第2話 犯行
今日も今日とて仕事帰りに宝田君のいるスーパーに買い物に来ている。
入店して宝田君の姿を探すために店内を見渡すが見つけられていない。
店長であるが、いつでもいるというわけではないだろうから、寂しいが仕方がない。
宝田君に会えないということが分かれば長居をする必要もなく、適当に買い物して帰ることにする。
カゴにいくつかの食材を入れて会計に並びつつ財布をカバンから出し、中を確認した。
「……あっ……」
私はレジ列から抜け食品売り場に戻った。
給料日前でお金がなかった。
カゴからいくつかの食品を戻せばいい話だ。
「きょ、今日は……」
優香が部活動で成績を収めたお祝いに、豪華にしたかったのだ。
私の心の奥底の黒い魔の手が、私の手を勝手に動かす。
周囲を軽く見渡した後、商品を何事もなかったかのように自分のカバンに入れてしまった。
「……何してんだろう、私……」
一気に胃の奥から苦いものが湧いてきた。
罪悪感が体中に急速に襲う。
そのとき、私は後ろから肩を強めに掴まれた。
「ちょっと、お姉さん」
声の方を振り返ると、高校生ぐらいの男性店員がいた。
見つかってしまった。
——————
私は彼に連れられて店の事務所のパイプ椅子に座っている。
事務所はエアコンが効いておらずに少し寒い。
彼は部屋の隅っこで上司に連絡しているようだ。
普通に買い物をしていれば決して入ることのないこの場所にいることが、私は犯罪を犯してしまったことを理解させる。
キョロキョロと辺りを見渡すと万引き防止のポスターも貼ってあり、私が今後どうなるか、自分が蒔いた種とはいえ、緊張が走り続けている。
高校生の彼が電話を切ると机を挟んで向かいのパイプ椅子に座り、スマホを横にした。
「あ、あの……」
「お姉さん、ちょい待ってて。俺、ただの隙間バイトだからどうしていいか分からんからさ」
「は、はい……」
「数十分で社員さん来るらしいよ。俺は動画見てるから好きに過ごしてて。この事務所暖房壊れてて寒いけど」
「……はい……」
スマホに視線を向けている彼は少しだけ私の方を見た。
「まぁ、いろいろあるよね、お姉さん」
「……君から見たらもう、おばさんに近いんじゃないかな? 私、君と同じくらいの息子や娘がいるのよ」
「いやいや、俺の母ちゃんもう五〇だよ。それに比べたらお姉さんでしょ」
「そう……なんだ」
肉体的には十分成熟し、既に老化が始まっていることは否定できない。
それでも数字として、私はまだ若いのかもしれない。
でも、精神的には子供だったのかもしれない。
お姉さんなんて上品な言葉ではなく私はただのガキである。
「ねぇ、肉食いたかったの? 物価高いからね。少し買い物したら一万円なんてすぐ飛ぶっしょ?」
彼は机の上に置かれた私のカバンと肉を一瞥した。
私がカバンに入れたのは肉である。
「……うん。まぁ。そうだね。お肉高いね……」
私がそう言うと彼はスマホを閉じてポケットに入れた。
そして私の方を向いて見つめてきた。
「でも、やっちゃダメなことはダメだと思うよ」
「……うん」
高校生でも、小学生でも分かるようなことである。
彼にそう言われてただただ、恥ずかしい。
「母ちゃんがもし盗みをしたって知ったら、俺泣くわ」
その時初めて、優香と巧海の顔が浮かんだ。
自分の母親が万引きをしたと聞いたらどう思うだろうか。
自分の子供と同じくらいの彼に子供たちのことを気づかされたのだ。
私は彼の言葉にただ下を向くことしかできない。
「そう……だよね。自分の母親が盗みなんて、嫌よね……」
「ま、お姉さんの子供がどう思うかは知らんけど」
そのとき扉が数回叩かれその後開いた。
下を向いているから分からないが、この店の責任者が帰ってきたのだろう。
「今戻りました。万引き犯がいるって聞いたけど……」
分かってはいたけど、この声の主を私は知っている。
こんな姿見られたくなかった。
「あ、このお姉さんです」
しかし、私が自分で蒔いた種である。
声の主の方にゆっくりと顔を上げた。
「……と、とがわ……さん……」
「……た、たから……だくん……」
宝田君の悲しそうな目を見ると私の愚かさが嫌になる。
◇◇◇
高校生バイトの彼は立ち上がり、出口の方に向かった。
「そんじゃ、俺助っ人終了の時間なんで。じゃお姉さんも人生やり直せるから。ガンバ」
目の前の席が空席となった。
そこに宝田君が静かに腰を掛けると、私の顔を見ている。
顔を合わせることができず、下を向いてしまった。
「……と、戸川さんがやったんですか?」
震える声は普段の優しく快活なものとはかけ離れている。
私は静かに頷くことしかできなかった。
「本当……なんですか?」
「うん……私がやったの……」
「戸川さん……なんで、こんなことしたんですか……」
「ご、ごめん……なさい……給料日前で……お金が……」
「今日手持ちなかったんですか? カード払いとかもできなかったんですか?」
「……カードあります……」
顔を上げると宝田君は私が盗んだ商品を手に取った。
冷蔵庫からすでに何十分も出ているし、そもそも盗まれた物だからもう売り物にはならないだろう。
「何をしたか自分で分かっていますか?」
「商品をカバンに入れて……」
「それを何というか分かりますよね」
「……万引きです……」
私は初めて自分のした行為を言葉にした。
私は犯罪者になっていたことを痛感した。
「初めてなんですか? それとも僕が気が付いていないだけですか?」
「初めてです」
「戸川さんのこと、大好きで信頼して、来てくれるのを楽しみにしていたんです」
彼の言葉は本心だと思う。
私に対する彼の想いを聞いて、不謹慎であるが少しだけドキッとした。
しかし、それを私は裏切ったのだ。
「ご、ごめんね……」
「僕はこの店の店長なんですよ」
「はい……」
「幸いにもスーパー始まって以来万引きはなかったんですよ」
その言葉が放たれた後少しの間時計のチクタクという音だけが響くほど静かになった。
しかし、その音は私の体に刺さるほど大きく聞こえた。
「戸川さんが初めての万引き犯になってしまいました」
「……すいません」
「個人経営なんでこういう時のマニュアルとか作ってなかったんですよ」
宝田君はその場を立ち、私のすぐ側に来て、膝を曲げて私の目線に合わせた。
彼の整った顔がとても近い。
「戸川さん」
「はい」
「僕はどうすればいいでしょうか?」
「どうする……って?」
「警察を呼んだほうがいいでしょうか? それとも初めてということで今回は見逃した方がいいのでしょうか?」
「け、けいさ……つ。宝田君、それだけは……」
警察という響きで胃から酸が湧き、心臓も嫌な鼓動を鳴らす。
私は万引きという違法行為をした、ただの犯罪者だ。
警察に引き渡すのも彼の自由である。
それをしないように、必死に乞うことしかできない。
◇◇◇
「僕もこんなことで悩みたくなかったですよ。戸川さんとはこれからも仲良くしたいですけど……」
宝田君の顔からは私を警察に連れて行くか否かで葛藤していることが読み取れた。
「盗んだのはこれだけですか?」
「はい……」
「信じて……いいんですよね?」
その言葉を聞いて、目を擦り、彼と目を合わせた。
「……万引き犯の言葉なんか信用ならないよね……ごめんね、私のせいで。カバンもポケットも全部検めていいよ。上着も脱ぐから。調べていいよ」
「いえ、疑っているわけではないですし、寒いですから」
信用してもらっていたのにもそれを簡単に裏切ったのは私だ。
宝田君はこの店の責任者であり、この店で働くスタッフの生活もある。
商品を一つ盗まれただけのことではないのだ。
私には考えられない額の不利益を被っているのだ。
「通報しないでって乞うてもらっている側として、これ以上信頼を裏切らないためにも確認したほうがいいよ」
「そういうものですか……」
「体も触ってもいいから」
「いや、そこまでは……」
コートを脱いでそれを机の上に置いた。
暖房がないこの部屋で薄着は少々寒いが、この寒さが今の私には心地よい。
「私は……窃盗犯なんだよ。宝田くんの信頼を失った人間の言葉、信用できる?」
「わ……かりました」
彼もきっとこんなことしたくないだろう。
これは警察の仕事だ。
通報を嫌がる私が彼の信頼をひとかけらでも戻すためには、こうやって一つ一つ積み上げ直すしかない。
彼は遠慮しながらコートのポケットを裏返したり、カバンの口を軽く開いて中を見ている。
「別にひっくりかえしていいんだよ。それをする権利、あるよ」
「いや……そこまではできませんし。多分大丈夫です」
彼は私を信じてようとしていることはヒシヒシと伝わっている。
しかし、それを利用しようとした、悪い心が働いた。
ここまで来たら彼は私を警察には突き出さない。
そう考える自分が嫌になる一方で、少しだけ心に余裕が出始める。
「宝田君。ズボンにもポッケあるよ。前と後ろ」
「いや、そこまではいいです」
「そう? 私の事、万引き犯の事、信用してくれるの? そう簡単に信用しない方がいいよ」
「ホント、大丈夫ですから……」
体に触れることを嫌がるのも理解できる。
しかし、私はそれを利用しようとしてるのだ。
私は立ち上がり、彼の近くに行くと、彼の手に触れた。
欲しかったその手に触れることができ心の中では喜んでいる。
彼は少しびくりとしたが、私は気にせずにそのままズボンの前ポケットに入れた。
スボン越しであるが彼の大きな手が太腿に触れていると考えると、さらに多幸感を覚えた。
私は、犯罪を理由に彼に触れ、彼に触れられようとする、悪い人間だ。
◇◇◇
「もう、大丈夫ですから」
「そう?」
彼はすばやくポッケから手を抜いた。
もっと長く、もっと深く触れていて欲しかった思いもあるが、立場が立場であるからあまり深追いはしない。
彼は毅然とした態度かと思いきや、少しだけ顔を赤らめている。
ゴホンと咳ばらいをした彼は、私にコートを掛けてくれた。
目の前の万引き犯にここまでするのは、彼の照れ隠しなのかは分からない。
それでも、宝田君に優しくされて嬉しいのだ。
「二度とやりませんか?」
「はい……」
「戸川さんのこと、信じていいんですよね?」
「はい。もうしません」
こんな風に宝田君と二人きりになれるという幸せな経験をしたが、万引きは重大な違法行為だ。
ダメなことはダメなのだ。
これ以上彼の信頼を失うようなことはしたくない。
「これからもお店に来てくれますか?」
「宝田君が許してくれるなら、また明日もここで買い物します」
「次はないですよ」
「ありがとうございます」
私は心の余裕があったはずが、やはりどこかで不安に思っていたのだろう。
彼の大きな心に強い安堵感を覚え力が抜け、宝田君の胸に寄りかかった。
「まったく、もう」
「うぅ、ごめんなさい……」
自然と目から涙も零れ落ち鼻水も垂れて、きっと顔はボロボロだろう。
私が落ち着くまで彼は嫌がらずに胸を貸してくれた。
――――――
「落ち着きましたか?」
「うん。ごめんね、本当に」
「もういですから、顔上げてください」
彼の言うように顔をあげると、穏やかな顔がそこにあった。
「もうこんな時間ですよ。今日はもう帰って下さい。家で待っている家族がいるんでしょ?」
「うん。そうだね。でも、宝田君に埋め合わせしないと」
そう私が言うと彼は頬を指で掻くしぐさを見せた。
「……じゃあ、戸川さん。明日出かけましょうか」
「えっ?」
「いや~、万引き犯の対処って疲れますね。本当に大変でしたし、勉強になりました」
「ご、ごめんね……」
「いやいや。ちゃんと反省を心に刻んでくれればいいんですよ。埋め合わせとして、明日食事に付き合ってください」
宝田君に食事に誘われた。
デートと勘違いしそうだし、勘違いしているが、彼と私が一緒に出掛けること自体が良しとされるのか疑問に感じた。
「で、でも……私は万引き犯であなたは店長なんだよ。だめでしょ?」
「だからこそ、見逃し料ということで。付き合ってくださいよ。もっと、戸川さんの事信頼したいですし……好き……なんです」
宝田君の口から「好き」という言葉が出た。
これが人としてなのか異性としてなのかは、今日のところは分からないが、そう思ってくれているだけで幸せだ。
だからこそもう二度と信頼を失墜するようなことはできないし、しない。
その証拠に私は小指を彼の前に出した
「う、うん。宝田君。ありがとう。私も好きだよ宝田君。だから約束、もうあなたを裏切ることをしない」
「約束ですよ」
宝田君も小指を出し、指同士を絡ませ、指切りをした。
私は宝田君のことが大好きで、彼のことが欲しい。
でも、私たちは店長と万引き犯という関係だ。
誰にもバレてはいけないし、これ以上信頼を裏切ることも許されない関係。
「明日11時、駅前で待ってます」
「うん」
そして、私と彼は歳の差もある。
早くアタックして私だけの宝にしたい。
明日早速チャンスが来る。
宝田君の優しい心に感謝しつつ、小さな小指と大きな小指が絡み合う指切りを揺らした。




