第3話:ようこそ、死にゲー異世界へ
現実の異世界において、公爵令嬢が王宮の第一王子に直接接触する。普通に考えれば、いくつもの高い政治的ハードルが存在する無理難題だ。
だが、私には、私のことを狂信的に守ろうとしている有能な老執事(盾)がいる。
「アルフォンス。先日の夜会でね、私、緊張のあまり第一王子殿下にあらぬ不敬を働いてしまったかもしれないの。公爵家の令嬢として、一刻も早く殿下に直接、誠心誠意のお詫びを申し上げたいわ。大至急、これを王宮の殿下へ極秘に届けて頂戴」
私は、厳重に蝋で封印した一通の手紙をアルフォンスに手渡した。
アルフォンスは「なんと殊勝な心がけ……。我が主の誠実さ、必ずや殿下に届けましょう」と感激した面持ちで手紙を受け取ったが、彼には生涯かかってもこの中身は解読できないだろう。
なぜならその手紙には、前世のオタクにしかわからないスラングやネット略語が、高度な暗号のごとく散りばめられているからだ。
『先日はksシャンデリア乙。今期の覇権アニメの結末をバラした件はサーセンwww生存戦略の件、禿同なので王宮庭園の離れで凸待ってます。ktkr』
王宮側でこの手紙を極秘に受け取った金髪の第一王子――中身は我が親友の――は、即座に反応した。
近衛騎士たちが「公爵家からの秘密暗号文か……!?」と必死に裏を読もうとする中、レオンハルトは顔を引き攣らせながら「俺が直々に処理する」と言い放ち、その日のうちに王宮庭園の離れにある東屋へ、私を招くお膳立てを整えたのだった。
(ふふん。やっぱり中身が女子高校生だと、話が早くて助かるわね)
揺れる馬車の中で、私は内心で不敵な笑みを浮かべていた。
*
「――誰も近づけるな。公爵令嬢との大事な儀礼の儀である」
王宮庭園の奥深く、美しい薔薇に囲まれた白亜の東屋。
レオンハルトが厳格な声で護衛の騎士たちを周囲から完全に下がらせ、二人きりになった瞬間、張り詰めたような静寂が訪れた。
客観的に見れば、誰もが憧れる端正な第一王子と、プラチナブロンドの髪を持つ絶世の美少女の、絵画のようにロマンチックな密会。
だが、周囲に誰もいないことを確認した途端、金髪の美少年は頭を抱えて素のトーンで文句を垂れ流した。
「おい、アリシア! あの手紙の『今期の覇権アニメ』って暗号はなんだよ! 近衛騎士の隊長が『覇権……もしや隣国との覇権争いに関する極秘情報か!?』って徹夜で解読しようとしてただろ! 焦らせんじゃねえよ!」
「いいじゃん、お前以外には絶対バレないんだから、これ以上ない最強の暗号でしょ。それよりお前、マジで王子様やってんじゃん。無駄に顔が良いのムカつくわー、ウケる」
私はいつもの女子高生としての距離感のまま、ゲラゲラと笑いながらレオンハルトの肩をバンバンと気安く叩いた。放課後の教室と、何一つ変わらないノリのつもりだった。
「――ッ!?」
だが、叩かれたレオンハルトが、弾かれたように肩をすくめて一歩後ろに飛び退いた。
見れば、彼の琥珀色の瞳が泳ぎ、耳の裏まで真っ赤に染まっている。
「……? なによ、ノリ悪いな」
「いや、お前……中身があのアリシアだって分かっててもさ。今のその見た目で、そんなゼロ距離で近づかれると、普通に心臓に悪いわ……。っていうか、なんかめちゃくちゃ良い匂いするし……」
「は? 何言ってんの、バカじゃないの」
レオンハルトはバツが悪そうに顔を背け、乱れた襟元を直している。
男としての肉体、男として育てられた価値観に少しずつ引っ張られている彼の脳が、中身はサバサバ系女子高生であっても、外見は華奢で美しい公爵令嬢である私に、無自覚にドギマギしている。
そんな微かな、しかし確実に狂い始めた男心の芽生えに、私はこの時点では「相変わらずウブなオタクね」と呆れるだけで、全く気づいていなかった。
*
「ほら、照れてないで本題に入るわよ。情報整理!」
私は東屋の石のテーブルに、あらかじめ用意してきた羊皮紙を広げた。
私たちはそれぞれの手元にある羽ペンを持ち、自分たちの周囲に渦巻く、文字通りの「殺意」を書き出し、突き合わせていく。
「まず俺の方な……」
レオンハルトが眉間を揉みながら羊皮紙にペンを走らせる。
「メインは王妃派。食事への毒殺、侍女の買収。寝所に刺客が来るルートもある。さらに第二王子派と軍閥が過激で、隙あらばクーデターを起こして俺を物理的に圧殺しにくる。他にも教会派が何やら不穏な動きをしてる」
「うわ、真っ黒じゃん。じゃあ次、うちの方ね」
私も負けじとペンを走らせる。
「基本は継母派。朝のお茶に毒を盛るのが趣味レベルで日常化してる。あとは分家派の叔父。こっちは軍人崩れの傭兵を雇って、誘拐か、庭園で直接刺殺してくる。あと、うちの白髪の執事のアルフォンスなんだけど……こいつ、私の味方っぽい動きをしておきながら、結果的に私が巻き込まれて死ぬ状況を作ってる節があるのよね」
羊皮紙の上に出来上がったのは、複数の派閥と思惑が複雑怪奇に絡み合う、最悪の政治対立の相関図だった。
書き出された敵対勢力の多さと、どこをどう選んでも必ず「死」に直結するルート分岐のえげつなさに、レオンハルトは両手で頭を抱え、本気で絶望の溜息を漏らした。
「待て待て、これ敵の数が多すぎだろ……。どこか一つの派閥を潰しても、別のルートから暗殺者がワープしてくる。ルート分岐が複雑すぎて予測しきれねえよ。もしかしてこれ……ガチの無理ゲーじゃね? 俺たち、どう足掻いても明日を迎えられないんじゃ……」
完全に心が折れかけ、金髪の頭をテーブルに突っ伏す王子。
そんな本気で絶望しかける相棒を見下ろし、私は――ふっと、不敵に唇を吊り上げた。
「は? あんた何弱気になってんのよ」
*
「前世でさ、全プレイヤーから『絶対にクリア不可能』って言われた超難関の死にゲー、初見の最高難易度でトロコンしたの、誰だと思ってんのよ」
私の言葉に、レオンハルトがゆっくりと顔を上げた。
私にとって、敵の数が多いことや、ルート分岐が複雑なことは絶望の理由にはならない。それは単に「攻略のしがいがある」ということと同義だ。
「一人だったら、ただ殺されるだけの無理ゲーだったかもしれない。でも、今は違う。未来の情報を共有できて、死に戻りの記憶を維持できる相棒が、この国の政治のトップと、最大の大貴族にいるのよ?」
これほど有利なチートプレイが他にあるだろうか。
私は広げた勢力図のド真ん中、王宮と公爵家が交わるその場所に、バシッと力強く拳を叩きつけた。
「なら、二人でこのクソゲーを完全攻略しようぜ。お前が王宮のクズどもを内側から抑えろ。うちは公爵家の害虫を片っ端から間引く。情報戦なら、何回でも死んでやり直せるうちらが、絶対に有利なんだから!」
「――ッ」
レオンハルトは呆気に取られたように目を丸くし、それから、どこか誇らしげに、頼もしそうに口元を綻ばせた。
「……そうだな。お前は昔から、ゲームの難易度が上がるほど目が輝くタイプだったわ。やってやるよ、相棒」




