疑問と質問と
女はもう逃げようとしなかった。堂々たる態度に変わったので、自然と手を離してしまう。
「形勢逆転」という言葉が浮かぶ。見上げられている筈なのに、どこか見下されているような感じがする。
「あの人、やっぱ死んだの?」
目を見つめたまま、白い息と共に言葉が近付いてくる。
「え……うん」
冷や汗が背を伝っていくのを感じる。先程まで堰き止められていた恐怖が一気に溢れ出す。
女はニンマリと笑う。
「心臓発作でしょ」
「何でそれを……」
俺も死因を正式に聞いたわけじゃない、葬儀場で男たちが話していたのを聞いていたに過ぎない。
なのになぜ、この女は……
今度は女が俺の方へ近付いてくる。面白そうに口角を上げながら。
つい後ずさりしてしまう。
その反応さえ弄ぶかのように、距離を詰められ、不気味な笑顔を浮かべる女の顔が目の前に来る。
その瞳に街灯の明かりが反射している。
この間見た時と同じ、薄い唇、小さめの鼻、なのに瞳だけは自己主張するかのように爛々と輝いている。
唾をゴクリと飲み込んだ。
「わかるから」
女の柔らかい吐息と共に発せられた言葉。
あまりに距離が近過ぎて温度すら感じれそうだ。
そして、知りたい答えではない答え。
「まさかお前が殺し……」
女は身体を遠ざけながら、声を上げハハッと軽く笑う。途端に距離が離れた。
俺に捕まって怯えた顔をしていた女は、もうそこにいなかった。いるのは、余裕で不敵に微笑む女だけ。
「どうかしら」
そう言い残すと足取り軽く、舞うように駆けていった。もう追いかける気力もなく、その背が見えなくなるまで目を離さなかった。
どっと疲れが出て来たので、重い身体を引きずりながら帰路に着いた。
――――――
翌日、バイトに行くと平野と一緒に髭の店長に呼ばれた。店長の横には、金髪の上から緑に染めた髪色、ピアスを数カ所、指にはゴツい指輪をした若者が立っていた。
「新しく入った、川田君。今日から夜の時間に入るから色々教えてやって」
店長はニッと白い歯を見せながら、爽やかに笑う。
ああ、名前に「山」が付くと思ったけど、そうじゃなく「川」だったのか……
「うぃ〜っす」
その若者も笑みを浮かべ、堂々と声を出す。
は? 今、「うぃ〜っす」って言った?
うぃ〜っすって何? 何語? どんな意味?
そりゃね、書いてあるよ、求人に。髪型、アクセサリー不問って。
だけど、これあんまりじゃない??
まず髪色さ、俺あんまりそういうの厳しくない方なんだけどさ、緑って何? 流行ってんの?
この地上にない色の髪色にしてて、お年寄りとかが見て、宇宙人? とか思わないのかな?
平野に目をやると、相変わらず表情には出さないが、雰囲気から苛ついているのが伝わってくる。
俺はとりあえず愛想笑いを作り挨拶をした。
店長はさっさと裏へ入っていってしまう。
簡単な作業から教えることにした。
「賞味期限が切れる前に、こうやって引いていくんだよ」
言いながら、しゃがんでカゴに賞味期限間近の弁当を入れていく。
「お菓子とかは滅多に期限切れにならないんだけど、総菜系は毎日賞味期限があるから……」
「あ〜い……」
気のない返事が返ってくる。
川田は同じようにしゃがみ込んで、サッとスマホを出しゴツい指輪の指で画面を触っている。
「でもですよ〜」
川田が、スマホをズボンのポケットにしまいながら口を開く。
手を止めて川田に目をやる。
川田は、廃棄予定の総菜をカゴに入れながら続ける。
「これ、犯罪にならないんですか?」
「……は?」
突然の言葉に思考回路が停止する。
犯罪って何だ? 何が?
俺の頭にはわかりやすく、クエスチョンマークが沢山浮かんでいるだろうと思った。
川田はこちらを向く様子もなく、作業をテキパキとこなしている。
「だって、もったいなくないです?
こんなに食べ物捨てて。悪い気しかしないんスけど。悪いことって犯罪じゃないですか」
「まあ、もったいないけど……」
何か手があるのだろうか。これを廃棄にしないでいい方法が?
「何か有効活用する方法があるってこと?」
思わず聞いてしまう。
「知らないですよ、そんなの」
あっさり冷たく切り捨てられる。
「あ……そう……」
この子はこんな見た目だけど、純粋なんだろうか。
確か18歳って言ってたよな。フリーターであちこちバイトをしているらしいけど、どこに行ってもこんな感じで疑問を持つのだろうか。
「じゃあ、捨てる前に食ってもいいっスよね!」
「あ、うん、それはいいって店長が……
昔は持って帰ったりしてたらしいけど、今は厳しくて持ち出しは駄目って言ってたよ」
川田は「ラッキー」と言い、鼻唄を歌いながら、自分が食べたい物を選り分けている。




