第二十二話『劉表死す、それぞれの道』
建安十三年(208年)秋。この広大な、天下の要衝である荊州を長年治めてきた牧、劉表が、ついに、病のためにその七十余年の生涯を閉じた。その死は、これまで彼のカリスマと権威によってかろうじて保たれてきた荊州の微妙な均衡を、まるで張り詰めた糸が切れるかのように、一気に崩壊させる引き金となった。
劉表の息を引き取るのを、まるで待ち構えていたかのように、後継者争いを画策していた蔡瑁・張允ら、蔡夫人一派は、その日、冷徹なまでの素早さで行動を起こした。彼らは、劉表の遺言を「後継者には、温厚だが病弱な長男・劉琦ではなく、蔡夫人の子である次男の劉琮殿を指名する」と都合よく偽造し、父の死を悲しむ間もなく、劉琮を後継者として擁立することを電光石火で発表した。長男である劉琦とその支持者たちには、劉表の棺に近づくことさえ許さず、一切の異論を挟む隙を与えぬ、圧倒的な力をもって荊州の中心地である襄陽の実権を、完全に掌握してしまったのである。さらに、蔡瑁らは、己の保身と権力維持のため、北から破竹の勢いで迫りつつある曹操の大軍に対し、劉表の弔いの混乱に乗じて、早々に降伏の意を示すことを決定。荊州を戦わずして曹操に明け渡すことで、自らの地位と富を保全しようと図ったのであった。
一方、遠く江夏に駐屯していた父の死と、蔡瑁らの裏切りを知った劉琦は、襄陽に戻ることも叶わず、孤立無援となり、自身の身にも危険が及ぶことを悟った。彼は、わずかな手勢と共に、長江を下り、辛うじて江夏へと逃れ、そこで、父の客将であった黄祖を頼り、悲しみに暮れながら、自立の道を模索することとなる。
そして、荊州北部の新野という小さな城にいた劉備玄徳は、まさに四面楚歌、絶体絶命の窮地に立たされていた。北からは、もはや数日の距離にまで迫った曹操の大軍が殺到し、南の襄陽は、自分を敵視する蔡瑁らが押さえ、退路を断たれている。進むも退くも、死地に踏み込む茨の道であった。
劉備が三顧の礼をもって迎え入れた若き軍師、諸葛亮孔明は、劉表の死と荊州の激変、そして曹操の南下を知るや、直ちに劉備に進言した。
「我が君! もはや新野に留まるべきではございませぬ! 迅速に、南の江陵を目指すべきです! 江陵は、荊州の重要な軍事拠点であり、劉表様が備蓄した兵糧や武器が豊富にございます。これを手に入れれば、曹操に対抗する足がかりとなります!」
それは、劉備軍という弱小勢力が、この危機において生き延び、天下を分かつための、唯一にして最善の策であった。劉備は、諸葛亮の進言を受け入れ、新野城を放棄し、南への撤退を開始した。しかし、劉備軍が撤退を開始すると、彼を慕う新野や樊城の民衆が、老人から子供まで、大挙して、「玄徳様、玄徳様! 我らもお供させてくだされ! 我らを見捨てないでくだされ!」と、劉備軍の後を追ってきたのである。その数、実に十数万とも言われた。彼らは、劉備だけが、この乱世で自分たちを救ってくれると信じていたのだ。
劉備は、劉琦の悲痛な訴えも、諸葛亮の現実的な戦略も、そして自らの命の危険も顧みず、民衆を見捨てることができなかった。血の繋がった家族ではない。しかし、彼らは、劉備が仁徳をもって治めてきた民である。彼らを見捨てて、どうして天下に仁義を説けようか! 乱世を憂う劉備にとって、民心を得ることこそが、何よりも大切な宝であった。彼は、民衆を自らの盾とし、ゆっくりとした、亀のようなペースで南下を続けることを決意した。それは、仁徳の人・劉備らしい、しかし同時に、曹操軍の圧倒的な追撃を受ける危険性を格段に高める、あまりにも無謀な決断であった。関羽、張飛、趙雲らは、歯噛みしつつも、必死に民衆を守りながら、遅々として進まぬ苦難の撤退行を続けた。荷車は遅れ、病人が倒れ、飢えた子供が泣き叫ぶ。諸葛亮は、その光景に、劉備の計り知れない「徳」の力の大きさを改めて感じつつも、同時に、その「徳」がもたらす、あまりにも大きな戦略的な不利益に、内心歯噛みするしかなかった。
同じ頃、荊州南部の零陵郡辺境に拠点を構える勝頼・陳宮、法正軍の元にも、陳宮が張り巡らせた情報網を通じて、劉表の死と、その後の荊州の激変が、詳細かつ正確に伝えられていた。拠点である和城では、緊迫した空気の中、直ちに軍議が開かれた。
「劉表死し…長男・劉琦は江夏へ…次男・劉琮は蔡瑁らに擁立され…そして…そして…劉備殿は、民を連れて…南へ…苦難の撤退中…か…」
陳宮が、集まった大量の情報をもとに、冷静に、しかし声に僅かな動揺を含ませながら状況を分析する。
法正が、待ちきれないとばかりに、鋭い口調で続けた。
「これは…我らにとっても…千載一遇の好機となります! 曹操が荊州北部を制圧し、江陵を手中に収める前に、我らは南から、最も迅速に北上し、荊州中部の要地を奪取すべきです! 江陵を押さえれば、天下三分の計…いや、我が君ならば、四分五裂の計も夢ではありませぬぞ!」
彼の目は、乱世を動かそうとする、野心的な光に輝いていた。
陳宮も、基本的には法正の意見に賛成であった。
「うむ…法正殿の言う通り。曹操が荊州全土を手中に収めれば、次は必ずや我らに矛先を向けてくる。それを座して待つのは愚策。劉備殿が民を連れて苦境にある今こそ…彼らに手を差し伸べ…恩を売ると同時に…彼らと共に曹操に対抗する態勢を…築くのが…最も理に適っておりますな…」
陳宮は、劉備が民を連れて苦難の撤退を行っているという情報に、複雑な思いを抱きつつも、戦略的な判断を下した。
「ただし…劉備殿と同盟を結べば…曹操という強大な敵を…この弱小な我らが…正面から受け止めねばならなくなる…その…覚悟は…必要です…」
陳宮は、勝頼に、覚悟を問うように語りかけた。
勝頼は、二人の軍師の言葉を、静かに、しかし全身で聞き入っていた。劉琦の悲痛な訴え。劉備の苦境と、民を見捨てぬ「仁」。そして、曹操という、故郷を滅亡に追いやった信長と同じ、冷徹な覇道の脅威。彼の心の中で、これらの要素が複雑に、そして激しく交錯し、一つの確固たる答えへと収束していった。
そして、ゆっくりと、しかし確かな重みをもって口を開いた。
「わしは…わしは…故郷で…民を…見捨ててはならぬと…学んだ…劉備殿の…行動は…無謀かもしれぬが…その『仁』は…まこと…見上げたものだ…わしは…そのような人物と…できれば…無益な争いをすることは…本意ではない…」
勝頼の声には、かすかな悲しみと、しかし揺るぎない決意が宿っていた。
「そして…曹操の…容赦ない覇道は…いずれ…いずれ我らをも…飲み込むであろう…ならば…道は…道は一つじゃ…」
勝頼は、立ち上がると、遠い北の空を見据えた。
「劉備殿に…手を差し伸べ…共に…共に曹操と戦う! それが…我らが…我ら武田勝頼が進むべき道じゃ! 陳宮、法正、この策、進めい!」
その声には、もはやかつてのような迷いは微塵もなく、異郷の地で、数々の苦難と葛藤を乗り越えた、真の指導者としての確固たる意志が宿っていた。彼は、自らの「仁」の理念と、乱世を生き抜くための戦略を、この決断の中で完全に一致させたのである。
張遼も、勝頼の言葉に感銘を受け、力強く頷いた。
「御意! 御館様の御決断…それがしらも…異存はございませぬ!」
勝頼は、直ちに劉備へ使者を送ることを決定した。最も信頼できる、そして劉備軍との接触に最も適した配下の一人を選び(おそらくは、かつて夫人たちを送り届けた元黄巾賊の男であろう)、陳宮と法正が共同で作成した、丁寧かつ誠意のこもった書状を持たせた。その書状には、劉備への敬意、下邳での恩義への言及、そして、彼が抱える苦境への深い同情、そして最も重要な、彼と武田軍が「共に曹操の南下を阻まん」という、明確な同盟の申し出、そして乱世にあって「漢室のため、天下の民のために力を合わせよう」という、勝頼が掲げる大義が記されていた。
使者は、曹操軍の厳重な警戒網と、苦難の撤退行を続ける劉備一行の苦境を、馬を飛ばして追い、必死に劉備の元へと急がせた。果たして、絶体絶命の危機にある劉備は、この異邦の将からの、あまりにも思いがけない、そしてあまりにも心強い申し出を、どう受け止めるのであろうか。そして、江東にいる若き主君、孫権仲謀は、この荊州の激変に対し、いかなる決断を下すのか。天下の趨勢を決定づける、赤壁の戦いへと繋がる、運命の歯車が、今、大きく、そして加速度的に回り始めたのであった。嵐は、すぐそこまで来ていた。




