表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君だけは愛さない」と言った私を嫌う辺境伯のもとに嫁ぐ  作者: 真嶋 青


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/8

第五話

 修練場でのあの一件以来、クロードの様子が明らかにおかしい。


 翌朝。

 いつものように裏庭へ向かうと、そこにはすでに彼が待ち構えていた。

 それだけならいつもの光景なのだが、彼が私に手渡してきたのは木剣ではなく、真新しい、女性の手に合わせて作られた特注の模擬剣だった。

 柄には滑り止めの革が丁寧に巻かれ、重心も完璧に調整されている。


「だ、旦那様。これは……?」

「その木剣を使え。お前の手に合っていない粗悪品を使わせて、怪我でもされたら俺の寝覚めが悪い」


 彼が視線を逸らしながらぶっきらぼうにそう言うと、私の心臓がトクンと跳ねた。


(いや、いやいや。ありえないから! あのクロード様に、この私が……)


 顔が熱くなってくるのを気合で無理やり抑え込む。


「……ありがとうございます、クロード様」

「勘違いするな。辺境伯夫人たるもの、いざという時に自衛できないようでは困るというだけの話だ。それより、構えろ」


 言い訳がましく早口でまくし立てた後、彼はすぐに剣を構えた。私も新しい剣の感触を確かめながら、彼に向き直る。やはり、この剣は信じられないほど使いやすい。


 ――カーンッ!


 激しい打ち合いが始まった。しかし、今日のクロードの剣撃は、いつもよりずっと熱を帯びていた。

 昨日、他の騎士たちと手合わせをしたことに対する怒り――いや、苛立ちのようなものが剣に乗って伝わってくる。


「踏み込みが遅い!」

「っ、旦那様の方こそ、大振りすぎますわよ!」


 負けじと打ち返しながら、私は彼の瞳を真っ直ぐに見据えた。アメジストの瞳が、至近距離で私を捉えている。その視線の熱さに、思わず息が詰まりそうになる。

 政略結婚の冷え切った関係。お飾り妻。

 そんな言葉は、二人の間で火花を散らす剣戟の中には存在しなかった。ただ純粋に、互いの力量を認め合い、全力でぶつかり合っている。


(どうして……どうしてあなたは、そんな目で私を見るの?)


 嫌っているはずの私を、どうしてそんなに真っ直ぐに見つめるのか。疑問は尽きないが、今は目の前の剣に集中するしかなかった。


 ◆


 その日の夕食後。

 私は食後の紅茶を楽しむため、いつものように図書室へと足を運んだ。

 本棚の間を歩きながら、次は何を読もうかと物色していると、奥の閲覧席から微かな物音が聞こえてきた。


 そちらへ向かうと、高い背もたれの革張りソファに、クロードが深く腰掛けているのが見えた。膝の上に分厚い革表紙の本を開いたまま、彼は静かに寝息を立てている。


「……珍しい。旦那様がこんなところで寝入ってしまうなんて」


 領地経営の仕事と、騎士団の訓練。そして毎朝の私との手合わせ。鉄人に見える彼でも、さすがに疲労が溜まっていたのだろう。寝顔を見るのは初めてだった。

 起きている時の険しい表情が嘘のように、その寝顔は幼さすら残しており、穏やかだった。十数年前、私に負けて大泣きしていた少年の面影が、そこには確かにあった。


(本当は、あなたはどんな人なの?)


 気づけば、私は彼に近づき、そっとその寝顔を覗き込んでいた。長いまつ毛。高い鼻梁。

 美しい顔立ちに見惚れていると、不意に、彼の膝からずり落ちそうになっていた本が目に留まる。


「……え?」


 その本のタイトルを見て、私は思わず声を漏らしそうになった。


『辺境に咲く一輪の薔薇~不器用な騎士の密かな恋~』


 ごつい革表紙でカモフラージュされていたが、中身は間違いなく、王都の令嬢たちの間で流行している、激甘な恋愛小説ではないか。

 しかも、よく見ればページの端が何箇所も折られ、「花束を贈るタイミング」や「気の強い令嬢へのアプローチ方法」といった箇所に、几帳面な字でアンダーラインまで引かれている。


(待って。クロード様が、これを……? 裏で恋愛指南書を読み漁っている?)


 混乱で頭が真っ白になった。

 しかも、この本のヒロインは『剣を嗜む気の強い令嬢』という設定だ。


 その時、クロードの長いまつ毛が震え、ゆっくりと瞳が開かれた。寝起きのぼんやりとしたアメジストの瞳が、至近距離にいる私を捉える。


「……エレノア?」


 寝起きの掠れた低い声で名を呼ばれ、私の心臓が信じられないほどの速さで高鳴り始めた。


「あ、あの、旦那様が寝ていらしたので、その……風邪を引かれるかと」


 慌てて取り繕おうとしたが、クロードの視線が自分の膝の上、つまり私に見られてしまった恋愛小説へと落ちた瞬間。彼の顔から、スッと血の気が引くのが分かった。


「っ……!!」


 バタンッ! とものすごい勢いで本を閉じ、クロードは弾かれたように立ち上がった。その顔は、耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染まっている。


「こ、これは違う! アレクの奴が忘れていった本を、たまたま、少し確認しただけで……っ!」


 しどろもどろになりながら弁明する姿は、威厳ある辺境伯のそれとは程遠い。私は驚きのあまり、言葉を失って彼を見つめ返していた。


(どうして、そんなに慌てているの? まるで、好きな人に秘密のラブレターを見られた少年みたいに……)


 ドクン、ドクンと、自分の脈打つ音がうるさいほどに耳に響く。もしかして。もしかして、あの初夜の宣言は、本当は……。


「……忘れてくれ」


 クロードは本を小脇に抱えると、逃げるように足早に図書室から出て行ってしまった。

 残された私は、冷え切ったはずの結婚生活の中で、思いもよらない「熱」に触れてしまったことに、ただ一人、呆然と立ち尽くしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ