8.四月二日(日)③『兄妹』
小石と待ち合わせをした二時ちょうどに、俺は寮の中央エントランスへとやってきた。珍味な昼食のせいで、かなり長い間部屋でうなされていたのだが、約束の時間に遅れる訳にはいかない。エントランスには何人か別の生徒も居たが、出入り口付近に立っていた小石を見つけるのは容易だった。
「待たせたな」
そう俺が声を掛けると、小石はいえ、と首を振って、
「今、来たところです」
と、言った。小石の服は、見慣れたいつもの私服姿だ。膝ちょうどぐらいのスカートにくっ付いた花の飾りが可愛らしい。
「じゃあ、行くか」
俺はそう言って、扉を引いて小石を中庭に通した。続いて、俺も中庭へと出る。……何か騒がしいような気がするな。
「に、兄さん……」
俺より先に中庭の光景を見た小石は、口に手を当てて、表情を驚きに染めていた。中庭の方を見ると――誰だろう。生徒と生徒が、走り回っては魔法を使いあって、激しく争っている。現れる炎も岩も、直撃すれば大怪我は避けられないような規模のものだから、争っているのは恐らく上級生同士だろう。
「喧嘩中っぽいな」
「なに落ち着いてるんですか! もう、これだから兄さんは……」
さっき修羅場を潜り抜けてきたばかりなので、感性が馬鹿になっているのかも知れない。中庭を舞台に暴れまわっているのは、二人の男子生徒のようだ。しかし、どちらも怒っているというよりは楽しんでいる表情に見える。となると、好きで暴れているのだろうか。
「多分、すぐに誰か止めに来るだろ」
「それはまあ……そうでしょうけど」
とりあえず、少し怯えている小石を励ます。……二時集合が、とんだ裏目になったものだ。
「お、ほら、来たぞ。生徒会長だ」
南館の方から、鵜川衣会長が現れる。恐らく、いや間違いなく、騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。
「あれが生徒会長さん……。って、兄さんはどうして知っているんですか?」
「えっ……とほら、入学前のパンフレットに載ってただろ、顔写真」
「そうでしたっけ?」
小石は「うーん」と首を捻った。今日の朝の事は、できれば小石には秘密にしておきたかった。無闇に小石を心配させても仕方がない。
「どうやって決着させるかな。見物しようぜ」
「もう、兄さんったら。趣味悪いですよ」
そう言いながらも、小石は興味津々に、鵜川衣会長の姿をじっと見つめた。俺達二人という観客に気付いてか気付かないでか、生徒会長は軽く指を振った。と、同時に、派手に駆け回っていた男達の姿が消える。――移動魔法だ。鵜川衣会長は、自分の仕事は済んだと言わんばかりに首を捻ってから、そのまま南校舎の方へと帰っていった。
「移動魔法、だな。二人をどっかに飛ばしたんだろ」
目をぱちくりさせている小石に、俺はそう解説した。
「あんなに高速で動く対象を、同時にどこかに移動させるなんて……」
「生徒会長だからな。どこに移動させたのかが気になるけど」
生徒会御用達のお仕置き部屋でもあるのだろうか。――あるいは、それが『神隠し』の真実かも知れない。もしそうだとしたら、危険な父の任務も終わり、純粋に学園生活を楽しむ事ができるのだが。
「じゃ、平和になったみたいだから、行くか」
「兄さんはお気楽で良いですね。……はい、行きましょう」
騒ぎが収まったのを察して、中庭に他の生徒が戻ってきた。俺達はその人の流れに逆らうようにして、中庭から南校舎の方へと歩き抜ける。南校舎のエントランスを真っ直ぐ抜けて、学園の敷地を出ると、そこからがもうみなとみちだ。南校舎を通る時、クラス発表がもうされているかも知れないと思って見回したが、それらしい掲示板もなく、人もあまり居なかった。一方でみなとみちの方は昨日の夜に比べて、生徒の影は少し多いようだ。
「最初は、何を見にいきましょうか」
「ん、そうだな。俺は掛け時計を買おうと思ってるけど」
「となると……あのインテリアショップですね。行きましょう」
正確に位置を覚えている訳ではないが、道が一つしかないので、きょろきょろしながら歩いていればいつか見つかる。大体、みなとみちの真ん中辺りまで歩いて、俺達は目的のインテリアショップを見つけた。小石が、緑色のオシャレな扉を押し開いて店内へと入っていくのに従って、俺も店に入った。
「いらっしゃいませ、こちらは『インテリアショップ』です」
すぐに、女性の店員が俺達の前にやってきて、深々とお辞儀をした。
「あはは……。やけに、淡白な名前なんですね」
「みなとみちにはインテリアショップが一つしかありませんから、ユニークな名前を付ける必要がないんですよ。――こほん。何かご入用ですか?」
「俺の部屋に時計を掛けようと思って、時計を買いにきたんですが」
店員は、俺の言葉を聞いて、少し困ったような顔をした。
「男性向けの時計は、ほとんど出てしまいましたね……。こちらに掛かっている、この恐竜デザインの時計だけは、まだ残っていますが」
店員が指差した時計は、怪獣が座って、前に突き出した両手両足で丸時計を抱えている……というようなデザインだった。小学生向けと言うか、何と言うか。
「ですよねぇ……」
店員は、俺の表情の微妙なのを見て、うんうん、と頷いた。
「女性向けのものは、どれもファンシーなデザインなので……ああ、こちらの白角時計なら、男性のお部屋でも雰囲気を壊さないかと思いますが。他の時計よりはかなり安価なので、男性向けのものが入荷されるまでの繋ぎとしても有用かと」
次に店員が指差したのは、白の正方形フレームに丸くガラスが抜かれて、シンプルな文字盤が奥に印字されている、いわゆるプレーンタイプの掛け時計だった。真っ白なので、デザインという程の何かがある訳ではないが、その分当たり障りはなさそうだ。
「どうするんですか、兄さん」
「んーと……じゃあ、買おうかな」
「なら、私も買います。これ、二つ下さい」
小石が笑顔で店員に告げる。店員はかしこまりました、と言って、商品を取りに一旦奥の方へと去っていった。
「良いのか? あっちに、『ラフレシア時計』ってのがあるけど」
「変なデザインの時計が多いですね……。私は、兄さんのと同じのが良いんです」
「え?」
俺が小石の言葉の真意を確かめる前に、店員が箱を二つ手にして帰ってきた。シンプルな時計らしく、箱にも遊び心がない。ごく真面目な外観だ。
「二点で千二百円になります」
「ほら、お支払い。お願いします」
「ああ、なるほど……」
うっかり小石に乗せられた訳か。日々上がっていく小石の奢らせスキルには恐怖を禁じ得ない。俺は、やむなく財布から代金を支払った。箱を別々の袋に入れて貰って、俺達は店を出た。
「次は、どうします?」
店に出てすぐ、小石は俺を振り返って訊いた。やけに張り切っているところを見ると、小石は小石で、学園生活への期待とわくわくの波に襲われているらしい。
「……うーん。時計以外に買う物、考えてなかった」
「えー。兄さん、乏しいですね……」
さすがに、今日壁紙を買おうという気にはならない。小石と一緒だし、まだどんなものを買うか決めてもいない。小石はそんな俺の態度に不満そうな顔をしていたが、やがて、
「じゃあ、一軒だけ私に付き合って下さい」
と、言った。
「良いけど……払わないからな」
「はい。――次は、私が兄さんにプレゼントする番ですから」
小石は満面の笑みを浮かべ、次に俺の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張った。
「テンション高いなぁ」
俺は苦笑いしながら、小石に引かれるがままに、歩き始めた。
――しばらく歩いて着いたのは、昨日見掛けた宝石店だった。何も説明しない小石に押されて、一緒に店に入る。宝石店は、さっきのインテリアショップとは違って、展示された商品を自由に見て回れるようになっていた。ルビーの指輪……うわ、二万三千円だ。こちらにあるダイアモンドは、その十倍以上の値段がついている。魔法を使う者にとって、宝石はその力を高めてくれるものだから、決して無駄ではないと思うが、学生を相手にこの値段はちょっと……。と思っていたら、すぐそばで学生服を着た男が、レジで店員に万札の束を手渡しているところを見掛けてしまった。いかにも金持ちそうなその男は、商品を受け取ると、それをすぐに指へはめて店を出て行った。……見た限りでは、鵜川衣会長より年上って事はなさそうだった。仮に毎日あんな風にひょいひょい売れているのなら、この店の経営も安泰だろうな。
「あ、と、これこれ……」
しばらく俺を放っていた小石が、見つけたらしい何かを掴んでレジへと駆けていった。レジの店員の対応は、さっきも今も変わらない丁寧なものだったが、小石が支払ったのは紙幣一枚だった。あれは恐らく――千円だな。俺は、高価な店と小石とのギャップに、くすっと笑った。
「お待たせしました、兄さん」
買い物を終えた俺は、俺の前にやってきて、そう言った。
「何を買ったんだ?」
「それは、店を出てからのお楽しみです」
小石は、そうウインクした。それから、自分で恥ずかしくなったのかすぐに背を向けると、ぱたぱたと小刻みな歩幅で、店の出口の方へと走っていく。俺は笑いながら、その後姿を追った。
店を出ても、小石は何を買ったのか明かさず、代わりに付いてきて下さい、と港の方へと歩き始めた。一体、何のつもりなのだろう。俺はそう疑問に思いながら、小石と並んで歩いた。港に近付くに連れ、生徒の数も減ってくる。当然だ。誰も、港に用などないのだ。一度、何かの店の仕入れ業者とすれ違う。それでも立ち止まらずに歩いて、結局俺達は、港まで歩き続けた。
「どうしたんだ?」
と訊いて、俺は昨夜と今朝の事を思い出した。――二人きりで話したい事がある。確か、小石はそう言っていたのだったか。
「俺に何か話がある……んだよな?」
「そうです」
小石は、そう言って俺を、真剣な目で見つめた。生徒達の足音は遠くて、ずっと近くに波の音がある。
「兄さん――何か、隠していませんか?」
俺は、自分の胸が飛び跳ねるのを感じた。小石が言っているのは、調査の事だろう。鈍い小石なら気付かないと思っていたのに、まさか勘付かれるとは思わなかった。だけど、知らせて小石に危険が及ぶのは避けたい。何とか誤魔化して――。
「誤魔化さないで下さい!」
だけど、俺が何かを言う前に、小石は俺にぐいと顔を寄せて、叫んだ。
「私は……ずっと不安でした。一緒に暮らしていた家族と、兄さんとも、今日からは別々なんだって。もちろん兄さんとは、同じ学園に通うけど、これまでみたいに一つ屋根の下に暮らせる訳じゃない。でも……兄さんなら、私と兄さんの、兄妹の絆は、そのままだって言ってくれると思っていました」
「思ってるよ。当たり前じゃないか」
「……ありがとう、嬉しいです。――でも、兄さんは、何かを隠している。私に話さないのは、きっと私の為になるって兄さんが思ってるからだと思います。でも、昨日の夜も、今日だって、兄さんは何かを背負ってきていて……私は、話して欲しいです。兄さんが私を想ってしてくれているのは分かります。だけど、話して欲しい。兄さんが私を助けてくれるように、私だって兄さんを助けたいんです。お願いします」
――それは、悲痛な色に満ちていた。俺は後悔した。小石をこうも傷付けてしまうなんて、兄失格だ。小石はずっと俺を心配してくれていたのに、それにも気付かないなんて。
「……俺は、父さんに調査を命じられてる」
小石は、はい、と頷いた。小石も、薄々は俺が何を抱えているのか分かっていたのだろう。改めて驚きはしなかった。
「これを、兄さんにあげます」
小石はそう言うと、さっきの宝石店の袋から、買った品物を取り出した。それは、薄桃色の勾玉だった。空いている小さな穴に、紐が通っている。小石はそれを、腕を伸ばして、俺の首に掛けてくれた。心地良い重みを感じる。
「お揃いなんです。ほら」
と、小石は、もう一つ、同じ色の勾玉を取り出して、自分の首に掛けた。
「私のこと、忘れないで下さいね。いざとなったら、どんな時でも駆け付けますから」
「ああ……ありがとう」
「兄さん、忘れっぽいもんなぁ。でも、もし呼ばれなくても、私はいつでも側に居ますからね」
小石が笑う。俺はその体を、いつものように、抱きしめた。
――小石は、決して自分も調査に参加するとは言わなかった。言えば、俺を困らせると分かっていたからだ。それは、紛れもない優しさだと思う。
そんな小石の優しさに触れた俺は、部屋でぼうっと時間を過ごしていた。あれから、小石と笑い話をしながら寮に戻ってきたが、その時にも南校舎の掲示板にクラス分けの表示はなかった。午後から、という話だったから、何かの都合で遅れているのだろうか。小早川校長から直々にクラスを伝えられた俺達三人以外の新入生は、自分のクラスが分からないでやきもきしている訳だ。……いや、それにしては、皆南校舎で発表を待っているのでもないし、やけに関心がない気もする。もしかすると、小早川校長に担がれただけで、実は新入生の全員に昨日の間でクラスが明かされていたのではないだろうか。そう考え始めると、その方が辻褄が合うように思えてくる。そうでなければ、向こう三年間のクラスが発表されるこの日に、その発表される掲示板へ無関心で居られるはずがない。
そう思い込んでいたのだが、四時過ぎになって、葵ちゃんからメールが届き、
『クラス、もう見に行かれましたか? 私は一組でした』
なんて文章を目にしてしまったので、俺は俺の想像の誤りを認めざるを得なかった。俺が、自分と司と小石は二組だったよ、と返信すると、
『お隣ですねぇ。明日から、よろしくお願いします』
と返ってきたので、俺もよろしくお願いします、と書いて送った。
明日からいよいよ、授業が始まる。何をどんな風にやるのか、まだ何も想像がついていない。――楽しみだな、と、部屋に掛かった白い時計を見ながら、思った。




