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異世界なのに、学園編がありません

――あれから一年が経った。


俺たち三人は、相変わらず仲が良かった。


「レオン、庭行こうぜ!」


「また?」


「いいじゃん!」


十歳になったカイルが、今日も元気に誘ってくる。


その隣には、八歳になったアリシアもいた。


「私も行く」


「じゃあ、三人で行こうか」


こうして、俺たちは庭へ向かった。


一年経っても、この関係は変わらない。


昔からカイルは俺を連れ回すし、アリシアはそんな俺たちについてくる。


俺にとっても、この二人と一緒にいる時間は楽しかった。


ただ――。


最近、少し気になっていることがあった。


それは、カイルのことだ。


十歳。


前世の感覚で考えれば、学校に通っていてもおかしくない年齢だ。


いや、むしろ普通に学校へ通っている年齢だろう。


なのに、カイルは毎日屋敷にいる。


「……カイル」


「ん?」


「学校って行かないの?」


俺が聞くと、カイルはきょとんとした顔をした。


「学校?」


「うん」


「行かないよ」


「……なんで?」


「なんでって……」


カイルは少し考えた。


「別に行かなくていいからじゃない?」


「…………」


思わず黙ってしまった。


「普通じゃない?」


「普通?」


「うん」


カイルは当たり前のように頷く。


「俺の友達だって、みんな学校なんて行ってないぞ」


「そうなの?」


今度はアリシアに聞いてみる。


「私も行ってないよ」


「アリシアも……?」


「うん」


二人とも、学校に行っていないことをまったく不思議に思っていない。


……待て。


ちょっと待ってほしい。


俺だけがおかしいのか?


前世の記憶があるせいで、学校に通うのが当然だと思っているだけなのか?


この世界では、学校に通わないほうが普通なのか?


いや、そもそも俺は、この世界の学校を見たことすらない。


でも、学校と聞いて、前世で読んだ小説や漫画を思い出した。


異世界に転生した主人公が、しばらく冒険したあと――。


「学園編」が始まる。


貴族の子供たちが集まる学校。


魔法を学ぶ学校。


剣術を学ぶ学校。


そこで友達を作ったり、貴族と揉めたり、実力を見せつけたり。


場合によっては、生徒会とか、決闘とか、婚約者とか。


……だいたい何かが起こる。


異世界ものでは、かなり定番の展開だった。


俺自身も何度も読んだことがある。


だから、この世界にも当然、どこかに学校があるものだと思っていた。


でも――。


「学校に行かないのが普通?」


なんだ、それ。


「じゃあ、勉強はどうしてるの?」


「勉強?」


「文字とか、計算とか」


そう聞くと、カイルは笑った。


「家でするだろ」


「家で?」


「うん」


「……ああ」


そういえば、この家では子供たちが勉強する時間がある。


大人が教えているところも見たことがある。


ただ、俺自身はまだ文字を習い始めたばかりだ。


前に文字を覚えたいと思ったことはあったが、まだ早いと言われていた。


だから、本を読んで調べることもできない。


「じゃあ、学校に行かずに家で勉強するのが普通なの?」


「そうだけど」


カイルは本当に不思議そうな顔をしている。


「なんでそんなこと聞くんだ?」


「……だって、学校ってあるんだろ?」


「あるらしいぞ」


「らしい?」


「俺は行ったことないけど」


「…………」


そこまで言われると、余計に気になる。


「学校って、どんなところなの?」


「知らない」


「知らないの?」


「うん。俺の周りで行ってるやつ、いないし」


アリシアも頷いた。


「私も知らない」


「……そうか」


なるほど。


学校そのものが存在しないわけではないらしい。


でも、少なくとも俺たちの家では、学校に通うという選択肢自体が普通ではないようだ。


「じゃあ、平民も学校に行かないのかな?」


俺がそう言うと、今度はカイルが少し考え込んだ。


「平民?」


「うん」


「知らない」


「知らないの?」


「俺、平民の生活なんて知らないし」


「ああ……」


それはそうか。


俺たちは貴族だ。


領地を持たないとはいえ、子爵家の人間である。


屋敷の外の生活について、詳しく知らないのも無理はない。


「じゃあ、貴族の子供はみんな家で勉強するの?」


「たぶん、そうじゃない?」


カイルが答える。


たぶん。


……ずいぶん曖昧だな。


「アリシアは?」


「私も家で勉強してるよ」


「そうか……」


ますます気になってきた。


前世の小説だったら、ここから学園編に入るところなのに。


いや、そもそも――。


この世界に「学園編」があるとは限らない。


物語じゃないんだから。


俺は少し自分に呆れた。


小説の中では、異世界の学校はもっと当たり前のように登場していた。


それに。


俺にとって、学校はそれだけのものじゃない。


前世の俺は、高校に入学したばかりだった。


これから始まるはずだった。


新しい友達。


放課後に友達と遊ぶ時間。


部活動。


文化祭。


体育祭。


好きな人ができるかもしれない。


そんな、ごく普通の青春。


俺は、それをこれから経験するはずだった。


だけど――。


高校生活は、始まって数日で終わった。


電車に轢かれて死んだからだ。


そして、転生した。


今度こそ。


今度の人生なら、前世でできなかったこともできるかもしれない。


そう、どこかで思っていた。


その中でも――。


「学園生活」は、密かに楽しみにしていた。


異世界の学校。


貴族の子供たち。


魔法。


剣術。


友達。


そして青春。


前世で失ったものを、今度こそ。


そう思っていた。


だから。


「学校に行かないのが普通」


その言葉が、妙に重く感じられた。


「…………」


胸の中が、すっと冷えていく。


もしかして。


俺はこの世界でも――。


青春できないのか?


かなりまずい。


俺にとっては、本気でまずい。


「学校って、ちょっと行ってみたい気もするけどな」


カイルが何気なく言った。


「なんか楽しそうじゃん」


「…………」


「友達がいっぱい集まって、みんなで勉強するんだろ?」


「うん……」


「そういうのも面白そうだよな」


カイルは、本当に少し興味があるだけらしい。


でも、俺は違う。


俺は――。


心の中で、思い切り叫んでいた。


嫌だ。


それは嫌だ。


前世でもできなかった。


転生してまでできないのか?


せっかく異世界に生まれたのに。


魔法もある。


ステータスもある。


召喚魔法まである。


それなのに。


学園編だけ、ない?


「…………」


俺はその場で立ち尽くした。


「レオン?」


アリシアが心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫?」


「……大丈夫じゃないかもしれない」


「え?」


「……お母さんに聞いてみよう」


こうしていても、何も分からない。


カイルに聞いても分からないのなら、もっと詳しく知っている人に聞けばいい。


俺たちの家で、一番話を聞きやすい相手。


母さんだ。


「お母さんのところに行ってくる」


「学校のこと?」


「うん」


「俺も行こうか?」


「いいよ。俺が聞いてくる」


俺は二人を残して、屋敷の中へ戻った。


廊下を歩きながら考える。


学校がないのか。


学校に行かないのが普通なのか。


それとも――。


学校はあるけど、貴族だから行かないのか。


だったら。


俺はどうなのだろう。


「……俺も、行けないのかな」


その答えだけでも知りたい。


母さんを見つけた俺は、さっそく声をかけた。


「お母さん」


「あら、レオン。どうしたの?」


「聞きたいことがあるんだけど」


「何かしら?」


俺は少し迷ってから聞いた。


「どうしてカイルは学校に行かないの?」


母さんは一瞬、目を瞬かせた。


「学校?」


「うん。カイルは十歳なのに、学校に行ってないでしょ?」


「ええ」


母さんは少し考えるような顔をした。


「そうね。この家では、それが普通だからよ」


「……どうして?」


俺はさらに聞いた。


「学校に行っちゃいけないの?」


「いいえ」


母さんはすぐに首を横に振った。


「行ってはいけない、というわけではないわ」


「じゃあ……」


少しだけ、胸が高鳴った。


「俺も行けるの?」


母さんは俺の顔を見て、少し驚いたように目を丸くした。


「レオンも学校に行きたいの?」


「……うん」


俺は頷いた。


「前世でできなかったことだから……」


もちろん、そんなことは口には出せない。


母さんはそんな俺を見ながら、少しだけ笑った。


「そうね」


そして、穏やかな声で続けた。


「でも、レオン。貴族が学校へ通わないのは、珍しいことでも特別なことでもないのよ」


「……え?」


「むしろ、貴族の子供が学校へ行かないのは普通のことなの」


「普通……」


その言葉を聞いて、俺の胸がさらに重くなる。


「貴族の子供は、家で教育を受けるものよ」


母さんは当たり前のことを説明するように話した。


「必要なことは家庭教師の先生に教えてもらうの」


「じゃあ……カイルも?」


「もちろんよ」


「アリシアも?」


「ええ」


俺は思わず黙り込んだ。


つまり。


カイルが学校に行っていないのは、特別な理由があるからじゃない。


アリシアも同じ。


そして、俺も――。


貴族である以上、基本的には同じということだ。


「……じゃあ、俺も学校には行かないの?」


恐る恐る聞く。


母さんは少しだけ首を傾げた。


「どうしてそんなに学校へ行きたいの?」


「…………」


答えに困る。


まさか。


前世で高校生活を始めた直後に死んだから、今度こそ青春したいなんて言えるわけがない。


「なんとなく……楽しそうだから」


ようやく、それだけ答えた。


母さんは優しく笑った。


「そうね。楽しそうに思えるのも分かるわ」


「じゃあ――」


「でも、貴族の子供が学校へ行く必要はないのよ」


「…………」


必要はない。


その言葉が、俺の胸に突き刺さった。


必要はない。


前世でも、学校に通うのは勉強のためだけじゃなかった。


友達を作ったり。


遊んだり。


部活動をしたり。


普通の高校生活を送りたかっただけだ。


そして今。


その「普通」が、この世界では普通じゃない。


「……そうなんだ」


俺は小さく答えた。


母さんは、そんな俺の顔を見て不思議そうにしている。


俺の中では。


今まで密かに楽しみにしていた未来が、一つ消えたような気がしていた。

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