最後のデート
翌日、昼過ぎにミケと映画館の前で待ち合わせをした。今日はバイトも休みだから、時間の制限なんて何もない。
今日という一日のすべてを使って、思う存分に、ミケの傍にいることが出来る。
空は見事なまでの快晴だった。家を出た瞬間は真冬の痛いような寒さを肌に感じたけれど、駅まで歩くうちに身体が次第に慣れてしまい、こうやって映画館の前で佇んでミケを待つ今は、不思議と寒さをほとんど感じなかった。
いつも深夜の凍える公園ばかりに出歩いていたから、冬の寒さはまだ果てしなく厳しいものだとばかり思い込んでいた。
けれど、こうやって太陽の光が降り注ぐ晴天の日は、マフラーなんかに頼らなくても世界は十分に温かさを感じることが出来るのだと、今更になって気づかされた。
ミケと、この昼の明るい光の中で会うのは、これが人生で二度目だった。
一度目は、あの十二月二十五日のクリスマス。大学のキャンパスに突如として現れたあいつの姿を見て、驚きで胸が押し潰されそうになり、現実だと信じられなかったあの光景を、今でも昨日のことのように鮮烈に思い出す。
ビュウッ、と冬の冷たい風が急に強く吹きつけてきたので、俺は反射で思わず細く目を瞑った。
――きっと、来月になればもっともっと温かくなり、あの重苦しいコートも上着もいらなくなるだろうな。そのうち、この街にも綺麗な桜が咲き誇るだろう。
そうしたら、今度はミケと一緒に、あの満開の桜並木をゆっくりと並んで歩けたらいいな。あいつの白い肌と長い黒髪には、きっとピンク色の桜の花びらが、最高に似合うはずだから――。
「巧――っ」
ふと、優しい冬の風とともに耳に届けられた、聞き慣れた大好きなその声に、弾かれたように顔を上げる。
この冷たい風を突っ切るようにして、きらきらと輝く笑顔を人混みに混じらせながら、ミケが俺の元へと真っ直ぐに駆け寄ってくるのが見えた。
その胸元には――夜の公園で寒がりのあいつが『冷たくなるから』と必死に服の奥へと隠していたはずの、俺がプレゼントしたあの星のネックレスが、隠されることなく誇らしげに上着の外側で揺ら揺らと太陽の光を浴びてまばゆく輝いていた。
俺の目の前までたどり着くと、ミケは軽く息を切らしながら、笑顔で俺の顔を嬉しそうに見上げてきた。
「映画館に来るなんて……もう、何年ぶり……かわからなくてさ。本当に楽しみ過ぎちゃって、昨日ぜんぜん眠れなかったんだよ……っ」
今日のミケは、夜の公園でいつも着ていた不気味な黒いワンピースをもう着ていなかった。
上品な茶色いコートの中に暖かそうな白いセーター、紺色のスカートに、短い丈の小ぶりなブーツ。
それは、どこからどう見ても、街を行き交う普通の、とびきり綺麗な十八歳の一人の女の子の姿だった。
贔屓目なんかではなく、客観的に見ても、胸が苦しくなるほどに本当に可愛いと思う。
お日様の光を浴びたサラサラの黒い髪が風になびいて、顔にかかった前髪を細い指先でそっと避ける。
夜の暗闇の中で何度も何度も見慣れているはずのその何気ない動作すら、このまばゆい昼間の明るさの下では、まるで初めて見るかのように新鮮で、愛おしく思えて仕方がなかった――。
「俺も、今日のデートすっごく楽しみにしてた。
……じゃあ、行こっか」
俺は胸が激しく高鳴り、照れているのを必死に隠すために、あえてあまり顔を合わせないようにして映画館のロビーへと歩き出した 。
チケット売り場を通り過ぎ、フードカウンターの前へ行くと、ミケは何を買おうかとメニューを凝視しながら一生懸命に迷っていた。その健気な横顔が、必死すぎて本当に可愛かった 。
あぁ、この愛おしい横顔をずっとずっと見ていたいな。今スマホで写真を撮ったら怒られちゃうかな、などと、俺は幸せな独占欲を頭の中でぐるぐると巡らせてしまっていた 。
迷った末に、二人で一緒に食べるためのMサイズのポップコーンを一つと、それぞれのドリンクを二つ買って、俺たちは目的の薄暗いシアターの中へと足を踏み入れた 。
スクリーンから漏れる淡い光だけの、ひどく狭い通路。俺が先頭になって歩きながら、背後を気にしつつ座席番号を探していると、足元の見えない段差に不意につまずいたミケが、小さく「わっ!」と短い悲鳴を上げて、俺の背中へとぽすんとぶつかった 。
「……ごめんっ、巧……」
シアターの暗闇のせいでその表情は見えなかったけれど、ミケが小さく身体を縮めて、申し訳なさそうに赤面しているのが手に取るように分かった 。
「いいよ。ここ、暗いし段差もあるから、本当に危ないんだよ」
静かに、どこまでも優しくそう語りかけながら、俺はミケに向かって自分の左手をすっと差し伸べた 。
ミケは迷いを見せず、待ってましたとばかりにその手をぎゅっと強く握り返してくれた 。
外の風で少しひんやりと冷たくなっていたその小さな手を、こうして暗闇の中で繋いだことで、俺の胸の奥がどれほど深く、痛いくらいに温かくなったことか。
ミケの手のひらのこの愛おしい温かさだけは、もしこの先の未来で何が起きたとしても、自分のこの命が尽きる最期の瞬間まで一生絶対に忘れないと、俺は心の底から静かに誓っていた――。




