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30秒後にまた殺されるので、女友達と婚約することにした  作者: 品川太朗
第7章:英雄と王子

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第5話:公爵令嬢の独断と、死を厭わぬ献身


王都の空は、今日もどんよりと分厚い雲に覆われ、息が詰まるほど重苦しい。


グランベル公爵邸の一室で、アリシアは届いたばかりの暗号通信を握りしめ、ふうっと長く、震える息を吐き出した。


南方要塞からの報せは『戦況は膠着状態』。


帝国軍三万の猛威に対し、レオン率いる王国軍五千は、未だ要塞を死守し持ち堪えているという。すぐさま陥落しなかったことへの一定の安堵に胸を撫で下ろしたものの、アリシアの額には濃い疲労と焦燥の色が張り付いていた。


膠着と言えば聞こえはいいが、要は援軍の来ない孤立無援の状態で、じわじわと干殺しにされているだけだ。レオンの命を刻むタイムリミットの呪縛は、一秒たりとも消えてはいない。


何とかしてレオンを救い出し、この理不尽な戦争を終わらせなければならない。だが、王都の貴族たちは第二王子派の顔色を窺い、誰一人として動こうとしない。


手詰まりだ。八方塞がりの状況に、アリシアが自室の机で頭を抱えていると、視界の端に湯気を立てる温かい紅茶のカップがそっと置かれた。


「お嬢様、あまりご無理をなさいませんよう……。お顔色が優れません」


心配そうに声をかけてきたのは、バルド領からアリシアの専属として王都まで同行してきたメイドの一人だった。彼女は控えめにアリシアの肩を揉みながら、ぽつりとこぼす。


「……こんな時、エリオット様のようなお知恵とあのお力があれば、すぐにでも殿下をお救いできるのでしょうが」


その言葉に、部屋に控えていた他の侍女たちも深く頷いた。


彼女たちは、バルド領で過ごしたこの半年間、領民たちと共にエリオットの偉業を間近で目の当たりにしてきた。荒れ地を瞬く間に開墾し、魔物を一掃するその姿は、メイドたちにとって、もはや『大賢者』として崇拝の対象に近い。


アリシアは苦く笑い、カップに口をつけた。


「……あの人は権力闘争とか大嫌いだから、王都のドロドロした話には耳を貸さないかもしれないわ。それに何より……」


アリシアは、自分自身の無力さにギリッと唇を噛む。


「今、エリオットさんは北部へ逃れた領民六百人の食糧問題で、身動きが取れないのよね」


エリオットがどれほどチート級の魔力を持っていようと、六百人の生活と命を守るという現実問題の前では、彼一人で戦場へ駆けつけることなど不可能なのだ。彼が動けない理由を痛いほど理解しているからこそ、アリシアは何もできない自分に腹が立って仕方がなかった。


◆ ◆ ◆


『エリオットさんが動けないのは、六百人の領民の食糧を確保し続けなきゃいけないから……』


頭の中でその事実を反芻した瞬間、アリシアの脳裏に電流のような閃きが走った。


エリオットの足枷となっているのは、敵の強さでも物理的な距離でもない。「領民の生活と食糧」だ。


『(……なら、それを私が代行すればいいんだ!)』


アリシアは勢いよく立ち上がった。椅子がガタッと音を立てて倒れるが、気にも留めない。


六百人分の数ヶ月の食糧。一見すると膨大な量に思えるが、国家の台所を預かる大貴族の財力から見れば、決して用意できない規模ではない。王都の市場を直接買い占めるような真似をすれば目立つが、公爵家の広大なコネクションと潤沢な資金を使えばどうだ。北部に隣接する近隣諸領の商人たちから秘密裏に買い付け、バルド領の難民キャンプへ直送するルートを構築すればいい。


そうすれば、エリオットは「食糧の確保」という重圧から解放される。


「そうだわ……。私、グランベル公爵令嬢じゃない!」


アリシアの瞳に、かつての無邪気なゲーマーのそれではない、覚悟を決めた強烈な光が宿った。


「お金も権力も、出し惜しみしてる場合じゃない。今使わなくて、いつ使うのよ!」


彼女は、驚いて目を丸くしているメイドたちと、静かに控えているアルフォンスを力強く見渡した。


「食糧を、難民キャンプに送るわ。エリオットさんが抱えている負担を、グランベル家の力で丸ごと引き受ける。そうしてエリオットさんを王都へ……いいえ、レオンのいる戦場へ向かえるように解放するのよ!」


◆ ◆ ◆


突拍子もない提案。しかし、それが現在の膠着状態を打破する、極めて合理的かつ唯一の突破口であることは間違いない。


だが、執事であり凄腕の護衛でもあるアルフォンスは、表情を崩さぬまま冷徹に現実を告げた。


「お嬢様、お考えは理解いたしました。しかし、グランベル家の備蓄庫から直接物資を動かさないにせよ、商人を介して買い付けるには、それなりの金額の資金と当主の許可が必要になります」


アルフォンスの片眼鏡の奥の瞳が、鋭く光る。


「当主代行としてのあなたの権限で強行することは可能ですが……間違いなく、分家派の老人たちはここぞとばかりに『公爵家の私物化』『第一王子への不当な肩入れ』と糾弾し、あなたの足を引っ張るでしょう。公爵家内部での激しい権力闘争の火種になります」


それは、アリシアの王都での立場と身分を根底から揺るがす危険な賭けだった。


だが、アリシアの表情には一片の迷いもなかった。


「……足を引っ張らせておけばいいわ」


吐き捨てるように放たれたその言葉は、驚くほど冷徹で、静かな怒りを孕んでいた。


「今、レオンがあの要塞で血を流し、命を削っているのよ。私がここで派閥の顔色を窺って、身の保身に走って何もしなければ、レオンは負ける。第一王子が倒れれば、王国そのものが終わるかもしれないわ」


アリシアは拳を強く握りしめる。


「その責任を、あの分家派のジジイたちが取ってくれるわけ? 誰も取らないわ。あいつらは、安全な場所で文句を言うだけ。だったら、私がやるしかないじゃない」


王都での権力闘争。処刑の恐怖。分家派からの執拗な糾弾。


かつて、ただの平和ボケした女子高生だった彼女なら、恐れをなして逃げ出していただろう。だが、死に戻りを繰り返し、レオンの隣で幾度も死線を潜り抜けてきた今の彼女にとって、レオンを失う絶望に比べれば、己の身分や命など安いチップに過ぎなかった。


アリシアの全身から発せられる、死すら厭わぬ気迫。


それに当てられたように、メイドたちが顔を見合わせた。そして、誰からともなくアリシアの前に進み出ると、ドレスの裾を摘んで静かに、しかし決然とした動作で一斉に膝をついた。


「……お嬢様と共に」


彼女たちは知っている。アリシアがレオンを救うために、どれほどの苦難を乗り越え、泥を啜ってきたかを。


もしもこの独断が「公爵令嬢への反逆」あるいは「公爵家への背任」と断じられ、連座して処刑されることになったとしても。彼女を裏切るという選択肢は、メイドたちの心には存在しなかった。


◆ ◆ ◆


「……承知いたしました」


アルフォンスが深く一礼する。その目には、主の著しい成長に対する微かな喜びの色が浮かんでいた。


「直ちに、懇意にしている大商人たちを呼び寄せます。北部の穀倉地帯から難民キャンプへの輸送ルートの工作、および食糧の買い付けを開始いたしましょう」


メイドたちも立ち上がり、それぞれの任務を果たすべく、足早に部屋を飛び出していく。公爵邸が、にわかに戦場のような熱気を帯び始めた。


やがて、アリシアはアルフォンスの案内で、公爵邸の地下深くに位置する大金庫の前へとやってきた。


分厚い鋼鉄と、幾重にも張り巡らされた魔法結界によって守られた、グランベル家の富の象徴。


アルフォンスが懐から鍵を取り出し、厳重な封印を一つずつ解いていく。カチン、カチンという冷たい金属音が、薄暗い地下室に響く。


最後の結界が解かれた時、アルフォンスは手を止め、振り向いてアリシアを見た。


「お嬢様。……これを開けば、後戻りはできません。派閥との全面戦争は避けられず、公爵家の資金を独断で動かしたことが露見すれば、あなたの身分すら危うくなります」


最後の警告。


しかし、アリシアはその重厚な扉に迷いなく手をかけ、凛とした声で命じた。


「いいのよ」


ふっと、彼女の唇に笑みが浮かぶ。それは、強がりでも何でもない、心底からの決意の笑みだった。


「レオンが死んだ後、用意された安全な一等席に座るより……レオンと一緒に生き残るための泥道の方が、私にはお似合いだわ」


その言葉と共に、アリシアが力を込めると、重々しい軋み音を立てて金庫の扉がゆっくりと開かれた。


隙間から漏れ出す、眩いばかりの金貨と宝石の光。何代にもわたって蓄積されてきた公爵家の膨大な富が、今、完全に露わになった。


その光に照らされたアリシアの横顔は、泥に塗れることを厭わない一人の戦士のそれだった。


この莫大な富を軍資金として叩きつけ、遠く離れた戦場にいるただ一人の男を救う。アリシアの孤独で、しかし決して一人ではない『反逆』の戦いが、今、幕を開けようとしていた。

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