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30秒後にまた殺されるので、女友達と婚約することにした  作者: 品川太朗
第4章:執事の正体と絶望のループ

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第3話 束の間の平和とお忍びデート(限界王子の胃痛)

王都を包む空気は、かつてないほどに穏やかで澄み切っていた。


分家派の暗躍や正体不明の暗殺者たちの影が嘘のようにパタリと途絶え、レオンとアリシアには、数多の死に戻りを経験して以来初めてと言っていいほどの「完全な平和」が訪れていた。


「ねえレオン! せっかく敵も大人しいんだし、今日は王都の城下町にお忍びデートに行こうぜ!」


執務の合間にそう提案してきたアリシアの瞳は、新しい玩具を見つけた子供のようにキラキラと輝いていた。彼女にとっての「デート」が、単なる「悪友との遊び」と同義であることは火を見るより明らかだったが、レオンに断るという選択肢は存在しなかった。


身分を隠すための簡素な平民の衣服に着替え、二人が公爵邸の裏口からこっそりと抜け出そうとした時のことだ。


「お嬢様、お待ちくださいませ」


背後から温かな声をかけられ、二人は足を止めた。そこには、ふわりとした上質な薄手のマフラーを手にしたアルフォンスが立っていた。


彼はしわの刻まれた手で、アリシアの首元に丁寧に、そしてとても優しくマフラーを巻き直す。


「お嬢様、今日は少し風が冷たゅうございます。お風邪など召されぬよう、どうかお気をつけて」


「もう、アルフォンスは心配性だな。大丈夫だよ、私の体力舐めないでよね!」


「ふふっ、ええ、存じておりますとも。ですが、老いぼれの自己満足とお許しください」


照れ笑いするアリシアを見つめるアルフォンスの瞳は、とろけるような慈愛に満ちていた。そして彼は、一歩下がってレオンに向き直ると、深く、深く頭を下げた。


「殿下。どうか、我が愛しきお嬢様をよろしくお願いいたします。お嬢様のあのような楽しそうな笑顔、何年ぶりに見るか……。すべては殿下のおかげでございます」


その声は微かに震え、目元にはうっすらと涙すら浮かんでいるようだった。


愛する孫娘の幸せを心から願い、それを守ってくれる青年に全幅の信頼を寄せる、どこにでもいる心優しい祖父の姿。それが、アルフォンスの全てだった。


(……ああ、本当にただの心配性のお爺ちゃんだ。俺は、なんでこの人を疑いかけたんだ……。こんなに温かい人を、あんな凄惨な殺戮者かもしれないだなんて)


レオンの胸の奥底に微かに燻っていた「アルフォンスへの疑念」は、この瞬間、完全に浄化され、跡形もなく消え去ったのだった。



王都の城下町は、活気ある喧騒と様々な匂いに満ち溢れていた。


焼きたてのパンの香り、香辛料の刺激的な匂い、そして威勢のいい客引きの声。きらびやかな王城とは全く違う、泥臭くも力強い生命力に満ちた世界。


「うわーっ、すっごい人! お祭りみたいだな!」


地味な茶色のワンピースという平民の装いであっても、アリシアの隠しきれない美貌とプロポーションは道行く人々の視線を惹きつけていた。しかし、当の本人はそんなことには全く無頓着に、人の波を掻き分けてずんずんと進んでいく。


「おいアリシア、あんまり急ぐと――」


レオンが注意しようとした、その時だった。


「ほらレオン、はぐれるから手つなごうぜ!」


振り返ったアリシアが、全く躊躇うことなくレオンの右手に自分の左手を絡め、ぎゅっと指を交差させてきた。さらに、人混みに流されないようにと、彼の腕に自分の体をぴったりと抱きつかせる。


(死ぬ。いやマジで死ぬ。柔らかい! 距離が近い! いい匂いがする!)


レオンの脳内で、けたたましい警報が鳴り響いた。


前世の感覚のままでいるアリシアにとっては、ただの「悪友との買い食い」での合理的なはぐれ防止策でしかない。しかし、完全に初恋をこじらせている現在のレオンにとって、それは「愛する絶世の美少女からの過剰スキンシップ」という名の極上の拷問だった。


腕に押し当てられる柔らかな感触と、鼻腔をくすぐる彼女の髪の匂いに、レオンの思考回路は完全にショートする。


「え、なに? レオン、顔真っ赤だけど照れてんの?」


「て、照れてない。少し暑いだけだ」


「あははっ、なんだそれ! 私たち、一応婚約者のフリなんだからもっと堂々としろって!」


ケラケラと悪戯っぽく笑うアリシアの横顔があまりにも眩しくて、レオンはただ俯いて胃の痛みに耐えるしかなかった。



「よし、あそこの屋台の串焼き買ってこよっと! レオンはここで待ってて!」


アリシアが腕を離し、人混みの向こうにある屋台へと走っていった。


腕に残る熱と名残惜しさにレオンが密かにため息をついた直後、彼の背後に、不自然なほど気配を消した男がすっと寄り添ってきた。


変装した近衛騎士だった。


「……殿下、ご報告がございます」


周囲の喧騒に紛れるような低い声。レオンは視線を前に向けたまま、僅かに頷いて先を促した。


「前回の『傭兵団全滅事件』の続報です。現場の遺体と周囲の状況を魔術班が詳細に解析した結果、微弱な『王宮軍用魔術』の残留魔力が検出されました」


「……王宮の軍用魔術だと? それを使えるのは、限られた部隊だけのはずだが」


「はい。この特有の術式を実戦で運用しているのは、王妃派の暗部か、あるいは第二王子派の特殊部隊のみに限定されます」


その報告を聞き、レオンの脳内で散らばっていたパズルのピースがカチリと音を立ててはまった。


「……なるほど。そういうことか」


レオンは小さく息を吐く。


アリシアを狙って分家派が雇った傭兵団を、水面下で暗闘を繰り広げている第二王子派(あるいは王妃派)が、自分たちの権力闘争の一環として潰したのだ。


つまり、正体不明の第三勢力など存在しなかった。派閥同士が、勝手に裏で潰し合ってくれているだけだったのだ。


「分かった。引き続き、他派閥の動向を監視しろ」


「はっ」


近衛騎士が人混みに紛れて消えると同時、レオンの肩から、これまで張り詰めていたサスペンスの緊張の糸がフッと解け落ちた。


(俺たちは、ただ幸運だっただけだ。背後に化け物なんていなかった)。


完全に「他派閥の暗躍」だとレオンは認識してしまったのだ。



王都を一望できる、郊外の静かな丘。


夕暮れ時、二人は草むらに腰を下ろし、アリシアが買ってきた安っぽい屋台の串焼きを齧っていた。


オレンジ色の夕日が王都の街並みを染め上げ、隣に座るアリシアの横顔を、息を呑むほど美しく照らし出している。


「……おいしいな、これ」


「でしょ? 王宮の豪華なご飯もいいけど、たまにはこういうジャンクなのも最高なんだよね」


口の周りに少しだけソースをつけながら、アリシアはふわりと微笑んだ。


そして、夕日に照らされる街並みを見下ろしながら、ポツリと呟いた。


「……ねえ、レオン。今のループ、すごくない?」


「ん? なにがだ?」


「誰も死んでない。暗殺者も来ない。こうして二人で美味しいものを食べて、綺麗な夕日を見てる」


アリシアは自分の両手を見つめ、それから空を仰ぎ見た。


「私たち、今まで何度も何度も死んで、必死に『明日』を迎えることだけで精一杯だったじゃん。……でも、なんか私、今のこの穏やかな時間の中にいるとさ」


彼女の声には、百回の理不尽な死という地獄を乗り越えてきたからこその、切実で、泣き出したくなるような安堵と幸福感が深く滲んでいた。


「初めて、『明日』じゃなくて『未来』がある気がするんだよね」



その無防備で、心の底から幸せそうな笑顔を見た瞬間。


レオンの心臓が、ひどく甘く、そして苦しく締め付けられた。


彼女に、未来を。


終わりのない死のループではなく、共に歳を重ね、共に笑い合える当たり前の未来を。


「……そうだな。悪くない」


レオンは短く答えながら、内心で強く、魂に刻み込むように誓った。


(お前がそうやって無邪気に笑ってくれるなら。俺は、残りの人生全部賭けて、俺のすべてをかなぐり捨ててでも、この未来をお前のために守り抜いてみせる)


レオンは静かに手を伸ばし、アリシアの頭を優しく撫でた。


突然のことにアリシアは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに照れ隠しのように目を細め、嬉しそうにふわりと笑ってレオンの手のひらにすり寄った。


黄金色の夕焼けの中、二人の距離はかつてなく近づき、「最高の幸福」を静かに噛み締めていた。

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