動き始めた歯車
「俺が死んだらどうする?」
晩飯のサランラップを外しながら、つい口走ってしまう。それまで騒がしかった茶碗の音が止まった。
しんと静まり返った食卓と張り詰めた空気に、自分が何気なく言ってしまった言葉を後悔した。
母さんは背を向けたまま、
「生きていけないかな」
と、呟いた。
「そっか……」
そう返すのが精一杯だった。
淋しい、悲しいなどの感情を超えた言葉に、沢山の想いが乗せられているような気がした。
母さんはまた、ガチャガチャと音を立て茶碗を洗い始めた。
――――――
あれから一ヶ月が過ぎた。
22時までのバイトを終えた後、帰る途中で疲れてしまい公園のベンチに腰を下ろした。
こうやって一人になると、裕太を思い出す。
笑いながら酒を飲んで、馬鹿話してふざけ合って……
何故いい思い出しか出て来てくれないのだろう。
気に食わないところもあったはず。
あったはずなのに。
星を見上げてそっと目を閉じる。静かだと思っていた周囲だったが、こうすることで木々の葉がさざめく音が現れる。遠くの車の走行音も届き始めた。
自然と眉間に皺が寄る。と同時に涙が頬を伝ってきた。涙の通った道が、風に吹かれて冷たさを感じさせる。
アイツが死ななければ、俺たちはもっと深い仲の友人になれていただろう。そうしたら、セフレがいることも話してくれたのかな。
目を開き、上を見上げたまま、はあっと息を吐くと、街灯の灯りの下で白い息が大きくなって消えるのが見えた。
最近、裕太の抜けた所に新しいバイトが入って来た。なんだったっけ名前……「山」って漢字が入ってたような……
そうやって世の中は動いていく。足りなくなれば補充されるだけ。
それにしても今日は疲れた。近くでちょっとしたイベントがあったようで、客がいつもの数倍多かった。
ベンチに横になりたい……けど、今横になったら風邪ひくどころか凍死するだろうな。
死んだらまた裕太に会えるのだろうか。
つくづく、ここは何もない公園だと思う。トイレとベンチ、ブランコくらいしかない。広さがそう大きくないので、子供が親の目の届く範囲で遊ぶことが出来そうだ。
あれ……この公園ってまさか……
あの日のことが脳裏に蘇る。女から必死に逃げ、倒れ込んだ風景。息を整えながら見上げた街灯。
素早く辺りを見回し、確信した。
――間違いない、あの時の公園だ。
気味が悪くなり、急いで立ち上がる。
逃げるように公園の入口へ向かうと、その先に人影が見えた。ビクッと心臓が跳ね上がる。
だが、その入口からしか外へは出られない。
なるだけその人影を見ないようにしてそこへ向かう。
人影になるだけ近付かないように、距離をとって入口の隙間を通る。
見ないようにしているが、横目で何となくその姿を捉える。顔は怖すぎて見れないので、足元に目を向ける。
黒い靴、黒いワンピース……
まさかと思い、その流れで顔に目をやる。
想像した通りの長い髪の女。
その女は、俺と目が合うと驚いた顔をして、俺が行こうとしているのと反対の方へ即座に駆け出した。
「あ……待って……!」
反射的に言葉が口から飛び出し、それを追いかけ走り出す。
恐怖よりも興味が先行する。喜びに似た感情すら感じる。
あの時見た女は、夢か幻だったのかもしれない、そう何度思ったことか。
もし現実なら、一体あの女は誰なのか考えていた。
裕太が女癖が悪かったとすれば、遊ばれた多くの女の中の一人の可能性だってある。
ただ、いくら考えたところで答え合わせの方法がない為、無意味に時間が過ぎていくばかりだった。
女の足はさほど速くなく、あっという間に追いつくことが出来た。
「ちょっと待てって……!」
言いながら女の左腕を掴む。やはりあの時と同じようにひんやり冷たくて、腕を通して自分が凍ってしまうような感覚になる。
「離してっ……!! 大声出しますよっ…!」
腕を振り払おうと女が腕を激しく上下に揺らす。
やはり人間だった、存在していた。そう思うと、心が高揚してくるのを感じる。
せっかく捕まえたんだ、逃がしたくない。それに聞きたいことだってある。
その思いから、自分でもビックリする位の低い声を出す。
「出せよ、大声」
「え?」
女は激しく揺らしていた腕を止め、怯えた表情でこちらを見上げてくる。
「どうせ誰も来ないよ。
今の世の中、自分が一番可愛いんだ。
自ら面倒事に巻き込まれる奴なんてそうそういない。
俺たちを見たところで、面白がって遠くから動画回してSNSに上げるのが関の山だ」
昨日母さんが観てた、ドラマの悪役に影響されている感はある。だいたい何だよ、関の山って。
とりあえずこの女が動くのを制止して、逃げるのを防ぎたいだけなんだけど。
俺の言葉に益々恐怖の表情を露わにするが、また腕をふりほどこうと激しく動き出した。今度は反対の手も使って腕を引き抜こうとする。
何だよ、やっぱドラマみたいにはいかないじゃねえか!
少しでも油断すると逃げられてしまいそうで、慌てて腕を掴む手に力を入れる。
「ちょっ……! ほんとちょっと待てって!
話したいだけなんだってば!!
何で裕太に死ぬなんて言ったのか教えて欲しいだけなんだって!!」
ピリッと空気が変わる。
「何だ、そんなこと?」
彼女は動きを止め、あの時のように微笑んだ。




