転生しても、文字は読めません
――それから、四年が経った。
俺は五歳になった。
「もう五歳か……」
朝、鏡に映った自分を見る。
(……成長したな、俺)
転生してから五年。
さすがに、赤ん坊だった頃の不自由さはほとんど残っていない。
◇
「レオン!」
扉が開いた。
「おはよう!」
入ってきたのはカイルだった。
今では九歳。
四年前と比べて、ずいぶん身体が大きくなっている。
昔は俺より少し大きいだけだったのに、今ではすっかり兄という感じだ。
「おはよう、お兄ちゃん」
「今日は何する?」
「まだ朝だよ」
「そうだった!」
カイルが笑う。
昔から元気なのは変わらない。
ただ、昔よりは少し落ち着いた。
……少しだけ。
「レオン、いた!」
今度はアリシアが入ってきた。
七歳になった姉だ。
「アリシア、おはよう」
「おはよう」
アリシアは昔から、俺のことをよく気にかけてくれる。
それは今でも変わらない。
「今日は一緒に遊べる?」
「うん」
「やった!」
アリシアが嬉しそうに笑う。
(相変わらず仲良しだな、俺たち)
五歳になっても、二人との関係は変わらなかった。
カイルは何かあるとすぐに俺を誘ってくる。
アリシアはいつも俺のことを気にかけてくれる。
三人で過ごす時間は多かった。
◇
そして、この四年間。
俺は普通に話せるようになったことで、あることを調べていた。
魔法についてだ。
ステータスに表示されている。
【スキル】召喚魔法
これが何なのか。
どうやって使うのか。
それを知りたかった。
だから、気になったことは屋敷の人たちに聞いて回った。
「魔法って知ってる?」
父さんに聞いてみたこともある。
「もちろん、言葉としては知っている」
「使ったことある?」
「私はないな」
母さんにも聞いた。
「お母さんは魔法を使える?」
「使えないわよ」
カイルにも聞いてみた。
「魔法? 本で見たことはあるぞ」
「使い方は?」
「知らない!」
即答だった。
アリシアにも聞いてみた。
「魔法って、どうやって使うの?」
「うーん……分からない」
そんな感じだった。
使用人にも聞いてみた。
「魔法に詳しい人はいませんか?」
「申し訳ありません。私も詳しくは……」
別の人に聞いてみても、
「昔、魔法を使う人がいるとは聞いたことがありますが……」
そこまでだった。
誰に聞いても、詳しいことは分からなかった。
(……マジか)
魔法そのものが知られていないわけではない。
でも、実際にどう使うのか。
魔力とは何なのか。
どうすれば魔法を発動できるのか。
そういうことを知っている人は、身近にはいなかった。
(ゲームとか漫画みたいに、魔法に詳しい人が普通にいるわけじゃないのか)
俺が期待していたような展開にはならなかった。
まあ、そんなに都合よくはいかないか。
◇
そこで俺は、別の方法を考えた。
本を読もう。
魔法に詳しい人がいないなら、本で調べればいい。
前世でも、分からないことがあれば本やインターネットで調べていた。
この世界にも本はある。
だったら、自分で読めるようになればいい。
「文字を教えて」
そうお願いしてみた。
すると、
「レオンにはまだ早いですよ」
そう返された。
(……またか)
何度お願いしても、返事は同じだった。
「もう五歳だから、文字を覚えたい」
「もう少し大きくなってからでいいでしょう」
「本を読みたい」
「そのうち勉強しますからね」
まるで相手にされない。
(五歳って、そんなに早いのか?)
俺としては、かなり本気だった。
魔法について知りたい。
そのためには、本を読むしかない。
でも、文字は言葉のようにはいかなかった。
この世界の言葉は、生まれたときから自然に理解できた。
聞けば意味が分かる。
話すことも、いつの間にかできるようになった。
だから、文字も何となく分かるんじゃないか。
最初はそんなふうに思っていた。
――そんなことはなかった。
(全然分からん)
見たことのない文字が並んでいる。
一文字ずつ覚えようとしても、似たような文字があって混乱する。
本を開いても、何が書いてあるのかさっぱり分からない。
しかも、誰も教えてくれない。
(自動翻訳みたいに、文字まで読めるようになるわけじゃないのかよ)
現実は厳しかった。
小説の主人公なら、
『前世の知識があるから、文字くらい独学で覚えられる』
とか、
『周囲の会話から文字を推測して覚えた』
とか。
そんな展開もある。
だが、俺には無理だった。
知らない文字を、知らないまま一人で覚えろと言われても限界がある。
(そりゃそうだろ)
前世で十五年生きてきたとはいえ、見たこともない文字を独力で解読した経験なんてない。
ましてや、ここにあるのは日本語ですらないのだ。
(ロゼッタストーンでも落ちてれば、何か分かるのかもしれないけどな)
そんな都合のいいものが、この世界にあるはずもない。
そもそも、あったところで五歳児の俺が解読できるのかという話だ。
(……独学で何でもできる主人公って、やっぱりすごかったんだな)
前世で読んでいた小説を思い出す。
あっちは、転生しただけで何でもできる。
こっちは、転生しても知らないものは知らない。
話せるようになったからといって、文字まで勝手に読めるようにはならない。
魔法の知識だって、勝手に頭へ入ってくるわけじゃない。
(転生しただけで、便利になるわけじゃないんだな)
俺は改めて、現実の厳しさを思い知った。
◇
それでも、諦めるつもりはなかった。
魔法について知りたい。
召喚魔法について知りたい。
そのためには、少しずつでも知識を増やすしかない。
今はまだ、本を自由に読めない。
なら、文字を教えてもらえるようになるまで待つしかない。
(……いや、待ってる場合じゃないんだけどな)
俺は内心で頭を抱えた。
転生ものの小説では、幼少期から知識を蓄えたり、魔法の訓練を始めたりする主人公が多かった。
幼い頃から努力した結果、同年代よりも早く成長し、大人になってから大きな成果を上げる。
いわゆる、幼少期の成長ブーストというやつだ。
もちろん、現実にそんな都合のいい仕組みがあるとは限らない。
それでも、身体が小さく、周囲から教わることも多い今の時期を、無駄にしたくはなかった。
(五歳って、もう遅いんじゃないか?)
いや、前世の十五歳と比べれば、まだ十年もある。
でも、十年あるからといって、十年間を自由に使えるわけじゃない。
子供には子供の生活がある。
親の許可がなければできないこともある。
そして今の俺には、本を読むための文字すら分からない。
(せめて文字くらい、さっさと覚えたいんだけどな……)
焦っても仕方がない。
そう自分に言い聞かせる。
けれど、焦らずにいられるほど、俺は大人しくもなかった。
せっかく二度目の人生を手に入れたのだ。
前世ではできなかったことを、この世界でやってみたい。
特に、ステータスに表示されている召喚魔法。
あれが使えるようになれば、何かが変わるかもしれない。
なのに、その第一歩すら踏み出せずにいる。
(……このまま何もできないうちに、十歳とかになったらどうするんだよ)
考えただけで、少し怖くなった。
だからといって、文字を教えてくれない大人たちを責めるわけにもいかない。
五歳の子供が本を読みたいと言っても、普通なら遊んでいなさいと言われるだろう。
俺だって、前世の記憶がなければ、同じように考えていたかもしれない。
(……どうにかして、文字を覚える方法を探さないとな)
「レオン?」
「ん?」
アリシアの声で我に返る。
「何してるの?」
「ちょっと考え事」
「難しい顔してる」
そう言われて、自分の顔に触れる。
(そんなに難しい顔してたのか?)
「考え事って何?」
「秘密」
「えー」
アリシアが不満そうな顔をする。
カイルも笑っていた。
「レオンは昔から、ときどき変なこと考えてるよな」
「そう?」
「うん」
カイルが頷く。
「でも、レオンはレオンだからいいけどな!」
「何それ」
俺は笑った。
五歳。
転生してから、もう五年。
魔法については、まだほとんど分からない。
召喚魔法についても、何も分からない。
文字すら、まだまともに読めない。
このままでは、思い描いていたような成長なんてできないかもしれない。
「何して遊ぶ?」
「外!」
「庭に行こう!」
「分かった」
三人で部屋を出る。
遊ぶ時間も、今の俺にとっては大切な時間だ。
……そう思うことにした。
ただ、頭の片隅ではずっと考えていた。
(どうすれば、文字を覚えられるんだろう……)
俺の五歳の一年は、そんな焦りを抱えたまま始まった。




