第2話 震える声と、おじいちゃんの救済
鼓膜を打つ波の音と、突き抜けるような青空。
死に戻りの直後、世界が終わるまでのわずか『三十秒間』だけが許された、絶対安全な作戦会議室。
「向こうの世界では、あの盗聴器のせいで何も手出しできない。俺たちが『排除』に向けた計画を少しでも口にすれば、あいつは即座に警戒し、俺たちを殺しに来る」
レオンは焦燥感を隠しきれない声で言った。強大な武力に加え、情報まで完全に筒抜けという絶望的な状況だ。
「何か、あいつの行動原理を知る手がかりが必要だ。どうやってあの狂気を止めるか――」
「……私、アルフォンスの過去を調べる」
アリシアの真っ直ぐな言葉に、レオンが息を呑む。
「彼がなんであんなに異常に私の安全に執着するのか、大量殺戮をしてまで私を囲い込もうとするのか。絶対に何か理由があるはずだもん」
「危険だ! もし探りを入れていると感づかれたら、またフラグが立つぞ!」
「大丈夫。彼を『排除』しようと企むから、彼は敵対してくるんだよ。私がただの孫として、『家族の過去を知りたい』って動く分には、絶対に手を出せないはず」
アリシアの瞳には、かつてないほどの強い決意が宿っていた。
上空で、世界を白く染め上げる爆発が膨張し始める。
「絶対、無理するなよ!!」
轟音に掻き消されそうになるレオンの叫びを最後に、世界は再び異世界へと巻き戻っていった。
◆
グランベル公爵邸。
朝の支度を終えたアリシアの胸元には、今日も美しいサファイアのブローチが輝いていた。
(この中に、盗聴器が仕込まれている)。その事実を認識しているだけで、喉の奥がヒリヒリと焼け付くような緊張感に襲われる。自分の発する一言一句が、見えない『怪物』の耳に届いているのだ。
アリシアは深く深呼吸をすると、屋敷を歩き出した。向かったのは、古株のメイドたちが集まる厨房や、屋敷の歴史が詰まった図書室だ。
「ねえ、亡くなったお母様って、どんな人だったの? アルフォンスとはどういう関係だったの?」
無邪気を装いながら、アリシアは人々に尋ね回った。
――同じ頃。
屋敷の離れた一室で、アルフォンスは魔導具から聞こえてくるアリシアの声を、彫像のように立ち尽くして聴いていた。
もしその言葉が、自身を公爵家から排除し、レオンハルト殿下と結託するための謀議であれば、彼は躊躇なく『ラスボス』として牙を剥いていただろう。
しかし、魔導具から響くのは、ただ純粋に亡き母を偲び、家族の絆を知ろうとする幼い孫娘の声。
完璧な執事の仮面の奥で、彼の瞳が僅かに揺らぎ、殺意を抱くことなどできずにただ静かに聞き入るしかなかった。
◆
公爵邸の図書室。
古株のメイド長は、周囲を少し気にしながら、ぽつりぽつりと重い口を開いた。
「……アルフォンス様にとって、亡き前公爵夫人――お嬢様のお母様は、主従を超えて『実の娘』のように慈しんだ存在でございました」
メイド長が語る真実は、アリシアの想像を絶する凄惨なものだった。
十数年前。権力闘争の激しかった王都で、分家派が放った凶刃により、前夫人は命を落とした。
護衛の任に就きながら、ほんの一瞬の隙を突かれたアルフォンス。どす黒い血だまりの中、彼の腕の中で息を引き取った前夫人は、最期に血まみれの手でアルフォンスの頬に触れ、こう言い遺したという。
『……どうか、私のアリシアを守って』
その事実の重みに、アリシアは息を呑んだ。
アルフォンスにとって、アリシアはただの主などではない。愛娘が最期に命を懸けて遺した、目の中に入れても痛くない大切な『孫』だったのだ。
(あのおじいちゃんの狂気は、『悪意』なんかじゃない)
アリシアは震える手で胸元のブローチに触れた。
異常なまでの過保護。自分を狙う者への容赦のない大量虐殺。
それはすべて、「もう二度と、絶対に家族を失いたくない」という、血を吐くような後悔から生まれた、狂おしいほどの強迫観念だったのだ。
◆
図書室を出たアリシアの足が、廊下でピタリと止まった。
窓から差し込む夕日を背にして、そこにアルフォンスが立っていたのだ。
「……古い話をお聞きになったようですな。奥様は、本当に太陽のようなお方でした」
いつもの完璧な仮面。穏やかな声。
しかし、盗聴器越しに愛娘の凄惨な過去を掘り起こされた彼の声は、微かに、だが確実に震えていた。
「……私は、守れませんでした。ですから……今度こそ。私にできることはすべて……」
アルフォンスの瞳の奥底に、何十年も癒えることのない深い絶望と孤独が見えた。
アリシアの心臓が早鐘を打つ。
怖い。裏で暗殺者たちを皆殺しにし、つい前回はレオンの心臓を貫いた怪物。思い出しただけで、足がすくんで震えが止まらなくなる。
(でも……それでも、あの人をあんな後悔の中に、一人で閉じ込めておきたくない)
恐怖と共感が入り混じり、アリシアの中で一つの確かな意志が芽生えた。
もう、彼を孤独な怪物にしておけない。私が、助けなきゃ。
◆
――三十秒の作戦会議室。
沖縄の砂浜に降り立つなり、レオンが焦燥に駆られた声で尋ねた。
「どうだった!? 弱点は見つかったか!? これでアイツを無力化して、排除できるか!?」
しかし、アリシアは静かに首を横に振った。
「……私、アルフォンスを倒したくない」
その言葉に、レオンの表情が険しく強張る。
「……無茶言うな。俺はあいつに心臓を貫かれたんだぞ。お前だって、あの狂気の温室でどれほど怯えていたか。あいつは危険すぎる!」
レオンの反発はもっともだった。死の激痛と絶望を誰よりもリアルに覚えている彼にとって、その元凶を倒さずに対処するなど、到底受け入れられるものではない。
「私も怖いよ。……でも、私の家族なんだ。だから、助けたいの」
アリシアの真っ直ぐで、一切の揺らぎがない瞳。
レオンは強く言い返そうと口を開いたが、その瞳に射抜かれ、やがて大きく深いため息をついた。
「……お前、そういうところ、本当にずるいよな」
頭を掻きむしり、レオンは苦笑する。
「わかった。……俺も付き合うよ」
「レオン……!」
上空で、不発弾の大爆発が今まさに世界を飲み込もうとしている。
凄まじい光と轟音の中、アリシアはレオンの顔を真っ直ぐに見据え、はっきりと告げた。
「レオン。次の三十秒からは、『どう倒すか』じゃなくて……」
アリシアの声が、爆発音を貫いて響く。
「『どうやって、あのおじいちゃんを助けるか』を考えて!」
その言葉と共に、世界は強烈な閃光に包まれ、すべてが白く染まり上がっていった。




