11.四月三日(月)②「とてもうるさい」
小石の両隣に人がやってきた。机一つに椅子が三つで一セットだから、同じ机を三人で共有する事になるので、その相手というのは今後の学生生活に大きな影響を与える。小石の隣に座ったのはどちらも男子生徒だったが、割合と気さくそうで、小石もかなり緊張してはいたが何とか会話を始めたようだった。いちいち俺が関わっていくのもどうかと思うので、後ろでじっと聞いていると、俺の左隣の席にも人がやってきた。
「お……おはよう、初めまして」
俺も、小石に負けてはいられない。俺は、左隣にやってきた白面の女子生徒に、そう話し掛けた。
「…………」
しばらくの沈黙が続く。やがて、耐え切れなくなって、俺が次の言葉を出そうとした頃になって、
「おはよう」
と、女子生徒は反応を示した。声も細くて、可憐な雰囲気をかもし出している。
「俺、大原清介って名前なんだ。君は?」
「…………」
俺が質問をするが、女子生徒はまたすぐに返事をしない。
「荏田勇」
今度も、女子生徒は少しの間の後でそう答えた。――いや、ちょっと待てよ。俺は、女子生徒の脚を見た。
「ぐおっ……」
彼女は、ズボンを穿いていた。つまり彼女は、正確に言えば“彼”は――男子生徒だという事だ。
「……よ、よろしく。三年間」
「…………」
カタコトになりながら、俺は何とか握手の手を差し出した。いくら美少年という言葉があるにしても、ここまで女の子っぽい顔に育つものだろうか。
「よろしく」
男子生徒――勇はそう言って、俺の手を握った。女の子と握手している気がして、何となく気恥ずかしい。握手は少しの後、どちらからともなく離れた。
「…………」
困った事に、話題が何もない。勇は極端に口数が少ないタイプのようだし、俺もどちらかと言えば口下手な方だし……。
「やあやあ、おはよう君達ぃ!」
と、悩んでいる所へ、俺の右隣に騒がしい声がやってきた。
「なんだいなんだい、楽しい話? この桜花ちゃんも混ぜて混ぜてー!」
振り返って、その声の主を確認する。やけにハイテンションなその声の主は、やはり満面の笑みを浮かべている女子生徒――今度はちゃんとスカートを穿いている――だった。
「…………」
「……お、おはよう」
「テンション低っ! 『朝起きたら退学通知が来てたぜ! ひゃっふぉー!』みたいなテンションの低さ!」
何だろう、未だかつてない危機感を、ひしひしと感じる。勇も同じようで、ふと見ると、かなり不自然にあっちの方を見ていた。俺もそれに従って、遠くを見る事にした。……ああ、綺麗な装飾だなぁ。
「さては桜花ちゃんの魅力でイチコロされちゃった? 困ったなぁ、日本全国数億人もの桜花ちゃんファンにまた新しい名が刻まれてしまうのかぁ」
もう少し遠くを見ていようかと思ったが、放っておくと新たに何かを捏造されそうなので、俺は女子生徒の方に目を向けた。
「俺は大原清介。で、こっちが荏田勇。そっちは?」
「…………」
名前を出された勇が、さも迷惑そうにこちらを向いた。
「そっかぁ、どうしても知りたいのかぁ。ならやむを得まい! 我が名は尾田桜花だぁ! な、何だってー、お前があの尾田桜花なのか? そう、私が尾田桜花なのだぁ! 観念しろ悪の幹部!」
「……あ、ああ」
「…………」
女子生徒――桜花は、俺と勇の反応が薄いのを見て、頬を膨らませた。
「ノリ悪いなぁ、二人とも。そんなんじゃ、現代社会の荒波に飲まれて、座礁して、数百年後に沈没船として発掘されるっていう三重苦に遭う事になるよ?」
「いや、俺はまだ緊張しててさ……。そっちは無縁そうだな」
同じく無縁な奴が居たな、と思ってちらっと司の方を見ると、司は司で左右の生徒と談笑をしていた。
「うんにゃ、だいぶテンパってるよ。ざっと見積もっても倍満ぐらいはテンパってますな。二万四千だぁー!」
「とてもうるさい」
初めて口を開いた勇は、そう文句を言った。
「いさちゃんは静かすぎだよ!」
「…………」
「スルーされた!?」
俺が言うのも何だが、この二人は絶対にそりが合わないと思う。
「清介、よろしく」
勇はそう言って、顔を背けた。――げ、俺を見捨てて逃げる気か。
「いさちゃんが冷たいよぉー! せいちゃん慰めてぇー!」
「せ、せいちゃんって何だよ!」
「何って、愛ある呼び方だよ?」
桜花は腕を組んで、うんうんと頷く。
「――よし、元気があって良いクラスだな。だが、今からは私が主役だ。全員、静かに」
桜花が次の言葉を言おうとした時、教壇の方から女性の大きな声が教室中に響いた。俺達はお互いに顔を見合わせ、頷き合った。
「気にせず喋るんだね!」
「違う」
意思の疎通の難しい相手だ。――黒板の前には、腕を組んだ女性が、自信に満ちた表情で立っていた。制服じゃないからもあるが、漂う風格と言うか、オーラだけでも、この人が担任の先生なのだろうという事が分かる。歳は若く見えるが、生徒とは明らかに差がある。
「素直でよろしい。――私が、このクラスを預かる事になった一ノ瀬瑞穂だ。喜んで良いぞ、今年の初等一年担任団で最も優秀な先生が二組の担任なんだからな」
……。沈黙が、教室中を襲った。
「なんだ、感動の薄い奴らだな。……まあ良い、早速カリキュラムの説明をするぞ。初等一年の授業は全部が担任受け持ちだから、全て私が担当する」
一ノ瀬先生はせっかちに、話を始めた。一部の生徒――小石とか――が、慌ててメモを出す。
「まずは『魔法法学』。初等一年では、知らないとうっかり犯罪者、と言うような初歩的な知識を与える。詰まらん授業だが、これが一番楽だからな。次が『魔法倫理』。これは魔法を扱う上で、踏み外してはいけない人倫を説く授業だ。これも詰まらん。魔法法学より内容がぼやっとしてるから、大体どの年も一番人気がない。それから『魔法哲学』。やはりこれも詰まらん。魔法とは何ぞやというような事を延々と繰り返す授業だ。まあ、好きな奴はとことんはまるらしいが。『化学の一』。これは自習テキストだから、一年の間に全部読んで理解しておけよ。……さて、皆がお待ちかねの『初等魔法学』だが」
と、そこで一ノ瀬先生は、一旦言葉を切った。メモ派の生徒が、ここぞとばかりに筆を加速させる。
「『初等魔法学』は最も詰まらん。魔法の基礎の基礎を教える授業だが――皆知っての通り、魔法を扱う感覚というのは個々人で違うものだ。ゆえに、『初等魔法学』で教えるのは初歩の初歩……まあ、やってる事は魔法哲学なんかとあんまり変わらん。実際に魔法の練習実技の授業があるのは初等二年からだ」
カリカリ、という鉛筆の音に、微かにはあぁという溜め息が混じった。
「うむ。だからお前達は幸運だと言うのだ。あまりに詰まらん授業ばかりだから、私はいつでも、実技科目を二つ加えている。これは面白いぞ。片方は魔法訓練だ。この学園も、派手な魔法を自由に練習できる場所はあまりない。が、この授業の間は、私が管理をしている体育館を開放して、好きに練習させてやる。しかも優しい私が分からん事は全て教えてやる。どうだ、楽しそうだろう」
今度は、ちょっとした歓声が上がる。確かに、授業がさっき聞いた通りに詰まらないのだとすれば、唯一楽しみのある機会かも知れない。実技だし。
「だがまだ喜ぶのは早い。もう片方の対戦実技、これはもっと楽しいぞ。このクラスは全員で五十四名居る訳だが、これを名簿の真ん中で分けて二十七人ずつのグループに分ける。名簿二十七番目までは二のA組、二十八番目からは二のB組だ。面倒だから、私はA組、B組と呼ぶぞ。それで、この二つの組で、週に二回か三回、何かの競技で争って貰う。無論、魔法を使った競技だ。この授業は役に立つぞ。どうして役に立つと思う? そうだな……鷲田、答えてみろ」
突如指名された不幸な鷲田という男子生徒は、慌てて立ち上がって、それからええと、と頭を悩ませ、
「魔法の勉強になります」
と、答えた。一ノ瀬先生は、やれやれと言った風に頭を振る。
「答えが広い。まるで『一足す一は自然数です』と言っているようなものだ。良いか、この対戦実技が何に役立つのかと言えば――就職だ!」
一ノ瀬先生は、そこで今日一番の大声を張り上げた。
「……まあ、夢のない話だがな。魔法についての実践的な訓練を詰んでおけば、卒業した後、まず警備員にはなれる。食いっぱぐれがない訳だな。無論、別の夢を抱いている者が多いだろうが、人生そう順風満帆には行かないものさ。何かあった時の保険を得られるという点で、この対戦実技は非常に優れている。あとはまあ、クラスの人数が多いのを管理し易くなるという利点も……おっと」
なるほど、中々に的を射た意見だ。そもそも、今年の新入生の数を見ても分かるように、魔法の素養のある人間の数はかなり減ってきている。そんな中でなら、優秀な警備員になるのはそう難しくない。素養のない人間に比べれば、何の勉強もしていない素養のある人間だって十分に働けるのだ。それが実践魔法に長けているともなれば、信頼できる一芸として押し出していく事はできる。
「よし、以上だ。次に学級委員長を決めなければいけないんだが、入学試験の結果を見て私が勝手に決めておいたから安心しろ。荏田勇、立ってくれ」
「…………」
急な指名にも動じず、勇は無言で立ち上がった。おお、何か格好良いぞ。
「お前が学級委員長だ。良いな?」
「はい」
「うむ。お前達――拍手せよ!」
一ノ瀬先生の号令で、教室は生徒による拍手に包まれた。勇は、拍手にもやはりぴくりともしないで、静かに席に座った。
「続いて副委員長だが、これも試験の結果で私が決めておいた。山下司、立ってくれ」
「よっしゃあ!」
司が、一ノ瀬先生にも負けない大声で叫びながら立ち上がった。――まさか、本当に優等生なのか。ふと小石を見ると、小石も恐らく俺と同じ感情で、呆然としていた。
「お前が学級副委員長だ」
「了解!」
「うむ。では、お前達――」
今度は、一ノ瀬先生が最後まで言う前に、拍手が巻き起こった。生徒全体が謎の興奮に包まれているのが分かる。俺と小石も、謝罪の意を込めつつ丁寧に拍手を繰り返した。
「他の委員はまだ決めていないから、追々決める必要がある。が、ここで十分ほど休憩しよう。お疲れさま」
一ノ瀬先生はそう言うと、にや、と笑って、とことこと教室の外へと出て行った。黒板の上に掛かっている時計は、まだ九時半を示していた。




