第1話 私の日々
「お疲れさまでした~」
そう言って事務所を出ると既に外は暗闇に包まれ、街灯だけがポツンと光っていた。
北風がびゅーびゅーと鳴らし、顔に吹き付けると痛みさえも覚えるほどである。
私は中小企業の事務のパートを終え、今日の夕食の買い出しをするために、スーパーマーケットへと向かっている。
「今日は遅くなったし……味付きの肉でも焼こうかな。あの子たちも肉好きだしね」
私、戸川梓紗は中学二年生の息子と高校一年の娘がいる。
高校生の娘は短大卒業後、つまり二十歳のときにに授かった子だ。
当時の私は無鉄砲な恋愛をしていたと、三五歳になってようやっと理解し始めた。
子供達の父親とは価値観の相違から息子が生まれた年に離婚していて、現在はシングルマザーとして日々生きている。
職場から数分歩くと個人経営の小さなスーパーマーケットに到着した。
店内は小さいながらも野菜、魚、肉、調味料など基本的な物は揃っていて、安さが売りである。
片親で食べ盛りの子供たちを抱える私はこの店の安さに惹かれ、愛用している。
そして、もう一つこのスーパーに通う理由がある。
「いらっしゃいませ~」
「こ、こんにちは。宝田君」
「今日もありがとうございます。今日は、豚肉が安いですよ。味もついていますので、焼くだけです」
「そうなんですね。今日は肉にしようと思っていました」
「あはは、そうなんですね。戸川さんは中高生の子供が待っていますもんね」
このような他愛もない世間話をしてくれるこの人は、このスーパーマーケットの若店長である宝田君である。
年齢は二五歳ぐらいで、肌も艶々で背丈が高く、どこに出しても恥ずかしくないイケメンである。
そして、宝田君は優しい。
忙しいはずなのに手を止めて私なんかと会話してくれるし、笑顔を絶やすことなく接客してくれる。
私にはもう恋愛なんて言葉は無縁だと思っていたが、彼を見るとドキドキが止まらなくなる。
私は宝田君に恋しているのだ。
彼から数えると十歳も離れていて、よく買い物に来る近所のおばさんのような感じか。
私もまだ若いとは思うが、彼からそう思われていても仕方がない。
私もどこか自分の心に蓋を閉めて、宝田君を眺めているだけで幸せを感じているし、彼には普通に同年代の子と交際して幸せになったほうがいいはずなのだ。
買物を一通り終え会計を待っていると、宝田君がレジに入った。
もしかしたら、宝田君にレジをしてもらえるという期待感を持った。
「次の方、どうぞ~」
「は、はい。宝田君。お願いね」
やった。
私は心の中では大きく、そして彼に見えないように手では小さく、ガッツポーズをした。
◇◇◇
宝田君は丁寧に商品をレジに打ち込む。
彼の仕事姿を見ていると心のどこかの空白が埋まるような気がした。
「合計で一六二八円です」
「……」
「戸川さん?」
「あっ、うん。ごめんね」
ボーっとしていた私は急いで二千円を出した。
「ごめんね。なんか疲れちゃって」
「そんなことないですよ。戸川さんも休んでくださいね……って言っても休めないですよね。すみません」
「そんなことないよ。宝田君が労ってくれたから、もう元気が戻ったよ」
「それならよかったです」
そう言いながらレシートとお釣りを手渡され、私はそれを受け取る。
その瞬間彼の手に少し触れた。
会計をしてもらうのは初めてではないし、こうして手が不意に触れることもあるが、今日はなんだか一層キュンキュンする。
私の手が宝田君のことを欲しがっている。
「あ、ありがとう。また来るね」
「はい。お待ちしています」
笑顔の彼の顔を見ることができない。
急いでカゴを荷台まで運び、雑にマイバッグに詰めて外に出た。
熱い。
体中が熱くなり、自分が自分でないみたいだ。
宝田君が欲しい。
その後のことはよく覚えていない。
いつの間にか帰宅して、調理して、食事をしていた。
「お母さん、今日の肉焼き過ぎ。真っ黒」
「ご、ごめん……優香」
「炭食ってるみたい。ねぇ、巧海もそう思うっしょ?」
「……」
「反抗期って面倒。巧海の声最近あんまり聞いてないな。まぁ、そんなもんか」
優香がわちゃわちゃ言葉を発しているが今日はあまり耳に入ってこない。
そんなとき、年頃であまり私たち家族とも言葉を交わさなくなっている巧海がボソッと呟いた。
「今日の母さん、なんか、いつもより顔が楽しそう」
「確かに、なんかいいことでもあった? もしかして、男でも見つけたの?」
優香の言葉にドキッとして、それを隠すように肉を口いっぱいに入れ込んだ。
「あっ。図星? ねぇ、巧海。新しいお父さんとか……妹とか弟とかできたらどうしよう?」
「ゆ、優香。そういうのじゃないから……」
「やっぱり男なんだ?」
「うっ……」
私は顔が熱くなるのを感じた。
優香のニタっとした笑顔が好奇心旺盛な高校生であることを理解させた。
そして、優香の隣にいる巧海は箸のペースを落とさずにいるが、どこか物寂しげである。
「……別に、好きにすればいいんじゃね……」
「お母さんを知らない男と赤ちゃんに取られるの寂しいんだ。お姉ちゃんは巧海の味方だからねっ」
優香は巧海の肩をグイっと寄せた。
「やめろよ……」と巧海が言いながらも、拒絶するような感じではなく、二人は本当に仲がよい。
「ふ、二人とも、バカなこと言ってないで、早く食べちゃいなさい」
「お母さんが恥ずかしそうだからこれ以上は聞かないよ~」
普段通りでいたいが、宝田君のことで頭がいっぱいだ。
今日はどうしたのだろうか。
彼に対する思いが通えば通うほど強くなってきた。
いつか二人きりの空間でたくさん話したい。




