クエスト79 重要ソロイベント#2
6月某日、その日は梅雨時と言うにはあまりにも天候が良い日であった。
顔にかかる日差しは夏のように強く、うだるような暑さ――とまではいかないが、立っているだけで体力が持ってかれる程度には熱い。
そんな絶好のお出かけ日和の中、駅前の広場には一人の少女が立っていた。
その少女は全体的に白い恰好をし、半袖があるワンピースといった感じに近い。
それでいて、ひまわり畑が似合いそうな麦わら帽子に近い帽子を被り、小物入れを両手に下げて立ち尽くす。
その彼女の小さく、それでいて犯しがたい容姿は周囲の目を引いた。
それこそ、相手は老若男女を問わず、あまりにも純白であるために近づきがたい雰囲気すらある。
そんな中でただ一人の青年が、まるで自分が通る道と言わんばかりに近づくと、
「や、お待たせ。待たせちゃったかな?」
「いえ、私が早く来すぎてしまっただけなので」
「そっか。それなら、良かった」
少女に対して人当たりの良い笑顔を振りまく青年――日坂翔は「ふぅ」と安堵の息を吐く。
そんな彼の姿を見ながら未だ緊張したような体の強張りが抜けないのが――大撫天子である。
今日、天子が翔と待ち合わせしているのはデートのためである。
もちろん、天子にはその意識はあまりないが、男女が二人で遊びに行けば客観的にデートと称されるだろう。
とはいえ、いくら対人経験の少ない天子でもそう簡単に二人でデートは行わない。
それこそ、天子の性格的には安心材料となる誰か必要であり、それを通してから初めて二人で遊びに行く――という選択肢が生まれる。
にもかかわらず、天子がいきなり思い切った選択をしたのは、ひとえに先日の幸からの助言があったからだ。
幸に敬のことに相談した時に「考えるの止めよう」と言われたが、その言葉には続きがあり――、
『それでも考えなきゃ納得できないだったり、どうしても考えてしまうということでしたら、身近な人と比べたらいいと思いますよ。
その人に対して自分はどういう感情を抱いているのか......もしかしたら見えるかもしれません』
という助言を最後に貰っていたのだ。
その案を踏まえて、現在天子は思い切って翔とのデートを行うことに決めた。
もっとも、それでわかったらいい程度で、天子自身あまり期待していないが。
「それで今日は水族館へ行くんでしたよね?」
「そうだね。この通り、ちゃんとチケットも持ってるから」
そう言って翔はショルダーバッグから一つの封筒を取り出し、そこにある二枚のチケットを見せる。
そのチケットを見て天子は申し訳なさそうに眉を寄せ、
「あの、本当に良かったんですか?
私、そのチケットに関しては一千も出していませんが」
「いいのいいの。俺から誘ったんだし。これぐらいカッコつけさせてよ」
天子の言葉に対し、翔はニカッと笑って答える。
水族館のチケットはそれなりに高かったはず、それを気前よく出してくれるのは男らしい。
しかし、天子の精神としてはやや申し訳なさが立つというべきか。
(でも、敬さんもこれぐらいやりそうですね)
仮に、今の相手が敬だとすれば、翔と同じようなことは思想である。
そして、きっと冗談めかしてこういう『君が楽しんでくれるならおつりが来るさ』と――、
「それじゃ、間に合わなくなると困るし、そろそろ移動しよっか」
「あ、はい......」
敬の近くに居すぎたためか、当たり前のように飛んでくる軽口が無くて少し物足りない気がする。
いや、考えてみれば、敬がだいぶおかしいだけで、翔みたいなのが普通といえるだろう。
そう思い直せば、すぐに頭を振ってその考えを拭った。
それから先導していく翔の横へ足早に移動し、横並びになって進んでいく。
「わぁ、混んでるねぇ.....」
「ですね.....」
駅のホームに辿り着き、到着した電車を見て翔と天子はそう呟く。
開かれた電車のドア、そこには多くの乗客でひしめき合っていた。
休日の土日という理由もあるだろうが、それにしては人の数があまりにも多い気がする。
そんな乗客の服装を見ていると、どことなく服だったり、小物だったりに統一感があるような気がしなくもない。
「なんかイベントとかあるんですかね.....」
「イベントか......そういや、隣街のドームでライブがあるとかそんなこと聞いたことあるかも。
友達がそう言ってたから、多分それだと思う」
「なるほど......これは乗るのが大変ですね」
「そうだね。でも、入らなきゃ間に合わないからいこっか」
そう言って先に電車の中にあり、大きな体を隙間に入れて一人分のスペースを開けた。
そのスペースは一人分というには足場一つの狭さしかなかったが、それでも天子のサイズで入る分にはギリギリといった感じで、
「し、失礼します」
その隙間に体を入れ、小物を両手で抱えながら、翔と向き合う感じで立つ。
瞬間、天子の背中に圧力がかかり、そのまま顔が目の前の壁に当たった。
そこからは僅かな汗のニオイと、それを覆うような柔軟剤の香りが漂い、
「ごめん、ドアが挟まるかと思ってね」
頭の上から響く翔の声、それでおおよその状況把握が出来た。
どうやら、自分は今翔によって背中に腕を回されてるような感じらしい。
満員電車で相手と密着しないというのはほぼ不可能なので、仕方ない状況と言える。
そんな親切にしてもらったにもかかわらず、天子の心は一瞬のビックリとしたドキッはあったものの、なぜかそれ以上の感覚はしなかった。
異性との接触、それも翔はイケメンと言われる存在だ。
確かに、ビジュアルのみで言えば、敬よりも軍配があがるかもしれない。
しかし、それはあくまで客観的な意見であり、天子補正を含めれば違う。
敬の場合は、それこそ密着せずとも異様に胸がドキドキすることがあった。
その度に、冗談めかして躱されていたりして、そのことに大きくショックを受けて。
それこそ、ここまで異性と密着したのは、敬に助けられた林間学校以来だろう。
その時より自分の心は成長して、相手のことを考えられるようになったのに。
いや、なったからこそこのような変化を感じ取れるようになったのか。
これがもし敬だとすれば、どういう反応をしただろうか。
相変わらずのポーカーフェイスか、時折見せる手の甲で口を隠す仕草か。
「大丈夫? 苦しくない?」
「あ、はい.....大丈夫です」
顔を上げられるギリギリの覚悟で、天子は翔の顔を見ながら答える。
もっとも、それでも見えたのは顔というよりほぼあごであったが。
(それにしても、いつまで背中を触っているんででしょうか.....)
不思議と感情の揺らぎが少なく、それでいて疑問を抱えたまま天子は電車に揺られる。
そんな時間がしばらく続き、十数分後に天子達は水族館に辿り着いた。
「なんとかつきましたね」
「そうだね。本当になんとかって感じで。
なんかごめんね、ずっと抱きしめるような感じになっちゃって。
状況が状況だけに.....でも不可抗力だから」
「はい、わかってますよ。人が凄かったですからね」
「......そうだね」
そう返答した瞬間、一瞬翔から妙な視線を送られた気がした天子。
先程まで笑っていたはずなのに、その一瞬だけまるで温度が違った。
それこそ、敬が時折自分に送ってくる視線と同じだ。
もっとも、その視線の質感というべきものは全然違ったが。
少しねっとりしたものを感じ、心の中で僅かな不快感を覚える。
しかし、それを決して顔には出さず、先行する翔についていった。
(水族館なんていつぶりでしょうか......)
水族館の入場口を抜け、視界いっぱいに広がる空間に天子はそんな感想を浮かべた。
自分の記憶にある限りだと小学校の時だろうか。
自由研究のために水族館に訪れたことがあり、もはや勉強そっちの気で見てた気がする。
その中で特に好きだったのは――、
「凄い人の数だね。こんなんじゃ見てるうちに迷子になりそうだ。
ってことで、もし良かったらだけど......手、繋いでみない?」
「え?」
ぼんやりと大きな水槽を自由に泳ぐ多種多様な魚達を眺めていると、不意に翔がそんなことを言って天子の目の前にそっと手を差し出した。
そんな唐突な問いかけに、天子は翔の顔と差し出された手を交互に見る。
それからもう一度ゆっくりと翔の顔を見ると、翔は苦笑い絵を浮かべ、
「もちろん、天子ちゃんが嫌じゃなかったらだけど」
「私は......」
そんな提案に対し、本来考えるべきは「はい」か「いいえ」だ。
しかし、天子が瞬時に考えたのはそんな選択肢ではなく、
(敬さんだったら絶対に言わないだろうなぁ)
――であった。
どうしてもと言うべきか、やはりというべきか考えることを止められない。
気がつけば心の傍らに敬の存在があり、彼の行動と比較してしまう。
むしろ、彼の場合はこちらから動いたとしても逃げるだろう。
だからこそ、逃げられなくなった時が少し見てみたいというか。
その時もポーカーフェイスなのか、それとも何かリアクションがあるのか......気になる。
「天子ちゃん?」
「あ、はい......いいえ、大丈夫です。
確かに、迷子になりやすい背丈ですが、周りは見てますので」
「.....そっか」
天子の返事を聞き、翔は照れ臭そうに手を引っ込めた。
それから天子と顔を合わせるのが気まずそうに、視線を水槽の方へ向ける。
そんな翔の動きを少しだけ目で追い、天子も改めて水槽の方へ顔を向けた。
水槽を優雅に泳ぐ魚、群れで泳ぐ魚、岩場に隠れて泳ぐ魚、存在感を主張する魚。
そんな魚の活き活きと泳ぐ姿を見て、子供のようにはしゃぐ心がある。
「凄い......んだけど――」
しかし、なぜかその心にストッパーがあるような気がしてならないのだ。
理由はわからない。もっと自分の限界値は上のはずなのに、それ以上上がらない。
それは自分の心が問題なのか、それとも相手が問題なのか。
「へぇ、これが『オジサン』か。
名前は聞いたことあったけど、実物は初めて見るなぁ。
ほら、天子ちゃんもこっち見てみなよ」
「これがあの『オジサン』ですか。私も初めて見ました。
中々面白いお顔をしてますね。ヒゲもこんな感じなんですね」
「いいね、こういうのもたまにはじっくり見るのは。
そういえば、あっち側にアクアリウムがあるみたいだよ。
行ってみない? クラゲとかカクレクマノミとかそういうの居るみたいだけど」
「クラゲですか!? 行ってみたいです!
翔に提案された瞬間、「クラゲ」という単語を聞き天子から今日一の声が出る。
そんな天子の一番のはしゃぎっぷりに驚いたのか、翔は僅かに仰け反った。
しかし、すぐに姿勢を正すと、「いこっか」と背を向け、
「――っ!?」
同時に、天子の右手がギュッと掴まれ、まるで駆け出すように連れて行かれる。
翔にとっては早歩き、天子にとっては駆け足みたいな状態で移動すること一分。
最初にいた階層から下に移動した位置にある薄暗い空間には、色鮮やかにライトアップされたアクアリウムが壁にそって続いていた。
また、その通路の中央には円柱型のアクアリウムが等間隔に並び、そこにはキラキラと輝きを放つクラゲがプカプカと浮かんでいる。
「おぉ~、凄いね。綺麗だ。天子ちゃんもそう思わない?」
「え......はい、私もそう思います。
ですが、その前にその......手が――」
「手?......あぁ、ごめん! 握っちゃってたみたい!」
天子の言葉を聞いた瞬間、翔が慌てて握っていた手を離した。
瞬間、天子の僅かに汗ばみに包まれた右手が空気にさらされスーッと冷たくなる。
しかし、それでも握られた感触が無くなることはなく、少しだけ――嫌な感じがした。
そんな天子の目の前で、翔が両手を顔の前に合わせ頭を下げる。
「本当にごめん! なんか今までで一番喜んでたみたいだったから、俺もついはしゃいじゃって。
早く見せてあげたいと急かしちゃったみたい」
「いえ、大丈夫ですよ。
ただ、とりわけ急ぐ用事もありませんから、ゆっくり見て回りませんか?
あ、でも、もし何かご予定があるのでしたら、言っていただけるとありがたいです」
「そっか。ありがとう、許してくれて。天子ちゃんは優しいね」
「そうでしょうか?
ただ、楽しませたいと思ってくれた日坂先輩の気持ちを無下に出来ないと思っただけですよ。
日坂先輩が私を楽しませてくれるのが伝わってきますから」
「そうかな。そう言われるとなんだか恥ずかしいな。
でも、そう言われると悪い気はしないかな。
とりあえず、午後の部にイルカショーを見たいと思ってるから、それで時間を見つつって感じかな」
「わかりました」
「それじゃ、また見て回ろっか」
そう言って少し先を歩く翔。
そんな彼の後ろを、天子は少しだけ固い笑みを浮かべて見つめた。
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