フェンリル計画、終了
「……まあ」
俺は少し考えてから言った。
「その問題は、とりあえず後にしよう」
「後でいいの?」
アリシアが尋ねる。
「今考えても、どうしようもないし」
厨房の肉の件。
狼をどうするか。
両親にどう説明するか。
考えれば考えるほど、頭が痛くなる。
でも。
「とりあえず、今日もあの子のところへ行こう」
「うん!」
アリシアがすぐに頷いた。
「そうだな」
カイルも頷く。
俺たちは三人で、屋敷の裏へ向かった。
◇
いつもの場所。
木の陰。
昨日まで、白い狼の子供がいた場所だ。
「…………」
俺は、少し嫌な予感がした。
何かがおかしい。
「いないな」
カイルが呟く。
「……うん」
そこには、白い毛並みの狼の子供がいなかった。
「どこ?」
アリシアが周囲を見回す。
木の裏。
草むら。
少し離れた場所。
どこにもいない。
「昨日までいたのに……」
カイルが不思議そうに呟いた。
「逃げたのかな?」
アリシアが言う。
「…………」
俺は地面に目を向けた。
すると、昨日置いた器がそのまま残っていた。
水を入れていた器だ。
「器はあるな」
「うん」
アリシアも頷く。
少し先には、狼の足跡らしきものも残っていた。
(……自分で移動したのか)
昨日までの狼は、まだかなり弱っていた。
それでも、水を飲み、肉を食べ、少しずつ身体を動かせるようになっていた。
完全に元気になったわけじゃない。
それでも、自分で歩けるくらいには回復していたのだろう。
「元気になりかけてたし、自分で移動したのかもしれないな」
俺はそう言った。
「でも……」
カイルの顔が曇る。
「いなくなっちゃった……」
アリシアも、狼がいた場所を見つめていた。
「……もう、いないの?」
「たぶん」
「…………」
アリシアの目に、涙が浮かんだ。
「え?」
俺は驚いた。
「どうした?」
「だって……」
アリシアが小さな声を出す。
「もう会えないかもしれない……」
ぽろり、と涙が一粒、頬を伝った。
「アリシア……」
「うぅ……」
そのまま、アリシアは泣き出してしまった。
「せっかく元気になってきたのに……」
「…………」
カイルも黙って、狼がいた場所を見つめている。
そして。
「……俺も、嫌だ」
カイルの目にも涙が浮かんだ。
「え?」
「もっと一緒にいたかった……」
ぐっと唇を噛む。
それでも我慢できなかったのか、カイルも泣き始めた。
「フェンリルだったかもしれないのに……」
「そこなの?」
俺は思わず突っ込んだ。
「だって……!」
カイルは涙を拭った。
「助けたら、仲間になると思ってたんだ……」
俺は何も言えなかった。
俺だって、ほんの少しは期待していた。
白い毛並み。
青い瞳。
弱っていたところを助けて、少しずつ近づいてきて、最後には触らせてくれた。
あの時間がなくなってしまうと思うと、俺も寂しかった。
「……元気になったから、出ていったんだよ」
俺は二人に言った。
「まだ完全に元気じゃなかったけど、自分で歩けるくらいにはなったんだ」
「でも……」
アリシアが涙を拭う。
「また会える?」
「分からない」
嘘はつけなかった。
「でも、元気になったなら、きっと大丈夫だ」
「…………うん」
アリシアは小さく頷いた。
カイルも、何度も頷いた。
◇
俺はその場にしゃがみ込んだ。
器は残っている。
水や肉を置いていた跡もある。
ここで過ごした時間の名残だけが残っていた。
「……帰ろう」
俺が言うと、カイルとアリシアも頷いた。
それでも、二人の涙は止まらない。
俺たちは肩を落とし、屋敷へ戻った。
◇
「まあ……!」
屋敷へ戻ると、母さんが俺たちを見て驚いた。
「どうしたの?」
「…………」
カイルが答えようとする。
でも、うまく言葉が出てこない。
「おかあさま……」
アリシアも涙を流していた。
「そんなに泣いて……何があったの?」
母さんはしゃがみ込み、二人と目線を合わせた。
「話してごらんなさい」
「……おおかみ……」
カイルがしゃくり上げながら言った。
「狼?」
「白い……おおかみ……」
アリシアも続ける。
「うらに……いたの……」
母さんが首を傾げた。
「屋敷の裏に?」
「うん……」
「弱ってたの」
アリシアが涙を拭きながら話す。
「だから……おみず……あげて……」
「おにくも……」
「…………」
母さんがぴたりと動きを止めた。
「……お肉?」
母さんの目が、少し細くなる。
何かに気づいたようだった。
「もしかして……」
少し前から、厨房では肉が足りなくなったと騒ぎになっていた。
そして今、二人の口から出てきた「狼」と「肉」。
「…………」
母さんは二人を見つめた。
カイルは泣いている。
アリシアも泣いている。
そして、少し離れたところで俺も黙っていた。
(……終わった)
完全にばれた。
「あなたたち……」
母さんが口を開く。
「厨房のお肉を、勝手に持ち出したの?」
「……ごめんなさい!」
カイルが先に謝った。
「ごめんなさい……」
アリシアも泣きながら頭を下げる。
母さんは何か言おうとした。
けれど。
「…………」
言葉が出てこない。
怒らなければならない。
勝手に厨房から肉を持ち出したのだから。
でも、目の前の二人は、もう泣き疲れてしまっている。
狼がいなくなったことを悲しんでいる。
そして、自分たちがしていたことが悪いことだとも分かっている。
「……もう」
母さんが小さく息を吐いた。
そして。
二人を抱きしめた。
「怒らないの?」
カイルが涙を流しながら尋ねる。
「怒っていますよ」
「……うん」
「勝手に厨房からお肉を持ち出したことは、ちゃんと叱らないといけません」
そう言いながらも、母さんの声は優しかった。
「でも……」
二人を抱きしめる腕に、少し力がこもる。
「そんなに泣いているあなたたちを見たら、今は強く怒れないわ」
「おかあさま……」
カイルとアリシアが、母さんにしがみつく。
母さんは二人の頭を優しく撫でた。
「その狼は、本当に大切だったのね」
「うん……」
「また会えるといいね」
「うん……」
俺は、その光景を少し離れたところから見ていた。
(……母さん、やっぱり優しいな)
もちろん、勝手に肉を持ち出したことが許されたわけじゃない。
きっと、あとでちゃんと叱られるだろう。
それでも今は、母さんの優しさがありがたかった。
こうして。
俺たちの「フェンリルを仲間にするかもしれない計画」は、あっさり終わったのだった。




