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30秒後にまた殺されるので、女友達と婚約することにした  作者: 品川太朗
第7章:英雄と王子

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第3話:泥沼の防衛戦と、王都の蜘蛛の巣


砂を噛むような、ひどく無味乾燥で、それでいて確実に命がすり減っていく一ヶ月間だった。


南方要塞を包囲する帝国軍三万と、籠城する王国軍五千。


圧倒的な兵力差がありながら、帝国軍は大規模な攻城戦を仕掛けてこなかった。行われるのは、睡眠を妨害するための散発的な夜襲や、嫌がらせのような弓矢の応酬、そして少人数の斥候同士による小競り合いのみ。


彼らの狙いは明白だった。無理に兵を損なう必要はない。王国軍の援軍が来ないことを見越し、食糧が尽き、疲労と絶望で内部から自滅するのを待っているのだ。それはまさに、真綿で首を絞めるような精神的な絞殺だった。


「……殿下、少しお休みください。この三日間、ろくに睡眠をとられていないでしょう」


深夜の司令室。地図を睨みつけるレオンに対し、白髪の将軍が沈痛な面持ちで声をかけた。


しかし、レオンは血走った目を地図から離さず、首を横に振る。


「休んでいる暇はない。敵の夜襲部隊の動きが昨日から変わっている。東の防壁の警備を厚くしろ」


その声はひどく掠れ、第一王子の華やかな面影は見る影もない。頬はこけ、目の下にはどす黒い隈が張り付いていた。


無理もない。レオンはこの一ヶ月間、不眠不休に近い状態で指揮を執り続けていた。前線の兵士たちを鼓舞し、限られた食糧の配分を計算し、敵の些細な動きから罠を見破る。一瞬の油断が数千の命を奪う極限状態。


だが、レオンを最も苦しめているのは、疲労でも飢えでもなかった。


『(俺のせいだ……俺が私情で軍を動かしたから、彼らが死んでいく)』


夜襲で命を落とす兵士が出るたび、レオンの心は千々に引き裂かれた。自分が引き起こした大戦争。その重圧と自責の念が、休むことすら彼に許さない。


援軍は来ない。王都が自分を見捨てる時間を稼いでいる間にも、レオンの精神は泥沼のような膠着状態の中で、限界に向けて軋み声を上げていた。


◆ ◆ ◆


一方、バルド領から北へと逃れたエリオットたちもまた、要塞とは別の意味で過酷な「戦場」に立たされていた。


比較的安全な北部都市。その外れにある広場を転用した避難所には、六百人の領民たちのテントがひしめき合っていた。だが、彼らを取り巻く環境は決して温かいものではない。


「おい、また南の連中が井戸を使ってるぞ」


「よそ者が俺たちの食糧を食い潰す気か? 大方、バルド領の奴らが帝国を引き入れたんだろうぜ」


都市の住民たちから向けられるのは、あからさまな敵意と冷ややかな蔑視だった。突然押し寄せてきた大規模な難民は、ただでさえ余裕のない都市の経済を圧迫する厄介者でしかない。


エリオットはテントの影で、買い集めた麦の量を計算しながら重い溜息を吐いた。


六百人の命を守り、水と食糧を確保し、衛生状態を維持し続ける今の暮らしは、魔法戦闘の何十倍も過酷で、神経をすり減らす作業だった。


『(手持ちの資金や、貴族からの借金で手に入るのは最低限の食糧だけだ。……だが、このままではマズい)』


エリオットの視線の先では、空腹で泣く子供を抱きかかえ、暗い目をしている母親の姿があった。


人は、窮すれば鈍する。ひもじさと周囲からの冷遇に耐えかね、もし一人の領民でも「盗み」などの一線を越えてしまえばどうなるか。元の住民との確執は取り返しのつかないものとなり、最悪の場合、暴動や排斥運動に発展する。


そうなれば、六百人の命は終わる。魔法でどれだけ強かろうと、人間の社会的な悪意から彼らを守り切ることはできないのだ。


「……僕が、どうにかしなければ」


エリオットは自らの圧倒的な魔力をひた隠しにし、泥に塗れながら、今日も頭を下げて回る。都市の有力者や強欲な商人との交渉、領民たちの不満のガス抜き。


彼は血の流れない戦場で、一瞬の気の緩みも許されない「日常という名の防衛戦」に、孤独に身を投じていた。


◆ ◆ ◆


そして同時期、膠着する戦況を政治的に打破すべく、アリシアは護衛のアルフォンスのみを伴い、単身で王都へと戻っていた。


南方要塞への軍団編成が停滞している理由は明白だった。第二王子派と王妃派が、軍の出立に必要な承認手続きをあらゆる理由をつけて意図的に遅延させているのだ。


アリシアはかつての実家であるグランベル公爵家のコネクションをフルに活用し、連夜行われる夜会や、裏筋での密会に足を運び、有力貴族たちの説得に奔走していた。


「どうか、南方への派兵に御助力を。このままでは王国の防衛線が突破されます」


華やかなシャンデリアの下、扇子で口元を隠しながらアリシアは訴える。だが、返ってくるのは社交辞令の薄ら笑いと、冷ややかな視線だけだった。


「いやはや、アリシア嬢。お気持ちは分かりますがね、軍の手続きというものは複雑でして……」


誰も彼もが、まともに取り合おうとしない。


王都の空気は、死ぬほど重く、そして腐敗していた。『第一王子はもう要塞で終わりだ』『これからの時代は第二王子殿下のものだ』。そんな空気が、貴族社会を完全に支配している。勝ち馬に乗ることしか考えていない貴族たちは、没落確定の第一王子派に関わることを蛇蝎のごとく嫌がった。


ドレスに身を包みながらも、アリシアの心の中は焦燥感で焼き切れそうだった。


彼女が働きかければ働きかけるほど、第二王子派はアリシアへの警戒を強めていく。最近では、アルフォンスが彼女の周囲を嗅ぎ回る暗殺者を始末する頻度も増えていた。


レオンを救いたい。要塞に援軍を送りたい。その一心で動いているが、自分のこの強引な政治工作が、第二王子派を刺激し、王都での『クーデター騒ぎ』を誘発しかねない導火線になっていることに、アリシアは気づき始めていた。


◆ ◆ ◆


「――第一王子のために動くのは、いい加減におやめなさい。さもなくば、あなたのその美しい首が飛ぶことになりますよ」


王宮の夜会の中庭。薄暗いバルコニーで、アリシアは第二王子の側近の一人から、事実上の脅迫を受けていた。


ワイングラスを片手に持つ男の目には、明らかな殺意と侮蔑が浮かんでいる。アリシアは表情を崩さず、愛想笑いでその場をやり過ごし、控室へと退避した。


誰もいない控室。


壁掛けの巨大な鏡の前に立ったアリシアは、そこに映る自分自身を冷ややかな目で見つめた。


このまま自分が政治工作を続ければ、危機感を抱いた第二王子派と衝突し、即座に王都で内戦(クーデター)が勃発する。王都が火の海になれば、要塞への援軍など永遠に不可能になる。


だが、動くのをやめれば? ……レオンはあの要塞で、確実に干殺しにされる。


動けば内戦。動かなければレオンの死。


鏡の中の自分を見つめるその瞳からは、前世のゲーム感覚も、かつての無邪気さも完全に消え失せていた。そこにあるのは、幾度も死線を潜り抜けてきた、冷徹な貴族の仮面だけ。


「……どうやっても、誰かが血を流さないと終わらないってことかよ」


吐き捨てるように呟いた声は、酷く乾いていた。


レオンの破滅を回避するため、泥まみれになって全てを捨ててきたはずの彼女が、ついに『最悪の選択肢』を天秤にかけ始める。ギリギリまで張り詰めた蜘蛛の糸の上で、アリシアは冷たい決断の時を迎えようとしていた。

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