9.閑話①『大原啓太郎』
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大原啓太郎は、やれやれと溜め息を吐いた。誰に向けた溜め息でもない。あえて言うならば、彼が彼自身に失望して生まれた溜め息だ。
大原啓太郎の体は、縄で固く縛り上げられていた。また、彼の体は、どこかの倉庫のような、明かりの全くない埃っぽい空間に置かれていた。それは彼が望んで、そうなったのではない。全くの慢心――と彼が溜め息を吐くように、彼の不意を突いた刺客により、そんな目に遭っているのだった。
誰が自分にこんな事をするのか――という疑問は、大原啓太郎には存在していなかった。彼は警察組織の幹部である。その彼を恨むものは決して少なくないが、監禁にまで及ぶとなると、彼に心当たりは一つしかなかった。少々考えれば、今は警戒を解いて良い時期でないという事など、明らかだったのに――後悔の念だけが浮かぶ。いつも行動が先に立つ彼も、一切の行動を禁じられてしまっているせいか、思い浮かぶ事は全て過去の事だった。
せめて、息子と娘が、学園に出発してからで良かった。あるいは、二人が学園に行き、自分の周りに一瞬人が居なくなったのが、こうなったきっかけかも知れないが……何にせよ、良かった。――力を持たない彼にとって、二人の存在は、ある意味で警備の役に立っていた。そしてそれが彼の一番の負い目だった。自分を狙う全ての視線が、少なからず二人にも向けられている。二人には強く育って欲しいと願っていたが、それはあくまで安全の上で――それを大原啓太郎は一番望んでいた。だのに、二人には危険ばかり掛けてしまった。そればかりか、二人が家を出て危険が我が身一つに掛かるようになると、ほとんど無力に捕らわれてしまった。二人に累が及ばなかったのだけが、唯一の幸運だ。
こんな事では、二人に合わせる顔がない――大原啓太郎は、じっと機会を窺っていた。ただ一つ、彼には希望が残されていた。敵が、彼を恐れるばかりに、彼が逃げ出さないようにと置いた監視役の男である。監視役の男は、大原啓太郎と一枚扉を挟んで反対側で、たった一人で見張りをしている。大原啓太郎は魔法こそ使えなかったが、警察官としては優秀である。もし、監視もなしにただ監禁されていたのなら、彼に勝ち目はなかっただろう。だが、人が居るのであれば――勝算はゼロではない。彼はそう考えていた。上手く監視役の男と話ができれば、時間を掛けて、自分を逃がさせる事も不可能ではない。男がもし体術に能のない者なら、油断を誘って押さえ込めれば、縄を解くよう脅迫する事もできる。いずれにしても、男に魔法の素養のない事が、絶対的に求められる。
――五時間。倉庫に運び込まれて、五時間が経つのを大原啓太郎は感じた。こういう時の為に、体の時計は正確に合わせてある。時間の把握は、修羅場では一番の武器になるのだ。ちょうど五時間が、「監視役」というものの忍耐の限界だった。
「おい、そこにいるんだろう。話は聞いている」
大原啓太郎はそう、門の外へ向かって声を掛けた。
「ちょうど五時間ですね。どうしました?」
大原啓太郎の想像よりずっと早く、外の男はそう返事をした。大原啓太郎はにや、と笑う。外にあるのだろう時計と自分の時計がぴったりだった事と、外の男の声が思いの外ずっと聡明そうだった事にだ。少なくとも、突然激昂して銃を乱射する……というようなタイプではない。説得は難しいかも知れないが、希望は繋がった。
「なに、じっと黙っていて疲れただけだ。話ぐらいしても構わんだろう」
「ははは、良いですよ。何を話します?」
「そうだな。俺の事を話しても構わんが、今は君の話を聞きたいね」
男の返事が止まる。少し急き過ぎたか――と大原啓太郎が後悔しかけた頃になって、ようやく男は声を発した。
「大原刑事――役職を知りませんから、刑事と呼ばせて貰います。大原刑事ともあろう人が、そんな見え透いたやり方をするとは思いもしませんでした」
やはり、勘付かれたか。外の男は相当頭が切れるらしいと、大原啓太郎は内心舌打ちをした。こういう時は、とりあえず相手に合わせておくしかない。相手に見限られたら、会話も不能になってゲームエンドだ。
「……中々やる。俺はてっきり、監視役をのぼせ上がらせれば、楽に脱出できるかと期待したんだが」
「敵を見くびりすぎですよ。僕ならまず、相手の実像を掴む所から始めますね」
「ほう……」
大原啓太郎は、一瞬考えて、はっと気付いた。ずっと敵は、学園への警察の介入を嫌う勢力だと思い込んでいたが、実はそうではないのだ。見くびりすぎ、という言葉はそれを如実に示している。つまり、敵の正体は――。
「『神隠し』の犯人か。俺も鈍ったものだ」
「そうでもなければ、大原刑事なんて相手を易々とは捕まえられません」
大原啓太郎は落胆した。全く、何を考えているのだろう。まるで頭が自分のものでないようだった。自分のポリシーに反する事ばかりしている。決め付けてはいけない、本質を見るのだ。――そう、この監視役の男は、やけに自分に友好的な態度を取っている。それは、「基本的には」、敵本部への何らかの不満があるからと考えるのが妥当だ。しかし、この監視者の男は聡い……つまり、わざわざそんな態度を取る事で、不満を抱いている事を俺に、「示唆しようとしている」のだろう。その目的は不明だ。
「君は魔法使いか?」
大原啓太郎は少しの考慮の後、一旦話題を変える事にした。
「はい」
男は、一言で答えた。
「そうか。力ずくで逃げる事もできん訳だ」
ここで、大原啓太郎も石を投じた。最初の作戦は露呈し、力ずくで逃げる事も叶わない。これで自分の取れる手段は、「相手の不満を利用して、説得し協力を得る」以外になくなった、という事を示唆したのである。男はその示唆に対しても、ただ一言で応じた。
「はい」
さて――大原啓太郎は、暗い倉庫の中に目を凝らした。男が、敵の本部に何らかの不満を持っていて、離反も辞さない心構えであると仮定する。そこへ、自分は協力の意思を伝えた。しかし、まだ男は、倉庫を開けはしない。もうワンアクション、こちらから起こすのを期待しているのだ。男が望むワンアクションとは、一体何なのか。
「少し、考えさせろ」
一つずつ整理していく。男が離反する気で、自分に協力するつもりもあるとして、まだ行動を起こさないのは何らかの懸念があるからだと考えよう。たとえば、離反した後に上手く事が運ぶのか不安であるとか……そういう懸念だ。今の所、仮に男が自分を助けたとして、その後の事は何も話していない。男のイデオロギーも分からない。向こうも、自分の価値観を全て知っているわけではない。つまり、離反するとして、自分ひとりでやるか自分を連れて行くか迷っている「可能性が一番高い」ように思える。それ以外の事である可能性ももちろんあるが、こればかりは賭けに出るしかない。――そう、大原啓太郎は結論付けた。
「俺は刑事だ――まあ、本当はもっと高い役職だが、刑事には違いない。君に協力できると……」
しかしそこまで言って、大原啓太郎は言葉に詰まった。男の真意に気付いたからである。
「……そうか、君はそこを懸念している。分かった。俺は刑事であるより先に、父であり人間だ。俺が息子と娘を持つ人間として理解のできる事なら、俺は君に協力を惜しまん」
「ははは。さすが、頭の切れる人ですね」
男の笑い声がする。大原啓太郎が次に聞いたのは、倉庫の鍵の外れる音だった。




