第8話 沖縄、爆発30秒前
胸を貫かれる、焼け焦げるような激痛。
視界を埋め尽くす自身の赤い血と、絶叫するアリシアの顔――。
その最悪の記憶がプツリと途切れた次の瞬間、レオンの鼓膜を、ザザァッという穏やかな波の音が打った。
むせ返るような血と薔薇の匂いは、潮風の香りに上書きされている。
ハッと息を呑んで目を見開くと、そこには突き抜けるような青空と、どこまでも続く白い砂浜が広がっていた。
自身の胸に手を当てる。風穴は空いていない。着ている服は、王宮の豪奢な装束ではなく、見慣れた、いや、前世で着慣れていたはずのセーラー服だ。
死に戻ったのだ。
沖縄の修学旅行。自分たちの命を理不尽に奪い去り、終わりのない異世界での死のループへと叩き落とした、あの『爆発の30秒前』のセーブポイントへと。
◆
レオンは弾かれたように隣を振り返った。
そこには、自分と同じように女子高生の姿に戻ったアリシアが立っていた。
(……アリシア)
いつもなら、ここで彼女は「あーあ、また死んだ! 痛かったー! 次のループどうするよ?」と、無理をしてでもサバサバと笑い飛ばすはずだった。レオンもまた、それに乗かって軽口を叩き合うのが、これまでのループの『日常』だった。
だが、今回のアリシアは違った。
彼女は力なく砂浜にへたり込むと、両手で顔を覆い、ガタガタと激しく震え始めたのだ。
「……嫌だ……」
指の隙間から、大粒の涙がボロボロと零れ落ち、白い砂に吸い込まれていく。
「もう、死に戻りたくない……。レオンが死ぬの、もう見たくないよ……っ!」
「アリシア……」
「私、あのおじいちゃんのこと……本当に家族だと思ってたのに……! この世界で、信じられる数少ない味方だって、ずっと……っ!」
しゃくり上げるような慟哭。
最も信頼していた「家族」の底知れぬ狂気。そして、自分を庇い、目の前で「親友」が血を吐いて死んでいった記憶。
数多の死を乗り越え、常にポジティブで強くあろうとした彼女の心は、ついに限界を迎え、完全に決壊していた。今の彼女は、公爵令嬢でも、百戦錬磨のループ経験者でもない。ただ傷つき、絶望に打ちひしがれた、一人の脆い少女だった。
◆
その無防備な涙を見た瞬間。
レオンの中にあった「初恋をこじらせた胃痛」や、「関係が壊れることへの恐れ」といった未熟な感情が、すべて熱く硬い『覚悟』へと鋳造されていくのを感じた。
守らなければならない。
この泣きじゃくる少女の明日を、未来を。自分の命と引き換えにしてでも。
レオンは静かに砂浜に膝をつくと、泣き崩れるアリシアの細い身体を、迷うことなく力強く抱きしめた。
現在の肉体は、か弱い女子高生同士のものだ。だが、その背中を包み込む腕の力と、彼女を外界のすべてから守り抜こうとする絶対的な包容力は、間違いなく『王子』のものだった。
「もう大丈夫だ」
耳元で静かに、しかし揺るぎない確信を持って告げられたその声に、アリシアの震えがビクリと止まる。
◆
レオンは、泣き震える彼女の背中を優しく撫でながら、力強く言葉を紡いだ。
「今度こそ、お前を海に連れて行く」
「……え……?」
「王宮のしがらみも、暗殺者の影も、あいつの狂気もない……爆発しない場所へ、必ず連れて行く」
その言葉に、アリシアはハッと息を呑んだ。
血塗られた温室で、無残に砕け散ったはずの約束。それが今、このすべての始まりの場所で、もう一度、決して折れることのない確かな希望として蘇ったのだ。
アリシアは、すがるようにレオンのセーラー服の胸元を強く握りしめ、その肩に顔を埋めて声を上げて泣いた。
レオンはただ黙って、彼女の気が済むまでその背中を撫で続けた。
◆
――やがて、タイムリミットが訪れる。
上空の空気が異様に歪み、視界のすべてを白く染め上げる大爆発の閃光が世界を呑み込み始める。
鼓膜を突き破る轟音が迫る直前、アリシアが震える声で、絞り出すように言った。
「……レオン。次も、一緒にいて……」
「ああ。ずっと隣にいる」
レオンはアリシアを強く抱きしめたまま、世界を終わらせる強烈な光を真っ向から見据えた。
その瞳に、死への恐怖は微塵もない。
(アルフォンス。お前が間違えた愛の形を、俺が終わらせる)
たとえ相手が、どれほど強大な力を持った怪物であろうとも。
次こそは必ず、お前を止める。
この腕の中にいる少女を、もう二度と、泣かせないために。
レオンの中で、不器用な「恋心」は、愛する者を地獄から救い出すための決定的な「覚悟」へと昇華した。
圧倒的な光と熱が二人を包み込む。
狂った家族を救済し、理不尽なループを打ち破って本当の未来を掴み取るための逆襲の物語――へと、世界が再び構築されていく。




