表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パーティを追放された俺、実は異世界帰りの魔王の愛犬だった~凶悪な魔物に懐かれ、世間は大騒ぎ~  作者: ささかま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/4

4話 異世界の匂い

買い物袋を抱えたまま、俺は人混みへ踏み出しかけた。

昼間より薄くなったとはいえ、異世界の匂いは確かに残っている。

見失えば、次にいつ出会えるか分からない。



「待って、ワンちゃん」



魔王様に袖を掴まれ、足が止まった。

振り返ると、さっきまでの笑顔は消えている。

その目は、人混みの向こうではなく、匂いが消えた空間そのものを見ていた。



「今追っても見つからないよ」


「まだ残っています」


「残り香だけ。

本人はもうここにいない」



俺は目を閉じ、呼吸を浅くする。

排気ガス、焼き菓子、香水、汗、洗剤。

街を満たす匂いを一つずつ切り分けていく。


異世界の土と濃い魔力の匂いは、数歩先で途切れていた。

そこから先へ続く足跡も、衣服に染みついた匂いもない。

まるで、一瞬だけこの場所へ現れ、そのまま消えたようだった。



「地球人ではありません」


「うん。

あの魔力は、こっちのものじゃないね」



魔王様も同じ結論へ辿り着いたらしい。

声は落ち着いていたが、袖を掴む指には力が入っている。


俺たち以外にも、異世界と関わる何かが地球にいる。

それが魔王城の仲間なのか、別の魔族なのか、それとも敵なのかは分からない。



「戻りましょう」


「追わなくていいの?」


「今は追えません。

次に嗅いだときは、逃しません」



魔王様は俺の顔を見上げたあと、小さく頷いた。



「じゃあ、今日は帰ろう。

荷物も重そうだしね」


「この程度なら軽いです」


「そういう意味じゃないよ。

ワンちゃん、さっきからずっと怖い匂いがする」



自分では気づいていなかった。

異世界の匂いを嗅いだ瞬間から、身体が戦う準備をしていたらしい。

指先に力が入り、買い物袋の持ち手が食い込んでいる。


魔王様が俺の手の甲へ触れた。

小さな手の温度で、ようやく呼吸が戻った。



「私はここにいるよ」


「……はい」



その言葉だけで、胸の奥に溜まっていた力が抜けた。

俺は持ち手を握り直し、魔王様と並んで帰路についた。


しばらく歩いても、魔王様は普段より静かだった。

買った服の袋を抱えたまま、ときどき周囲へ視線を向けている。


信号の手前で、一人の男がこちらへ向かって歩いてきた。

男の足元には、子供が落としたらしい小さな玩具が転がっている。

前を見ていないまま進めば、踏んで体勢を崩す。



「あの人、次に右へ避けます」


「どうして?」



男の右足から、急に力を抜こうとする匂いがした。

視界の端で玩具に気づき、反射的に身体を右へ逃がす準備をしている。



「匂いです」



次の瞬間、男は玩具を避けるため右へ身体を寄せた。

そのまま通り過ぎていく。


魔王様は目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。



「本当に何でも分かるんだね」


「何でもではありません」


「でも、私がお肉を食べたいのも分かるでしょ?」


「それは匂いを嗅がなくても分かります」



魔王様の機嫌が少し戻った。

歩幅も軽くなり、買った服の袋を揺らしながら先へ進んでいく。


帰宅すると、魔王様は靴を脱ぎっぱなしにして布団へ倒れ込んだ。

俺は玄関へ戻り、靴を揃える。


買ってきた服や日用品を机の上へ並べ、種類ごとに分けていく。

魔王様は布団へうつ伏せになったまま、こちらを見ていた。



「今日は疲れた」


「はしゃぎすぎです」


「地球は見るものが多すぎるよ。

宝箱もあったし」


「自動販売機です」


「押すと飲み物が出てくるなら、宝箱より便利だね」



反論しても考えを変える気はなさそうだった。

俺は服を畳み、空いている棚へ入れていく。


魔王様の服が加わっただけで、殺風景だった部屋に生活の匂いが増えた。

洗剤、新しい布、少女用の石鹸。

そこへ、魔王様自身の懐かしい魔力が重なっている。


俺は買い物袋の底に残っていた髪留めを取り出した。

黒い服に合うよう、魔王様が自分で選んだものだ。



「これはどこへ置きますか?」


「ワンちゃんが持ってて」


「俺が?」


「朝、髪を結んでくれるんでしょ?」


「そんな約束はしていません」


「今したよ」



魔王様は枕へ顔を埋め、満足そうに笑っている。

拒否する理由を考えたが、見つからなかった。


髪留めを机の端へ置く。

明日の朝から、俺の仕事が一つ増えたらしい。


夕食を済ませたあとも、昼間に嗅いだ匂いが頭から離れなかった。

異世界由来であることは間違いない。

けれど、生き物の匂いにしては輪郭が曖昧すぎる。


人間や魔族なら、汗や血、呼吸に伴う変化が残る。

魔物なら、体毛や鱗、縄張りを示す匂いが混ざる。

昼間の匂いには、そのどれもなかった。


魔力だけが、街の一角へ滲み出したような匂いだった。


魔王様は布団の上で、新しく買った服を一枚ずつ広げている。

黒いワンピースを胸元へ当て、俺へ向き直った。



「明日はこれを着る」


「朝に決めるのでは?」


「今決めたら、朝まで楽しみにできるでしょ?」


「なるほど」



魔王様は満足そうに服を畳んだ。

次に寝間着を取り出すと、俺へ背を向ける。



「着替えるから、見ないでね」


「分かりました」



俺はすぐに窓の方を向いた。

背後で衣擦れの音が続く。


犬の姿だった頃は、魔王様が着替えていても気にする必要はなかった。

人間の姿になった今は、同じ感覚ではいけないらしい。



「もういいよ」



振り返ると、魔王様は新しい寝間着の袖を嬉しそうに眺めていた。

そのまま布団へ潜り込み、半分だけ空いた場所を叩く。



「ワンちゃんも早く」


「少し風に当たってきます」


「また匂いを探すの?」


「念のためです」



魔王様の表情がわずかに曇った。

俺は安心させるように頭へ手を置く。


昨日までなら考えられない行動だった。

けれど、小さな姿の魔王様を前にすると、自然に手が動いた。



「遠くへは行きません」


「絶対?」


「はい」



魔王様は俺の手へ頬を寄せたあと、ようやく頷いた。


俺は窓を開け、ベランダへ出た。

夜風が火照った顔を冷やす。


目を閉じると、昼間とは違う街の匂いが流れてくる。

夕食、湿った土、車の排気、人間の体温。

その奥へ意識を伸ばしても、異世界の匂いは見つからない。


やはり、あれは一度きりだったのかもしれない。

そう思った瞬間、風向きが変わった。


鼻の奥へ、冷たい魔力が突き刺さる。

昼間に嗅いだものと同じ異世界の匂いだった。


今度は、残り香ではない。

遠くから風に乗り、少しずつ濃くなっている。


俺は手すりを掴み、匂いの流れてくる方向へ顔を向けた。



「まただ」



背後で布団が擦れる音がした。

魔王様が裸足のまま、ベランダへ出てくる。


俺の隣へ立つと、同じ方向へ顔を向けた。

眠そうだった瞳から、ゆっくりと柔らかさが消えていく。



「私も感じる」



魔王様が俺の服の裾を掴んだ。

指先が、ほんの少し震えている。


昼間よりも近い。

それでも、まだ発生源の姿は見えない。


街の灯りも、人の流れも、普段と何も変わっていなかった。

俺たちだけが、近づいてくる異世界の気配に気づいている。



「こっちへ来ています」



風がもう一度吹いた。

異世界の匂いが、さっきよりも濃くなる。


魔王様は服の裾を掴んだまま、小さく頷いた。



「うん。

何かが近づいてるね」



俺たちは暗い街を見つめ続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ