第2章 第1話:王宮の夜会と、最悪のネタバレ
――毒殺、転落、刺殺。
これまでの死に方をいちいちカウントするのも、もう馬鹿馬鹿しい。
五度目の目覚めを経て、私は今、アルヴェリア王宮のきらびやかな大広間にいた。
天井には数千の結晶が煌めく巨大なシャンデリア。着飾った貴族たちが宝石を競うように纏い、優雅な宮廷音楽に合わせて談笑している。
かつてのループの私なら、この圧倒的な社交界の空気に気圧され、どこから来るかも分からない死の恐怖に怯えていただろう。
だが、今の私は違う。ここは戦場であり、この夜会は「攻略対象」の待つステージだ。
「アリシア様、あまり周囲を睨みつけなさいますな。公爵令嬢たるもの、常に泰然とあらせられませ」
隣で完璧なエスコートを見せる老執事――アルフォンスが、私の耳元で低く窘めてくる。
「分かっているわ、アルフォンス」
私は扇子で口元を隠し、淑やかな笑みを貼り付けながら、獲物を探すように会場中を舐めるように見回した。
探す相手はただ一人。この国で最も神に守られ、そして最も暗殺を神回避しているという、あの第一王子。
(――いた)
大広間の奥、一段高くなった壇上に、その少年はいた。
レオンハルト第一王子。艶やかな金髪に、すべてを見透かすような琥珀色の瞳。群がる貴族たちに対して、完璧な、絵画から抜け出してきたかのような「王子スマイル」を振りまいている。
だが、今の私にははっきりと見えた。
微笑む彼の口元が、心なしかピキピキと引き攣っているのが。
(やっぱり、あいつ……限界なんじゃない?)
私はアルフォンスの手をそっと離し、人混みの中へと滑り込んだ。
*
ダンスのステップを踏む貴族たちの隙間を縫い、私は一歩、また一歩とレオンハルトの背後へと回り込んでいく。
王子の周囲には、当然ながら鋭い眼光を放つ護衛の騎士や、おべっかを使う取り巻きの貴族たちがひしめき合っている。一歩間違えれば、不審者として即座に組み伏せられるか、あるいはこの場で不敬罪として排除されるリスクがあった。
けれど、ここで怯む私じゃない。
何せ私は、死ぬのだけはもうベテランなのだ。
貴族たちの会話の波に紛れ、すれ違いざま、私はレオンハルトの耳元へ急速に接近した。
扇子で口元を完全に隠し、彼にだけ聞こえる最低限の声量で、私は「爆弾」を投下した。
「ねえ、第一王子殿下」
「――っ?」
気配に気づいたレオンハルトの身体が微かに強張る。その耳元で、私は前世の記憶を全力で掘り起こし、極上の、あまりにも卑近で個人的なネタバレを囁いた。
「ずっと言うなって止められてたけど……お前が実家に録画溜めてたあのロボットアニメの最終回、主人公がヒロイン庇って死ぬよ」
じゃあね、と心の中で手を振る。
これが合言葉になるか、それともただの狂人の戯言として終わるか。私の命をかけた大博打だった。
*
一瞬、世界のすべての音が消えたかのような静寂が訪れた。
さっきまで完璧な「貴族の仮面」を被り、優雅に微笑んでいたレオンハルトの表情が、目に見えて崩壊していく。琥珀色の瞳がこれ以上ないほど見開かれ、美形な顔が驚愕と絶望に歪んだ。
そして。
洗練された王宮のBGMをぶち破るように、あまりにも馴染み深い「素の男言葉」が、社交界のど真ん中で爆発した。
「おまっ、ふざけんな!? なんでそれを今言うんだよおぉぉぉっ!!!」
大広間に、文字通りの絶叫が響き渡る。
「なっ、殿下……!?」
「何事だ!?」
周囲の貴族たちが一斉に動きを止め、呆然とした顔でこちらを振り返る。優雅な夜会の空気は完全に消し飛んでいた。
レオンハルトは周囲の目も気にせず、顔を真っ赤に染め、怒りと驚き、あるいは涙目になりながら私を指差していた。その姿は、王国の王子などではなく、実家のリビングでネタバレを食らってブチギレている前世のあいつ――そのものだった。
(勝った……! やっぱりあんた、――)
そう確信し、私が口を開こうとした、その瞬間。
ヒュッ、と短い風切り音が響き、レオンハルトの首筋に小さな吹き矢が突き刺さる。
さらに、私たちの頭上でギギギ、と不穏な金属音が鳴り響いた。
「え?」
見上げれば、頭上の巨大なシャンデリアを支えていた太いチェーンが、何者かによって断ち切られていた。音もなく、暴力的な質量が二人を目がけて落下してくる。
王子の絶叫に反応した暗殺者の仕業か、あるいは、お茶を避けた私に対する世界の「予定調和の死」の強制発動か。
「うわっ、ちょっと待てこれ――!?」
「あ、これダメなやつだ」
毒を喰らったレオンハルトがよろめき、私は迫り来るクリスタルの塊を見上げて諦め顔で呟いた。
ドガガァァァンッ!!!!
凄まじい衝撃。シャンデリアが私たち二人を完全に呑み込み、大広間に貴族たちの悲鳴が木霊する。
まばゆい光の破片の中で、私の意識はまたしても強引に千切られ、真っ白な世界へと放り出された。
*
冷たい床の感触が消える。
次に目を開けたとき、私の視界を包んでいたのは、王宮のきらびやかさではなかった。
突き抜けるような、青い空。
エメラルドグリーンの海と、まとわりつくような暑い潮風。
爆発の三十秒前。あの、沖縄の浜辺の裏道。
けれど、いつもと決定的に違うことが一つだけあった。
いつもなら、時が動き出すまで石のように動かないはずの、制服姿の親友――が。
最初から、大粒の涙をボロボロと流しながら、私の襟元を掴んで激しく揺さぶってきたのだ。
「お前マジでふざけんなよ!! 十三話まで観て修学旅行に来たのに! 一番楽しみにしてたのに!!」
「痛い痛い痛い! 揺さぶるな! っていうか……」
私はあいつの腕を掴み返し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている親友の顔を、穴が開くほどに見つめた。
日本の沖縄の空間。セーラー服を着た二人の女子高生が、これから爆発する不発弾の上で、がっしりと互いの手を握りしめ合う。
「……お前、マジかよ!? あんた、あっちで王子様やってんの!?」
「お前こそアリシアかよ!? 公爵令嬢のくせに初手で最悪のネタバレぶち込んでくんじゃねえよ!!」
死の直前、あと数秒で身体が吹き飛ぶという極限状態の中で。
私たちは互いの生存を確かめ合い、狂ったように叫び声を上げた。
すぐ足元から、世界を焼き潰す絶対的な白光が溢れ出す。
けれど、私たちの心には、もう一滴の絶望も残っていなかった。




