第4話 頼れる老執事アルフォンス
第一王子レオンハルトと、グランベル公爵令嬢アリシアの婚約。
この電撃的な発表は、王宮内の敵対勢力にとって最悪の悪夢だった。王国の正統な継承権と、最大派閥の軍事力・経済力が完全に結びついてしまったのだから当然である。
焦燥に駆られた王妃派、第二王子派、そして公爵家内部の分家派たちは、これまでの「搦め手」を投げ捨て、なりふり構わない強硬手段に出始めた。
アリシアが乗るはずだった馬車に仕掛けられた、小型の魔力爆発物。
レオンハルトの夕食に混入された、銀の食器を黒く染める遅効性の毒。
そして、王宮の暗がりに潜み、息を殺す影の刺客たち。
(うわ、また来た。ほんと懲りないわね……)
(次から次へと……。だが、今回は俺一人じゃない)
幾度となく死に戻りを経験してきたアリシアとレオンハルトは、殺意の気配に異常なほど敏感になっていた。
しかし最近、二人がその脅威に対して直接手を下す機会は激減していた。なぜなら、二人が「敵」の存在を察知した次の瞬間には、すでにその脅威が物理的に消滅しているからだ。
自分たちで対処する前に、ある存在が「影」を完璧に処理していることに、二人は気づき始めていた。
*
夜の王宮庭園。密会という名の「作戦会議(または夫婦ごっこ)」に向かうアリシアの背後から、音もなく刃が忍び寄っていた。
第二王子派が放った、手練れの暗殺者だ。
(あ、右斜め後ろの茂み。一人いるな)
アリシアが前世の記憶と経験からその殺気を察知し、レオンハルトが剣の柄に手をかけようとした、まさにその瞬間だった。
アリシアの斜め後ろに影のように控えていた老執事アルフォンスの姿が、ふっと陽炎のようにかき消えた。
暗闇の中で、微かな風の音が鳴る。
くぐもった短い呻き。そして、何かが崩れ落ちるような鈍い音。
――数分後。
アリシアたちが立ち止まって様子を窺っていると、アルフォンスは何事もなかったかのように、悠然とした足取りで戻ってきた。その洗練された燕尾服には、わずかな汚れも、一滴の返り血すら付着していない。
「お待たせいたしました、お嬢様。少々、羽虫が騒がしかったようですので……掃除をしてまいりました」
柔和な笑みを浮かべ、恭しく一礼するアルフォンス。
彼の仕事はそれだけではなかった。
レオンハルトが「暗殺者を未然に防ぎたい」と近衛兵に密命を下すと、アルフォンスはいつの間にか近衛騎士団の隊長クラスと密かに接触し、情報網を共有していたのだ。
公爵家の暗部と王宮の警備網が、アルフォンスという凄腕の老執事を中継点として完璧に同期していく。敵対勢力がどれほど巧妙な罠を仕掛けようとも、彼の張り巡らせた絶対的な防壁を前に、すべてが水際で封じ込められていった。
*
数日後の夜。王宮の静かなバルコニーで、レオンハルトは月の光を浴びながら、背後に控えるアルフォンスに声をかけた。
「お前の仕事ぶりには、近衛騎士団長も舌を巻いていたぞ。まさか、一介の執事が王宮の警備網をここまで掌握し、完璧に再構築してしまうとはな」
「もったいないお言葉でございます、殿下。私はただ、長年の経験を少しばかり活かしたまでにすぎません」
「謙遜するな。お前のおかげで、俺もアリシアも命拾いしている。……グランベル公爵家の執事というのは、これほどまでに優秀なのか」
レオンハルトが感嘆の息を漏らすと、アルフォンスは深く頭を下げた。
「すべては、アリシアお嬢様のご安寧のため。そして、殿下とのお約束を何としてもお守りするためでございます」
月明かりに照らされたアルフォンスの瞳の奥。そこに宿る「揺るぎない忠誠心」を真っ向から受け止め、レオンハルトは彼への警戒を完全に解いた。
かつては、アリシアを監視するために公爵家から送り込まれた厄介な存在だと思っていた。しかし今は違う。彼はアリシアを守り抜くための、最強の盾だ。
(中身はただの女子高生だ。いくら死に戻りを経験しているとはいえ、いつか心が折れてしまうかもしれない。だが、この執事がいれば……)
レオンハルトは、心から安堵の息を吐き出した。
*
「おーい、レオン! クッキー焼いてもらったから一緒に食おうぜ!」
バルコニーに、皿を抱えたアリシアがドタバタと駆け込んでくる。相変わらず令嬢らしからぬ振る舞いだが、レオンハルトは自然と頬を緩ませた。
「お前なぁ、もう少し静かに歩けないのか。……それにしても、お前の執事さん、マジで半端ないな」
「ん? アルフォンスが?」
「ああ。あいつがいれば、少なくとも暗殺ごときで命を落とすことはなさそうだ。最強の護衛だぞ、あれ」
レオンハルトが称賛すると、アリシアは自分のことのように胸を張って得意げに笑った。
「でしょー! アルフォンスはね、私が小さい頃からずーっとお世話してくれてるの。普段はおじいちゃんみたいに口うるさいけど、いざって時の腕は超一流なんだから!」
クッキーを頬張りながら笑うアリシア。彼女の目にも、疑いの色は一切ない。アルフォンスが自分に対して向ける「過保護すぎるほどの優しさ」を、彼女は純粋な慈愛だと信じ切っていた。
外からの脅威が完璧に排除されているからこそ、二人はこうして肩の力を抜き、距離感のバグった「日常」を楽しむことができるのだ。
*
「では、お嬢様、殿下。私はこれにて失礼いたします。どうか、心ゆくまでお寛ぎくださいませ」
満足げに笑い合う二人を背に、アルフォンスは夜の闇に溶け込むように深々と礼をした。
いつもの穏やかな、すべてを包み込むような老執事の笑顔。
足音一つ立てずに、彼はバルコニーから姿を消した。
だが――。
彼が去った後のバルコニーの隅。鉢植えの陰に、何か小さなものが落ちているのを二人はまだ知らない。
それは、先ほど「掃除」されたばかりの暗殺者が所持していた、第二王子派を象徴する銀の紋章飾り。
本来ならば完全に隠滅されるべき「証拠品」が、誰かの目に留まるよう、意図的に、そして不自然なほど無造作に残されていたのだ。




