↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/27

白い狼を助けたら指を噛まれました

――ある日のこと。


俺たち三人は、屋敷の庭で遊んでいた。


「レオン、こっち!」


「待って、お兄ちゃん!」


カイルが駆け出し、アリシアがその後を追いかける。


俺も二人に遅れないようについていった。


五歳になった俺は、こうして兄と姉と一緒に遊ぶ時間が増えていた。


前世の記憶があるとはいえ、今の身体は五歳児だ。


走り回れば疲れるし、遊んでいれば楽しい。


精神年齢がどうであれ、子供の身体で過ごしていると、案外こういう時間も悪くないと思えてくる。


「次は何して遊ぶ?」


カイルが振り返って聞いてきた。


「うーん……何がいいかな」


さっきまで走り回っていたので、少し休みたい気もする。


そんなことを考えていると、アリシアがふと声を上げた。


「ねえ、あっちに行ってみない?」


アリシアが指差したのは、屋敷の裏手へと続く場所だった。


「裏?」


「うん。あっちって、あんまり行かないでしょ?」


確かに、普段遊ぶのは屋敷の表側にある庭が中心だ。


裏手に行くことはほとんどない。


別に立ち入りを禁止されているわけではないが、わざわざ行く理由もなかった。


「何かあるかな?」


カイルが興味津々といった様子で裏手を眺める。


「行ってみよう!」


「ちょっと待ってよ」


俺が止める間もなく、カイルは歩き出した。


アリシアもその後を追いかけていく。


……まあ、少しくらいならいいか。


俺も二人を追いかけた。


   ◇


屋敷の裏手に回ると、表側の庭とは少し違った景色が広がっていた。


木々が並び、建物の陰になっている場所も多い。


人の出入りも少ないのか、どこか静かな雰囲気だった。


「何もないな」


一通り周囲を見回したカイルが、つまらなそうに呟く。


「そうだね」


俺も辺りを見回した。


特に珍しいものはない。


庭の手入れが行き届いているのは表側と同じだが、こちらは遊び場というより、屋敷の裏側といった印象だった。


せっかく来たのに、これで終わりか。


そう思ったときだった。


「……ん?」


木の陰に、何か白いものが見えた。


最初は布か何かが落ちているのかと思った。


だが、よく見ると、わずかに形が違う。


「どうしたの、レオン?」


アリシアが俺の視線を追う。


「あそこ。何かある」


俺が指差すと、二人も木の陰を覗き込んだ。


「本当だ。何だろう?」


カイルが近づいていく。


俺たちも慎重に後を追った。


そして、木の陰に隠れていたものの正体が分かった。


「…………」


地面に、一匹の動物が倒れていた。


「犬?」


カイルが首を傾げる。


「違うと思うけど……」


俺は少し近づいて、その姿を観察した。


全身を覆う、真っ白な毛。


頭の上には尖った耳があり、鼻先は細長い。


身体はまだ小さいが、尻尾は大きく、ふさふさとしていた。


見た目だけなら、犬というより狼に近い。


ただ、俺の知っている狼と比べても、毛の白さが妙に目立っていた。


「狼……?」


アリシアが不安そうに呟く。


その瞬間。


「フェンリルだ!」


カイルが大声を上げた。


「え?」


「フェンリルだよ!」


カイルの目が、これまでにないほど輝いていた。


「見てみろよ! 真っ白な毛だぞ!」


「いや、白い狼ってだけじゃないの?」


「フェンリルかもしれないだろ!」


「かもしれない、ね……」


「絶対そうだ!」


即答だった。


……いや、さっきは「かもしれない」って言ってなかったか?


カイルの中では、すでに伝説の魔物を発見したことになっているらしい。


「でも、動かないよ?」


アリシアが心配そうに狼の子供を見つめた。


確かに、狼は地面に横たわったまま、ほとんど動かなかった。


呼吸はしているようだが、身体を起こす気配もない。


怪我をしているのか、それとも単純に体力が尽きているのか。


今の俺たちには判断できなかった。


「きっと、何かあったんだ!」


カイルが拳を握る。


「そして、俺たちが助けるんだ!」


「……?」


俺はカイルを見た。


「助けたら、仲間になってくれるんだよ!」


「なんで?」


「だって、こういうの本で読んだぞ!」


カイルは自信満々に胸を張った。


「強い魔物を助けたら、恩返しに仲間になってくれるんだ!」


(……前世の小説でよくあるやつだな)


弱った動物を助ける。


実は伝説の魔物だった。


主人公に懐いて、仲間になる。


確かに、何度も読んだことのある展開だ。


ただし、それはあくまで物語の中の話である。


現実でも同じことが起こるとは限らない。


……いや、そもそもここは異世界なんだから、実際にフェンリルが存在する可能性だってあるのか。


そう考えると、少しだけ期待してしまう自分もいた。


「本当にフェンリルなの?」


アリシアが尋ねる。


「絶対そうだ!」


「絶対?」


「……たぶん!」


自信が揺らいだらしい。


それでも、カイルの目はまだ輝いていた。


一方、アリシアは狼の子供から目を離さなかった。


「助けてあげないと」


その声には、心から心配している様子がにじんでいた。


「そうだな!」


カイルもすぐに頷く。


「母上を呼ぼう!」


「…………いや」


俺は思わず口を挟んだ。


「母さんは呼ばないほうがいい」


「なんで?」


カイルが不思議そうに俺を見る。


「母さんが助けたら……」


俺は地面に横たわる狼の子供へ視線を戻した。


「この子、母さんを主人だと思うかもしれない」


「…………!」


カイルが目を見開いた。


そして、すぐに真剣な顔になる。


「それは困る!」


どうやら、そこは譲れないらしい。


……いや、まだ仲間になるかどうかも分からないんだけど。


「じゃあ、どうする?」


アリシアが尋ねる。


カイルは腕を組んで考え込んだ。


「俺たちで助ける!」


「どうやって?」


「…………」


沈黙。


俺も黙った。


そこまで具体的なことは、誰も考えていなかったらしい。


「水なら持ってこられるよ」


アリシアが思いついたように言う。


「食べ物も必要だな!」


カイルがすぐに反応した。


「肉なら厨房にある!」


「勝手に持ってきて大丈夫かな……」


「ちょっとくらいなら大丈夫だろ!」


カイルはやる気満々だった。


ただ、問題はまだある。


「でも、狼って何を食べるんだろう?」


「肉じゃないの?」


「肉は食べるだろうけど、弱ってるときに食べられるのかな」


「…………」


再び沈黙が落ちた。


俺たちは三人とも、狼の世話なんてしたことがない。


そもそも、この世界の狼が前世で知っている狼と同じ生き物なのかどうかすら分からない。


人間の常識が通用するかも怪しいのだ。


……本当に助けられるのか、これ?


「とりあえず、水を持ってこよう」


俺はそう提案した。


何もしないよりはいいだろう。


「うん!」


アリシアが頷く。


「よし、取ってくる!」


カイルも立ち上がった。


「俺はここに残る。二人とも、急いでくれ」


「分かった!」


二人は屋敷へ向かって走っていった。


俺はその場に残り、改めて狼の子供を見つめた。


   ◇


白い狼の子供は、相変わらず地面に横たわっていた。


真っ白な毛並みはきれいだったが、身体はひどく小さい。


目も閉じたままで、時折、呼吸に合わせて胸がわずかに上下するだけだった。


(本当にフェンリルだったりしてな)


そんなことを考える。


もし本当にフェンリルなら、とんでもない発見だ。


子供の頃から伝説の魔物と一緒に暮らす。


強くて、賢くて、主人を守ってくれる。


……うん。いかにも物語に出てきそうだ。


もちろん、期待しすぎるのはよくない。


そもそも、まだフェンリルだと決まったわけでもないのだから。


俺がそんなことを考えていると。


「…………」


狼の子供が、ほんの少し動いた。


「……!」


俺は思わず息を止めた。


閉じていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。


その奥から現れたのは、澄んだ青い瞳だった。


狼の子供は、ぼんやりと周囲を見回した。


そして。


その視線が、俺のところで止まった。


「…………」


俺も動かなかった。


狼の子供も、じっと俺を見ている。


警戒しているのか。


それとも、俺が誰なのか確かめようとしているのか。


当然、そんなことは分からない。


「きゅぅ……」


やがて、か細い鳴き声が聞こえた。


「大丈夫だ」


俺はできるだけ静かな声で話しかけた。


「今、兄ちゃんたちが水を持ってくるからな」


言葉が通じるとは思っていない。


それでも、声をかけずにはいられなかった。


目の前にいるのは、弱りきった小さな生き物だ。


放っておけるほど、俺も冷たくはない。


「……怖くないぞ」


少し考えてから、俺はゆっくりと手を差し出した。


白い毛に触れてみようと思ったのだ。


ただ、いきなり触るのはよくないかもしれない。


そう思いながらも、もう少し近づければ安心してくれるのではないかと期待していた。


「ガブッ!」


「痛っ!」


突然、指先に鋭い痛みが走った。


狼の子供が、俺の指に噛みついていた。


「いってぇ!」


俺は反射的に手を引いた。


指先に、小さな歯の跡が残っている。


その周囲から、じわりと血が滲み始めた。


「…………」


狼の子供は、俺を睨むように見つめていた。


身体は弱っていても、警戒する気持ちは残っているらしい。


(……やっぱり、簡単には懐かないか)


俺は噛まれた指を見下ろした。


まさか、助けようとした相手に噛まれるとは。


「お前……」


思わず、ため息が漏れる。


「助けてやろうとしてるのに」


「きゅぅ……」


狼の子供が、小さく鳴いた。


……いや、こいつに文句を言っても仕方ないか。


目の前に知らない人間が手を伸ばしてきたのだ。


警戒して噛みついたとしても、不思議ではない。


むしろ、弱っているのに抵抗できたことを考えれば、少し安心するべきなのかもしれない。


「……まあ、いいけど」


俺は狼の子供から少し離れた場所に座り直した。


これ以上、無理に触るのはやめておこう。


まずは水を飲ませること。


それから、どうするか考えればいい。


(フェンリルだからって、いきなり仲間になるわけじゃないか)


当たり前だ。


目の前の狼からすれば、俺たちは見知らぬ人間でしかない。


助けようとしていることだって、伝わっていないだろう。


それでも。


俺は、その場を離れなかった。


「もう噛むなよ」


そう言って、狼の子供を見つめる。


もちろん、返事はなかった。


しばらくして、遠くから慌ただしい足音が聞こえてきた。


「レオン!」


カイルの声だ。


「水、持ってきたぞ!」


アリシアも一緒に戻ってきた。


二人はそれぞれ水の入った器を持っている。


俺は慌てて、噛まれた手を身体の後ろに隠した。


「おかえり」


「狼はどうだ?」


カイルが俺の隣にしゃがみ込む。


その直後、俺の手に気づいた。


「……ん? レオン、その手どうした?」


「え?」


「血が出てるぞ!」


しまった。


隠したつもりだったが、少し見えていたらしい。


「……ちょっと噛まれた」


「え!?」


カイルが目を丸くする。


「フェンリルに!?」


「いや、まだフェンリルとは決まってないって」


「でも、噛まれたんだな!」


「うん」


「やっぱり強いんだ!」


……なんで嬉しそうなんだよ。


「そこ、喜ぶところなの?」


俺は呆れながらカイルを見た。


「だって、強い魔物なんだろ?」


「だから、まだ分からないって」


「でも、噛む力は強いんだな!」


「……もういいよ」


俺はそれ以上、説明するのを諦めた。


アリシアは心配そうに俺の手を覗き込んでいる。


「レオン、痛い?」


「少しだけ」


「あとで、お母さんに見てもらおうね」


「……そうだな」


母さんに見つかるのは少し面倒だが、傷を放っておくわけにもいかない。


俺はそう考えながら、白い狼の子供へ視線を戻した。


狼は、俺たちが持ってきた水の器を警戒するように見つめていた。


まだ、飲もうとはしない。


俺たちが近づくと、身体を小さく縮める。


……まあ、そう簡単にはいかないか。


カイルは期待に満ちた目で狼を見つめ、アリシアは心配そうにその様子を見守っている。


そして俺は、噛まれた指をかばいながら、どうすれば警戒を解いてくれるのか考えていた。


こうして。


俺たちと白い狼の子供との距離は、まだまだ遠かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。