第二十話『曹操の警戒、劉備の関心』
荊州南部の辺境に、武田勝頼・陳宮の軍勢が、ささやかながらも確かな拠点を築き、賊徒や小豪族との最初の試練を乗り越え、徐々にその勢力を拡大し始めている――。砦は日ごとに堅固になり、訓練された兵士たちの隊列は規律正しく、周辺の民は重税から解放され、荒れ地だった田畑には鍬が入るようになった。そして、法正のような有能な知恵者までをも加えたその新興勢力は、もはや単なる辺境の騒動として片付けられるものではなくなっていた。その噂は、人づてに、あるいは陳宮が密かに放った間者たちの情報に乗って中原を駆け巡り、許都で天下を窺う曹操、そして荊州の劉表の下に身を寄せ、雌伏の時を過ごす劉備の耳にも、無視できない情報として詳しく届くようになっていた。
許都の広大な丞相府。曹操は、知性に満ちた配下の謀臣たち、荀彧、郭嘉、程昱、荀攸らを集め、この荊南に現れた、謎めいた新興勢力について軍議を開いていた。
「報告によれば、例の東瀛の武将・武田勝頼、荊州南部にて旗揚げし、わずか数ヶ月で周辺の賊徒や小豪族を力と『仁』をもってまとめ上げ、さらには法正孝直までもがその幕下に加わった由。その軍律は驚くほど厳しく、民政にも力を入れ、徐々に人心を得つつあるとか。特に、東瀛の独自の築城術と、風林火山と名乗る部隊の連携戦術は、これまでの戦い方とは異なる、侮れぬものと報告されております」
情報をもたらしたのは、曹操が下邳陥落後に荊州へ潜入させていた、周到な密偵の報告であった。
「ふむ…」
曹操は、顎鬚を捻りながら、深い思案顔である。玉座の傍らには、広大な中原の地図が広げられている。
「東夷の将と、呂布に見捨てられた軍師、そして流れ者ども…かつては寄せ集めに過ぎぬと侮っていたが…」
曹操は、地図上の荊州南部に指を置いた。
「法正まで加わったとなれば、話は別だ。あの男は、劉璋のような暗愚な主君には見切りをつけるが、器量のある者には躊躇なく仕える。勝頼という男に、彼が価値を見出したということだ」
郭嘉が、静かに扇子を動かしながら進み出る。
「丞相の仰せの通り。荊州は天下の要衝にございます。劉表が健在なうちはまだしも、彼が亡き後、この勝頼・陳宮軍が力をつければ、必ずや我らが南進、あるいは江東の孫権を攻める際の妨げとなりましょう。ましてや、彼らが劉備や孫権と結ぶようなことがあれば、我らは背後を脅かされることになります」
荀彧もまた、真剣な顔で頷く。「郭嘉の言う通りです。荊州南部の蛮族どもまで手なづけ、独自の戦力としつつあるとの報も入っております。彼らの独自の文化と戦術は、我々にとって未知数。今のうちに、何らかの手を打っておくべきかと存じます」
程昱が付け加える。「しかし、彼らの拠点は辺境とはいえ険しい山中にあり、容易に攻め滅ぼせる相手ではなさそうです。下手に大軍を動かせば、北の袁紹(あるいは、その残党)に隙を見せることになりかねません」
曹操は、謀臣たちの意見を注意深く聞き終えると、ゆっくりと首を横に振った。
「うむ。皆の懸念は理解する。しかし、まだ時期尚早よ。今の我らの最大の敵は、河北を抑える袁紹、あるいはその残党。まずは、北方を完全に平定し、後顧の憂いを断つのが先決じゃ」
曹操は、地図上の北方を指し示した。
「荊南の勝頼については、引き続き密偵を放ち、その動向を厳しく、そして周到に監視せよ。陳宮、法正の動き、そして勝頼という男の真意を探るのだ。下手に刺激して、劉備や孫権と結ばせるような愚は避けねばならぬ」
曹操は、勝頼・陳宮軍を、今はまだ直接的な脅威ではないが、将来的に警戒すべき潜在的な脅威と認め、まずは北方問題の解決を優先する、という冷徹で合理的な判断を下したのであった。
一方、荊州北部、劉表から与えられた新野という小さな城にあって、再起の機会を待ち、ひたすらに民に寄り添い、力を蓄える劉備玄徳。彼もまた、勝頼たちの動向に、曹操とは異なる種類の、深い関心を寄せていた。それは、単なる警戒心だけではない。かつて、下邳で呂布に敗れ、家族まで人質に取られた際、異邦の将である勝頼が危険を顧みず、自らの夫人たちを保護し、後に無事、彼の元へ送り届けてくれたという、文字通り命を救われたに等しい恩義が、彼の胸には深く、そして温かく刻まれていたからだ。
(あの武田殿…あの時の恩人か…今や荊南で旗揚げし、民に慕われ、仁政を布いておるとか…)
劉備は、質素な自室で、関羽、張飛ら義兄弟とそのことについて語り合った。
「兄者! あの男、確かに関羽兄も認める義の人であったが、元はあの呂布に仕えていた輩! またいつ裏切らぬとも限りませぬぞ! 油断はなりませぬ!」
張飛は、呂布への憎しみと、故郷を奪われた悔しさから、警戒心を隠さず、粗暴な声で言った。
「翼徳の言うことも一理ある。しかし、翼徳よ。人は変わるものだ。そして、武田殿が下邳で示した『仁』の旗は、あの惨状にあっても揺るがなかった。偽りではあるまい。夫人たちを丁重に扱い、こうして無事に我らの元へ送り届けてくれたことからも、それは明らかであろう。彼が掲げる『仁義』は、真実のものと感じる」
関羽は、美髯を撫でながら、静かに、しかし確信を持ってそう言った。無事帰還した夫人たちから、勝頼の人となり、特にその民や弱き者への深い思いやりについて詳しく聞かされていたのである。
劉備は、義兄弟の言葉に深く頷いた。彼の心には、勝頼への恩義と、彼の掲げる「仁」への共感が交錯していた。
「うむ。関羽の言う通りかもしれぬ。武田殿は、我らにとって、敵となるか、味方となるか…あるいは、この乱世において、全く新しい道を開く者となるか…まだ分からぬ。だが、少なくとも、曹操や呂布のような、私利私欲のために民を苦しめる者では決してなさそうだ。むしろ…我らの道に通じるものを…感じる…」
劉備は、遠い荊南の空を見上げ、いつか勝頼と直接会い、じっくりと語り合ってみたいという思いを、密かに、しかし強く抱き始めていた。それは、同じ「仁」を志す者として、互いの思いを確かめ合いたいという願いであった。やがて彼の軍師となる、隆中の臥龍・諸葛亮もまた、この荊南の新興勢力の存在を、天下三分の計という壮大な構想を練る上で、無視できない要素として、静かに、しかし厳しく捉え始めていたであろう。
しかし、この勝頼・陳宮軍の、静かながらも着実な台頭を、最も快く思っていなかったのは、荊州の現在の支配者である劉表であった。老齢と病に蝕まれ、己の死期が近いことを悟り始めていた(陳宮の情報網によって、その健康状態に関する情報も勝頼軍に届いていた)彼は、自らの領内に、独自の理念と力を持つ独立した勢力が生まれることを、何よりも恐れ、決して許そうとはしなかった。
劉表は、腹心である蔡瑁や張允らに命じ、勝頼軍に対する圧力を様々な形で強め始めた。表向きは穏やかな態度を取りながらも、領境付近で挑発的な大規模軍事演習を行ったり、勝頼軍が周辺の村々と行う交易を厳しく制限したり、あるいは、劉表陣営の息のかかった者たちを使って、勝頼軍に関する流言飛語(「異邦人は信用できない」「蛮族を唆して暴動を起こさせるつもりだ」など)を流して評判を落とそうとしたり…と、陰湿で多岐にわたる牽制を繰り返したのである。それは、まだ力の弱い勝頼軍にとって、無視できない、しかし正面から戦うには危険すぎる圧力であった。
勝頼と陳宮、そして法正は、劉表側のこれらの動きに対し、持ち前の知略と周到さをもって、細心の注意を払いながら対処していた。劉表の力が弱まり、後継者争いが始まるであろう、その時を待つため、正面からの衝突は、まだ時期尚早と判断し、可能な限り避ける。しかし、譲れない一線(例えば、劉表軍が勝頼軍の領土に侵入した場合など)は、断固として守り抜く姿勢を示した。陳宮と法正は、巧みな外交術(時には、劉表配下の実力者へ、勝頼軍の僅かながらも貴重な財を賄賂として送ることも厭わなかった)と、正確な情報分析に基づいた的確な対応で、劉表側の干渉を巧みにかわしていった。また、もし劉表軍が小規模な軍事行動を起こしてきた場合には、張遼率いる、厳しく訓練された精鋭部隊が迅速に出動し、相手に手痛い反撃を与えて、それ以上の深入りを躊躇させた。
彼らは、今は耐え忍び、力を蓄える時であることを、誰よりもよく理解していた。劉表の死期が近いという情報に基づき、その後の荊州の混乱を最大の好機と捉え、着々と内政を固め、軍備を整えることに専念していたのである。
武田勝頼・陳宮率いる新興勢力は、この荊州の地で、中原の主要な勢力から、警戒と、そして劉備のような一部の人間からは関心をもって見られる、無視できない存在へと着実に成長していた。彼らは、曹操、劉備、劉表といった、複雑に絡み合う力関係の中で、虎視眈々と、次なる飛躍、天下への第一歩を踏み出す時を待っていた。荊州を舞台とした、新たな、そして激しい人物や勢力の駆け引きの幕は、静かに、しかし確実に上がろうとしていたのである。




