第1話:目覚めると公爵令嬢でしたが、お茶が苦いです
――熱い。
皮膚を焼き、肉を溶かし、骨まで蒸発させるような、あの圧倒的な熱。
鼓膜を直接爆破されたかのような、世界を裂く轟音。
それらが、ふっと霧のように消え去った。
「……っ、げほっ! ごほっ……!」
激しく咳き込みながら、私は勢いよく跳ね起きた。
自分の喉を両手で掻きむしるようにして、何度も荒い呼吸を繰り返す。
(生きてる……? いや、あれで生きてるわけない。だって私、完全に吹き飛んで――)
混乱する頭のまま、大きく見開いた視界に飛び込んできたのは、修学旅行の海岸ではなかった。
見たこともない、純白のレースで彩られた豪華な天蓋付きベッドの天井。
「……え? あれ、ここどこ……?」
呆然と呟いた自分の声に、強烈な違和感を覚えた。
高くて、鈴を転がすように澄んだ、おそろしく可憐な少女の声。
慌てて自分の手元を見る。
布団の上に置かれたその手は、私の記憶にあるものとは完全に別物だった。
日焼けして少し指の太かった私の手じゃない。透き通るほどに白く、細く、まるで精巧なガラス細工のような――見知らぬ少女の手だ。
全身を奇妙な違和感が襲う。
身に纏っているのはブレザーの制服ではなく、見たこともないほど上質なレースがたっぷりあしらわれたネグリジェだった。
(ここはどこ? 天国にしては……なんかリアルだし、豪華すぎない?)
*
私は縋るようにベッドを抜け出し、おぼつかない足取りで部屋を見回した。
広さは、日本の一般的なマンションが丸ごと入ってしまいそうなほど。
床には豪奢な絨毯が敷き詰められ、壁には精緻な彫刻が施されたマホガニーの家具や、貴金属の調度品が並んでいる。
部屋の隅にある、姿見の前に立った。
そこに映っていたのは――。
「……だれ、これ」
プラチナブロンドの、絹糸のような輝きを持つ髪。
大きな、夜空を切り取ったかのような深い藍色の瞳。
人形のように整った顔立ちをした、おそろしく美しい少女が、鏡の中から私を見返していた。
私が動けば、鏡の中の美少女も同じように驚いた顔をして、指先で頬をなぞる。
(……これ、マジで異世界転生ってやつ? アニメや漫画でよく見た、あのテンプレの?)
普通なら、ここでテンションが爆上がりするところなのだろう。
けれど、私の胸の奥は、急激に冷え切っていく感覚に支配されていた。
閉じた瞼の裏に、鮮明に蘇るのは――あの「沖縄の爆発」の瞬間だ。
足元から溢れ出した、世界を焼き潰す絶対的な白。
「……そうだ。私、最後にあいつの姿を……」
記憶の海を遡る。
死の直前、あの凄まじい光の中で、私を全力で突き飛ばした親友。
あいつは、私を庇うようにして、その小さな体を投げ出して覆いかぶさってきたのだ。
「あんた……絶対、死んだよな」
ぽつりと、鏡の中の美少女の唇から、寂しげな独り言がこぼれた。
あの至近距離での大爆発だ。私を庇ったあいつが、助かっているわけがない。即死だ。
胸が、きゅうっと苦しくなる。
サバサバしていて、二次元の推ししか勝たんとか言っていた、世界で一番大切な私の相棒。
あいつだけは助かってほしかったのに。でも、現実はそんなに甘くない。
「……あいつどこかで、私と同じように転生してたりして」
自嘲気味に笑う。
いや、まさかな。そんな宝くじに連続で当たるような確率、あるわけがない。
あいつの冥福を祈りつつ、私はこの見知らぬ世界で、あいつの分まで生きるしかないんだ。
そう、自分に言い聞かせた、その時だった。
コンコン、と。
部屋の重厚な木製のドアが、静かにノックされた。
*
「――失礼いたします、アリシア様」
ドアが静かに開き、入ってきたのは一人の老人だった。
背筋がピンと伸びた、仕立ての良い執事服に身を包んだ白髪の老人。彼は銀のトレイを恭しく両手で持ち、完璧な所作でこちらへ歩み寄ってくる。
「お目覚めですね。本日はご機嫌麗しゅうございますか?」
低く、落ち着いた、いかにも年季の入った渋い声。
(すごっ、本物の執事だ……! ていうか私の名前、アリシアって言うんだ)
内心で大興奮しつつも、私はこの美少女の身体にふさわしい上品な態度を意識して、おそるおそる言葉を返した。
「あ、うん……おはよう」
「おや、まだ少々お疲れのようですね。朝の紅茶をご用意いたしました。冷めぬうちにどうぞ、アリシア様」
老執事は慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべ、銀のトレイから白磁のティーカップをローテーブルへと置いた。
カップからは、嗅いだこともないような、豊潤で素晴らしいハーブの香りが立ち上っている。
私は勧められるままにソファーへ腰掛け、なんて優雅な朝なんだろう、とこれからの生活に小さな期待を寄せていた。お姫様みたいな公爵令嬢生活。あいつの分まで、存分に満喫してやろうじゃないか。
私はカップを持ち上げ、ゆっくりと口元へ運んだ。
*
一口、すする。
「――っ?」
瞬間。
鼻に抜ける良い香りの裏側から、どろりとした、言葉を絶するような【異物感】が這い出てきた。
苦い。いや、苦いなんてレベルじゃない。
喉の奥が、熱湯を注ぎ込まれたかのように焼け付く。
「か、は……っ!?」
舌の感覚が急速に麻痺していく。
内臓が内側からズタズタに引き裂かれるような激痛が走った。
ガシャァン!!!
手から滑り落ちた白磁のカップが、床の絨毯の上で虚しく砕け散る。
「あ、う……げほっ、ごほっ……!」
ソファーから床へと崩れ落ち、私は自分の喉を掻きむしった。
呼吸ができない。肺が完全に機能を停止している。
視界が、急速に歪んで、暗くなっていく。
痛い、痛い、痛い。
何これ。何が起きてるの。
これ――まさか、毒!?
薄れゆく意識の淵で、私は必死に、目の前に立つ老執事を見上げた。
助けを求めようと、手を伸ばそうとした。
けれど。
「…………」
アルフォンスは目を見開いていた。
まるで、こうなることを知っていたかのように。
「……お嬢様」
低い声が聞こえる。
彼は一歩だけ、こちらへ踏み出した。
けれど、それ以上は近づかなかった。
(嘘でしょ……)
なんで。どうして。
私、転生したばかりじゃん。
これから、新しい人生が始まるんじゃなかったの?
(転生して、わずか五分で……また死ぬの……!?)
理不尽な絶望が、私の心を黒く染め上げる。
伸ばした手は力なく床へ落ち、私の意識は、二度目の暗闇へと完全にブラックアウトした。




