第1話 完璧な執事の「耳」と、30秒の聖域
鼓膜を打つ波の音。突き抜けるような青空。
すべてが始まり、すべてが終わる沖縄の海辺で、レオンは女子高生姿のアリシアを強く、壊れ物を扱うように抱きしめていた。
「もう大丈夫だ。……今度こそ、お前を海に連れて行く。爆発しない場所へ」
その言葉に、アリシアは声を出して泣きじゃくった。
レオンのセーラー服の胸元を力強く握りしめ、最も信頼していた家族の裏切りと、友の死という耐え難いトラウマを吐き出すように涙を流し続ける。
レオンはただ黙って、彼女の背中を優しく撫でていた。
(お前を絶対に守る。あの狂った執事の思い通りにはさせない)
ただの初恋の熱などではない。魂の奥底から湧き上がる、絶対的な決意。
上空で視界を白く染め上げる大爆発の閃光が迫る中、レオンはその光を真っ向から見据え、次なる世界――反撃のループへと身を投じた。
◆
視界が明滅し、気づけばレオンは自室である王宮の私室に立っていた。
時間は、暗殺者の痕跡が消え、平和な日常が訪れたと思い込んでいたあの日の朝。レオンは即座に行動を開始し、アリシアを「急な執務の手伝い」という名目で王城の自室へと呼び出した。
分厚いオーク材の扉を閉め、部屋の隅々に至るまで徹底的な防音の魔術結界を何重にも展開する。王族の中でもトップクラスの魔力を持つレオンの結界だ。外からは虫の羽音一つ、中で何が話されているか探ることは不可能。
「アリシア。単刀直入に言う」
ソファに座る彼女の前に立ち、レオンは声を潜めた。
「あいつ……アルフォンスと正面から戦えば、俺たちは確実に負ける。あの強さは異常だ」
「うん……私も、レオンがあっさり殺されるのを見て、そう思った」
アリシアの顔に、まだ前回のループの恐怖が色濃く残っている。彼女は微かに肩を震わせていた。
「だから、俺の権力を使う」
「権力?」
「ああ。第一王子としての勅命で、あいつを公爵家の辺境領地へ左遷させる。王宮への出入りを禁じ、物理的に距離を置くんだ。その隙に、お前の周囲の警備をすべて俺の息がかかった信頼できる近衛騎士で固める」
正攻法での戦闘を避け、政治力で無力化する。それがレオンの考えた最善の策だった。
しかし、アリシアは不安げに首を横に振る。
「でも、あのお爺ちゃん、絶対に黙って引き下がらないよ。もし、こんな計画を立ててるってバレたら……」
「安心しろ。この部屋の会話は外には絶対に漏れない。俺の結界を破れる魔術師はこの王都にはいない。俺を信じろ」
レオンの力強い瞳に、アリシアはようやく少しだけ安堵の息を吐き、頷いた。
◆
その日の夕方。
王城での密談を終え、グランベル公爵邸へと帰還したアリシアは、玄関の扉を開けた瞬間に足を止めた。
暗闇に包まれたエントランス。ランプの火も灯されていない広間の中心に、アルフォンスが一人、静かに立って待っていたのだ。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
穏やかな、いつもの祖父のような声。だが、アリシアの背筋に氷のような悪寒が走る。
「あ、アルフォンス……。ただいま。どうして暗いまま……」
「……辺境領地、ですか」
アリシアの心臓が、跳ね上がった。
「空気は澄んでいそうですが……私がお嬢様のお側を離れるわけにはまいりません」
「な、なんで……」
王宮の、絶対安全なはずの結界部屋で話した「左遷計画」。それを、アルフォンスは一言一句、完全に把握していた。
闇の中で、アルフォンスがゆっくりと顔を上げる。その瞳には、かつて見た狂気が静かに燃え上がっていた。
「レオンハルト殿下は、お嬢様を私の庇護から引き剥がそうとする『害虫』になり果てたようです。……排除せねばなりませんね」
明確な殺意。
アリシアが悲鳴を上げる間もなく、アルフォンスの姿がブレた。
◆
その後どうなったか、詳細は語るまでもない。
アルフォンスは単身で王城のレオンの私室へ乗り込み、警備の騎士たちを瞬く間に皆殺しにした。駆けつけたアリシアごと、二人はあっけなくその凶刃に斃れ、再び視界は血に染まった。
――そして、次のループ。
王宮のレオンの部屋。
再び顔を合わせた二人は、絶望的な状況に頭を抱えていた。
「なんで!? なんであの部屋での会話がバレたの!? レオンの結界が破られたってこと!?」
「いや、あり得ない。魔力による干渉や透視なら、俺が気づかないはずがない」
レオンは血を吐くような思いで必死に検証を繰り返す。
ふと、彼の視線がアリシアの胸元で止まった。
ドレスの胸元を飾る、美しいサファイアのブローチ。
「……アリシア、その胸元のブローチ。誰が着けた?」
「え? 今朝、アルフォンスが『今日のドレスによく合います』って言って……」
レオンは無言で歩み寄り、アリシアの胸元からブローチを外すと、魔力を込めて力任せに破壊した。
砕け散った宝石の中から現れたのは、爪の先ほどの極小の「魔石回路」。
「……音声共有の魔導具だ」
レオンの声が、絶望に震える。
アルフォンスは万能の魔法で透視したわけではない。毎朝、アリシアの身の回りを整える際、「お嬢様の安全を確認するため」という大義名分のもと、常に彼女の身につける装飾品に盗聴器を仕込んでいたのだ。
これなら、どんな強固な防音結界を張ろうが意味がない。結界の内側にある音を、直接外部のアルフォンスへ届けてしまうのだから。
「じゃ、じゃあ、こんなブローチ外す! 毎朝持ち物チェックして――」
「ダメだ。もう遅い」
レオンは青ざめた顔で首を振った。
「ブローチを外せば、『盗聴に気づかれた』と悟られる。あいつのことだ、即座に警戒度を最大に上げてお前を軟禁するか、俺を殺しに来る。……今回のループは捨てるぞ」
レオンの予想通り、数分後、異常を察知して王城に乗り込んできたアルフォンスによって、二人は再び無残に命を散らすこととなった。
◆
波の音。突き抜ける青空。
またしても沖縄の空間に戻ってきた二人は、セーラー服と学生服の姿で、ただ呆然と砂浜に座り込んでいた。
「身につけたままでは、アルフォンスを止めるための対策が話せない。かといって外せば、警戒されて即座に殺される」
レオンは乾いた笑いを漏らす。
「つまり、俺たちが本音でアルフォンス対策を話せるのは……あいつの監視が届かない、死んだ後のこの『30秒』だけだ」
上空では、世界を終わらせる爆発の光がすでに膨張し始めている。
アリシアは砂を掴み、天を仰いだ。
「マジかよ……。死にゲーの難易度、上がりすぎでしょ……っ!」
強大な武力に加え、すべての行動が筒抜けという絶望的な情報格差。
タイムリミットを告げる強烈な爆発音が、二人の声を掻き消し、世界は再び「沈黙を強いられる異世界」へと巻き戻っていくのだった。




