た目だけで、座ってみると、体によくフィットして高機能なのがすぐに分かった。

「あれ、清介は勉強できないタイプなのか?」

 小石の机の前にやってきた司は、冗談めかしてそう言った。

「まあ、得意じゃないな。ちなみに小石も俺と同じぐらいの成績だ」

「げ。まさか、あほあほ兄妹……ふぐぇ!?」

「あはは……。兄さんは極端に座学だけが駄目ですし、私も実技がかなり苦手なんです」

 そう、俺も、実技だけに限れば、クラスで一,二位を争う成績を上げていた。ただ、どうしても教科書とノートと鉛筆を見ると、睡魔が襲い掛かってくるのである。――小石はその逆で、知識は学校一と言っても差し支えなかったが、実技は学校でワーストと言って間違いないような有様だった。この辺も、俺と小石が上手く協力し合えた一つの理由かも知れない。

「へえ。僕、こう見えても優等生だったんだぜ」

 俺は、耳を澄ました。しかし、何も聞こえない。

「……エリンさんは、ここには居ないんですか?」

「いや、居るぜ」

 さっき司の目を突いたばかりなのに、どうしてエリンからの否定が飛んでこないんだろう。

「……わたくしがマスターにお仕え始めたのは最近なので、昔の成績については、わたくしには分かりません」

 疑問を抱いた俺の耳元に、そんな言葉が届いた。

「なるほど、昔の事なら言いたい放題できる訳か」

「まあ、僕の実力は追々分かるだろうから、今は好きなだけ言うが良いさ」

 何だろう、この余裕。魔法の知識が小石並にはあるという事は、行きの船で感じた訳だから――あるいは、司が司の言葉通りに優等生という事もありそうだが。

 それからしばらく喋っている内に、教室に続々と生徒が集まってきた。皆、初々しいというか、動きがたどたどしい。自分達も、気付いていないだけであんな風なんだろうな、と思うと、恥ずかしくなって、俺は密かに顔を赤らめた。

「おっと。じゃあ、僕はそろそろ席に戻ろうかな。これから、よろしくな」

「はい!」

 小石が元気良く返事をし、俺も頷く。司はとことこと、自分の席に戻っていった。

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